大阪で起きた小学生殺傷事件におもう

池田小学校殺傷事件(2001年6月8日発生)

大阪で悲しい事件が起きてしまった。

この事件で私が思うことは、私が子供の頃では起こり得なかったと言う事だ。

親子の絆、近隣との付き合い、教師の権威、親の責任、何を取っても、

考え方までも違った世の中になってしまっているからである。

親が子育てをきっちりやらない。隣の子供だからと見てみぬ振りである。

学校では、子供の教育の名の元に自分の身を守るすべすら教えられない。

親もそのようである。 現代社会のひずみが表に出ただけの事である。

そのひずみを解ろうともしない現代人に良い刺激であろう。

決して、私はこの事件を賛美しているのではない。


子供の頃の話である。

家は貧しく麦飯で育った。 親父やおふくろから毎日の生き延びるすべを

一つ一つ身をもって教えられた。私は子供ながらにその事が身について

解り、自分から、できる事を考え、手伝いをする様になった。

危険な崖、毒蛇のマムシ、落石の起こる山道、生で食べられる山菜等々、

全てが生活の中で自然に身に付いていたのである。

親がそうしたのであろうが・・・。

家庭では子供の頃から自分の身を守ることがいかに大事か?

家族で助け合いながら生活する事の大切さを知ったのである。

明日は一歩、外に出る事にしよう。 


 外へ出ると七人の敵がいると言われるが、

子供の頃からその事も自然に覚え、その敵は今日は敵でも、

明日はみかたと言う考え方から、殴り合いの喧嘩が有っても、

翌日は仲良しとなるのでありました。

鼻血の出るほど殴り合った彼も、翌日には何かの悪戯を私と

考える仲間の一人となるのです。

喧嘩も友情の確かめ合いだったような気がする。

自然の豊かな村の中に全てが溶け込んでいたのでしょう。

今では子供でも鼻血の出るほど撲れば相手の親から訴えられるでしょうがねー


小学生の頃の通学はひとやま越えて、2キロほどあった。

その通学路には四季折々に果物や野菜などの食べ物があった。

勿論、自生のイチゴ、グミ、アケビなどもあったが農家が、

栽培している物もあり、おやつもこれですませるのであった。

朝飯を食べる時間がないときはキュウリをかじりながらの登校もあった。

通学路に面した畑の野菜や果物は私達のおやつにと、採り入れ時に残して、

私達、小学生に「ご自由にどうぞ食べてください」と言わんばかりであった。

子供に接する住民の優しく温かい心使いであったのだろう。


ある日学校から帰る時、畑の持ち主から私は呼び止められた。

ニ三日前に青いトマトが美味そうであったので一つ取って

口に入れてみたが美味くない。別のを取って口に入れてみたが

これもまた美味しくない。その様に五個ほどやったのを、

畑の持ち主は全てどこからか見ていたのでありました。

「一つやってみたら解るだろ、赤く熟れたら皆で食べられるんだ、

これからは何でも試しに食べるのは一つにしようや」

それからは畑の持ち主からいろんな野菜や果物の食べ頃を

教えてもらう事になったのである。


小作農家であった我が家では米、麦、小麦等の主食、

ナス、キュウリ、サツマイモ、白菜などの副食産物は作っていたが、

トマトやスイカなどの農産物は作る余裕の土地はなかった。

私が小学校の高学年の頃になってやっと作れる様になったのである。

畑の持ち主に教わった、害虫駆除の方法や食べ頃、肥料にやり方などは

中学生になった私のスイカやトマト作りの貴重な経験として

生かされるのでありました。

この様に自分の子、他人の子の隔てなく、大人達は子供達に接していたのです。

当然の事ながら悪がき大将の私は親父に撲られるより、

他人に撲られる事の方が多かったのでした。それも愛のむちであったです。 


学校ではどうであっただろう?

集団生活のルールが教えられいたと思われる。

運動会では組単位に色々な競技が組まれ勝ち負けもはっきりとしていた。

個人単位の競争もあり、賞品もランクがあった。

この様なことから集団のルールを守りながら、競争する事が自然と

身に付いてきた様である。

先生は親より厳しく、親より優しかった。

子供同士のいじめもあったが今の様に陰湿ないじめではなく

子供の成長に必要な事だった様に思う。

色々な経験の一つであった。先生も、審判役で限度が越えない限り

正しい方の見方となっていた。 悪がき大将の私は良く先生を敵に廻しての

いじめをやったものでありました。


私の少年時代の話はこれぐらいにして、今、家庭では、

地域では、学校ではどうだろうか?

家庭では共働きで子供に暇つぶしのゲーム器を与え、

子供にもプライバシーが必要だと鍵のかかる個室を与え

良い子ぶった子供に翻弄される親の多い事!!

子供のしつけが出来ていると思っているのである。

中には、しつけは学校でと言う親までいるようである。

小学校の授業を見る機会があったが私語の氾濫で

先生の言葉も聞き取れないほどであった。

参観に来ている親の私語も聞かれ、こんな親が育てる子供達が

可愛そうに思われたのでありました。


地域では隣にどんな人が住んでいるか解らない?

家電リサイクル法が施行された途端に車に積んで

電化製品を子供達の遊び場である空き地に捨てに来る。

私の車庫の前は近所の子供達の溜まり場であり、

お菓子の包装紙、空き瓶、空き缶に、タバコの吸殻まで

捨てられている。私が掃除しない限り片付く事はない。

親たちも自宅の前の道路の掃除をするのを見た事がない。

外を掃くホウキすらないと言うのだ。

当然の事であるが子供に自分で汚した所の掃除などする様に

教えていない様である。 


学校では先日の事件以来防犯カメラを設置して不審者を

チェックする所が増えている様である。

不審者とはどのような人物をどの様に区別するのであろうか?

まさか、校門を入る時に包丁を振りかざして来る者はいないであろうが?

コンピューターに在校生と在校生の家族、教師の顔写真でもインプットして

それ以外の者が来ると警報装置が働く様にでもなっているのでしょうかね?

馬鹿げた話である。 

心の通わない機械任せの現在を根本的に見なおそうとする者は

いないのでしょうかね~? おかしな解決策しか思いつかない高学歴のお方?


子供も、高齢者も、障害を持った人たちも含めて全ての人々が

心の通う社会になれば今回の事件は起こらなかった。

金をばらまき、人を蹴落として、金儲け主義に走る者には、

理解できない話なのだろう。

国立大学の入試採点ミス、各病院の医療事故、警察官のひき逃げ、

幼児虐待、贈収賄、等々の事件の根底に温室栽培の頭でっかちの

モヤシどもの社会に対する軽薄な考えが見え隠れしている。

ほっておけば、ますますこの様な事件が増える事は明白である。

低学歴の私のひがみとして聞き逃していただきたい。


京都・宇治に黄檗山万福寺と言う寺がある。

私の命を何回か救ってくれた寺である。

1961年8月、せみ時雨降り注ぐ暑い夏の日に

この寺の本堂に疲れた体を横たえた少年がいた。

三日ほどは食事も取らず歩きつかれて、

ここにやっとたどり着いたのでありました。

悩みに疲れ、何をどうすれば良いのか途方にくれた少年には、

本堂のひんやりした畳の上は天国でありました。


何時間、過ぎたであろうか・・・ 外は暗くなりつつあった。

和尚に起され、熱いお茶をご馳走になった。

三日ぶりに口にしたお茶は美味しいお茶であった。

お茶をご馳走になっている間に梅干とおかゆが運ばれてきたのでありました。

『熱いので、ごゆっくり、おあがりなさい』 

大きなお椀に注がれた、おかゆの味は、私の涙の味が染み込んで

格別の味でありました。

このおかゆのお陰で宇治川に私の水死体は浮かぶ事はなかったのです。


和尚とはその後、三度逢ったが何といって言葉を交わすわけでもなかった。

ただ、本堂に上がり大の字になってぼんやりと

天井を眺めていただけの事でありました。

そのうち、和尚が現れて「今日は何だね」と声をかける。

そして、前回と同じようにお茶と梅干とかゆが出され

『熱いのでゆっくり、おあがりなさい』と声をかけるだけで

私の事情を聞くわけでもなく立ち去るのでありました。

そして三度目は前と同じように「今日は何だね」と声をかける。

私は「ありがとう御座いました」と頭を下げる、「そうかい」和尚の言葉は

それだけでありました。 

お茶も梅干もかゆも出される事はなかったのでありました。

その後、何度もこの寺を訪れたが和尚に逢う事はなかった。


新聞各誌が小学生殺傷事件の負傷者が全員、退院したと報じている。

我が子を抱きしめて6月8日を忘れまいと誓ったと・・・・

この事件から学ぶ事の多さを知る事だろう。

親は子供を叱る事の必要と温かい気持ちで抱きしめてやる事の大事さの

相反する事は何にも勝る親子の絆を深める行動ではなかろうか。

八人の犠牲になった子供の親たちはその抱きしめることすら出来ないのである。

抱きしめることの出来ない辛さ、抱きしめることのできる喜びを

多くの人たちに伝えてほしい。 すべての人々に、この事が伝わるのであれば

この様な事件は二度と起こることはないであろう。

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昨日の新聞によると可笑しな解決策を見つけ出したものだと呆れている。

四億円と言う私には想像も出来ない額の税金で形を付けたと報道されている。

テレビの報道では被害者代理人は勝ち誇ったコメントを発表していた。

私の考え方は遠い昔のおとぎばなしでしか無かった様である。

2003/6/6 加筆

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