その410       6/30/am8.30

今月も今日で終わる。

毎年の事であるが六月は写真の量が一番多い。

それだけ仕事が暇だと言う事である。

しかし、何だか物足りないのである。

忙しい仕事の合間に撮りに行った写真は暇な時に撮った写真とは一味違う。

何故なのだろう? 大きく引き伸ばされた写真のほとんどが、

忙しい仕事の合間に撮影されたものである。

 

その409       6/29/am5.00

我が家ではぼちぼちではあるが夏休みの家族旅行の計画が進んでいる様である。

孫娘は私の実家へ行くのだそうだ。

大阪空港へ私が送って行き、飛行機に乗せる。一人旅である。

孫娘の母親も、小学生の頃、姉妹で実家のおばあちゃんの所へ行くと

出かけていたのを思い出している。

今年のお正月に始めての一人旅を経験した孫娘である。

楽しい夏休みの思い出になる事だろう。

 

その408       6/28/am5.00

「うちに来ている電話線10分の1も電話に使ってないんだって?」

「それで」

「それだったら、何故、もっと小さい電話線使わないのかな〜と思って」

「あまり小さすぎると見えなくて工事の人が顕微鏡使って工事をしなくてはならないだろ―。」

「????」

「(^○^)その残りの部分でインターネットをやっているんだ」

「ふ〜ん?」    解かっていない様である。

ADSLのパンフをKFさんが見ながらの会話である。

ISDNからADSLに変えてみようかと私が持ち帰ったものである。

 

その407       6/27/am6.30

大阪府建築士会で行っている住宅相談の担当日(7月8日)が近づいている。

それに先駆けて作品の模型やパネル展示も行われる。

幅90cm 奥行き60cm 高さ1.2mほどのスペースが

6月26日から7月9日まで与えられている。

私にとっては昨年10月以来の展示となる。

本物を作るのは得意だが模型を作る事は苦手で

今回も写真パネルによる展示となった。

詳しい日程や出展者はこちらでご覧頂けます

 

その406       6/26/am6.00

毎朝、朝顔の成長を見ている。

ますます、個性を発揮してきた?朝顔と思って買ったのだが

朝顔あり、昼顔あり、夕顔ありである。

一日中どの花かは咲いている。

気象台の発表によると昨日の最高気温は33度だそうであるが

我が家の庭先は36度を越えていたようだ。

「暑いですね」の挨拶がこれから毎日の様に聞かれる様になる。

 

その405       6/25/am5.45

日曜日の昨日は花博公園に出かけてみた。

それも22日、KFさんが散歩の時、可愛い鳥の親子を見つけたからである。

もう一度、逢いたい、そしてその可愛い姿を撮影したいということであった。

しかしながら鳥の親子達は引越ししたのであろう、その姿を見る事は出来なかった。

折角のチャンスを逃した事をKFさんは悔やむ事しきりでありました。

 

その404       6/24/am5.30

6月20日、KFさんは何時もの常設展示場へ写真を持って架け替えに行った。

前にも話したがこの展示場は息子が生前お世話になっていた、

福祉施設で今年23周年を迎えてこの日に記念行事が行われるのだそうである。

その記念行事にKFさんも招待されているのでありました。

KFさんが毎月会う「お母さん」に、1年に一度だけこの日に逢いに来る人もいる。

懐かしい顔に沢山逢えたようである。

 

その403       6/23/am5.30

和尚とはその後、三度あったが何といって言葉を交わすわけでもなかった。

ただ、本堂に上がり大の字になってぼんやりと

天井を眺めていただけの事でありました。

そのうち、和尚が現れて「今日は何だね」と声をかける。

そして、前回と同じようにお茶と梅干とかゆが出され

『熱いのでゆっくり、おあがりなさい』と声をかけるだけで

私の事情を聞くわけでもなく立ち去るのでありました。

そして三度目は前と同じように「今日は何だね」と声をかける。

私は「ありがとう御座いました」と頭を下げる、「そうかい」和尚の言葉は

それだけでありました。 

お茶も梅干もかゆも出される事はなかったのでありました。

その後、何度もこの寺を訪れたが和尚に逢う事はなかった。

 

その402       6/22/am5.00

何時間、過ぎたであろうか・・・ 外は暗くなりつつあった。

和尚に起され、熱いお茶をご馳走になった。

ニ三日ぶりに口にしたお茶は美味しいお茶であった。

お茶をご馳走になっている間に梅干とおかゆが運ばれてきたのでありました。

『熱いので、ごゆっくり、おあがりなさい』 

大きなお椀に注がれた、おかゆの味は、私の涙の味が染み込んで

格別の味でありました。

このおかゆのお陰で宇治川に私の水死体は浮かぶ事はなかったのです。

 

その401       6/21/am5.30

京都・宇治に黄檗山万福寺と言う寺がある。

私の命を何回か救ってくれた寺である。

1961年8月、せみ時雨降り注ぐ暑い夏の日に

この寺の本堂に疲れた体を横たえた少年がいた。

三日ほどは食事も取らず歩きつかれて、

ここにやっとたどり着いたのでありました。

悩みに疲れ、何をどうすれば良いのか途方にくれた少年には、

本堂のひんやりした畳の上は天国でありました。

 

その400       6/20/am5.30

雨の朝である。今年の梅雨は梅雨らしい梅雨である。

梅雨の晴れ間を縫っての撮影行脚も終わろうとしている。

城北の花菖蒲園に始まり矢田寺の紫陽花まで堪能できた。

50本近いフイルムの整理がこれから始まるのである。

プリントにして1000枚を越える数である。

撮影時点では気づかなかった事が写真の整理をすると解ってくる。

毎年、訪れる場所も、毎年変わっている事が解る。

来年はこう撮りたい、ここは午後の方が良いなどサービスサイズの

プリントの裏に書きこまれていく。 これも又、楽しいのである。

 

その399       6/19/am5.00

子供も、高齢者も、障害を持った人たちも含めて全ての人々が

心の通う社会になれば今回の事件は起こらなかった。

金をばらまき、人を蹴落として、金儲け主義に走る者には、

理解できない話なのだろう。

国立大学の入試採点ミス、各病院の医療事故、警察官のひき逃げ、

幼児虐待、贈収賄、等々の事件の根底に温室栽培の頭でっかちの

モヤシどもの社会に対する軽薄な考えが見え隠れしている。

ほっておけば、ますますこの様な事件が増える事は明白である。

低学歴の私のひがみとして聞き逃していただきたい。

 

その398       6/18/am4.30

学校では先日の事件以来防犯カメラを設置して不審者を

チェックする所が増えている様である。

不審者とはどのような人物をどの様に区別するのであろうか?

まさか、校門を入る時に包丁を振りかざして来る者はいないであろうが?

コンピューターに在校生と在校生の家族、教師の顔写真でもインプットして

それ以外の者が来ると警報装置が働く様にでもなっているのでしょうかね?

馬鹿げた話である。 

心の通わない機械任せの現在を根本的に見なおそうとする者は

いないのでしょうかね〜? おかしな解決策しか思いつかない高学歴のお方?

 

その397       6/17/pm1.45

地域では隣にどんな人が住んでいるか解らない?

家電リサイクル法が施行された途端に車に積んで

電化製品を子供達の遊び場である空き地に捨てに来る。

私の車庫の前は近所の子供達の溜まり場であり、

お菓子の包装紙、空き瓶、空き缶に、タバコの吸殻まで

捨てられている。私が掃除しない限り片付く事はない。

親たちも自宅の前の道路の掃除をするのを見た事がない。

外を掃くホウキすらないと言うのだ。

当然の事であるが子供に自分で汚した所の掃除などする様に

教えていない様である。

 

その396       6/16/am7.30

私の少年時代の話はこれぐらいにして、今、家庭では、

地域では、学校ではどうだろうか?

家庭では共働きで子供に暇つぶしのゲーム器を与え、

子供にもプライバシーが必要だと鍵のかかる個室を与え

良い子ぶった子供に翻弄される親の多い事!!

子供のしつけが出来ていると思っているのである。

中には、しつけは学校でと言う親までいるようである。

小学校の授業を見る機会があったが私語の氾濫で

先生の言葉も聞き取れないほどであった。

参観に来ている親の私語も聞かれ、こんな親が育てる子供達が

可愛そうに思われたのでありました。

 

その395       6/15/am4.30

学校ではどうであっただろう?

集団生活のルールが教えられいたと思われる。

運動会では組単位に色々な競技が組まれ勝ち負けもはっきりとしていた。

個人単位の競争もあり、賞品もランクがあった。

この様なことから集団のルールを守りながら、競争する事が自然と

身に付いてきた様である。

先生は親より厳しく、親より優しかった。

子供同士のいじめもあったが今の様に陰湿ないじめではなく

子供の成長に必要な事だった様に思う。

色々な経験の一つであった。先生も、審判役で限度が越えない限り

正しい方の見方となっていた。 悪がき大将の私は良く先生を敵に廻しての

いじめをやったものでありました。

 

その394       6/14/am4.30

小作農家であった我が家では米、麦、小麦等の主食、

ナス、キュウリ、サツマイモ、白菜などの副食産物は作っていたが、

トマトやスイカなどの農産物は作る余裕の土地はなかった。

私が小学校の高学年の頃になってやっと作れる様になったのである。

畑の持ち主に教わった、害虫駆除の方法や食べ頃、肥料にやり方などは

中学生になった私のスイカやトマト作りの貴重な経験として

生かされるのでありました。

この様に自分の子、他人の子の隔てなく、大人達は子供達に接していたのです。

当然の事ながら悪がき大将の私は親父に撲られるより、

他人に撲られる事の方が多かったのでした。それも愛のむちであったです。

 

その393       6/13/am5.30

ある日学校から帰る時、畑の持ち主から私は呼び止められた。

ニ三日前に青いトマトが美味そうであったので一つ取って

口に入れてみたが美味くない。別のを取って口に入れてみたが

これもまた美味しくない。その様に五個ほどやったのを、

畑の持ち主は全てどこからか見ていたのでありました。

「一つやってみたら解るだろ、赤く熟れたら皆で食べられるんだ、

これからは何でも試しに食べるのは一つにしようや」

それからは畑の持ち主からいろんな野菜や果物の食べ頃を

教えてもらう事になったのである。

 

その392       6/12/am6.00

小学生の頃の通学はひとやま越えて、2キロほどあった。

その通学路には四季折々に果物や野菜などの食べ物があった。

勿論、自生のイチゴ、グミ、アケビなどもあったが農家が、

栽培している物もあり、おやつもこれですませるのであった。

朝飯を食べる時間がないときはキュウリをかじりながらの登校もあった。

通学路に面した畑の野菜や果物は私達のおやつにと、採り入れ時に残して、

私達、小学生に「ご自由にどうぞ食べてください」と言わんばかりであった。

子供に接する住民の優しく温かい心使いであったのだろう。

 

その391       6/11/am6.00

外へ出ると七人の敵がいると言われるが、

子供の頃からその事も自然に覚え、その敵は今日は敵でも、

明日はみかたと言う考え方から、殴り合いの喧嘩が有っても、

翌日は仲良しとなるのでありました。

鼻血の出るほど殴り合った彼も、翌日には何かの悪戯を私と

考える仲間の一人となるのです。

喧嘩も友情の確かめ合いだったような気がする。

自然の豊かな村の中に全てが溶け込んでいたのでしょう。

今では子供でも鼻血の出るほど撲れば相手の親から訴えられるでしょうがねー

 

その390       6/10/am5.00

子供の頃の話である。

家は貧しく麦飯で育った。 親父やおふくろから毎日の生き延びるすべを

一つ一つ身をもって教えられた。私は子供ながらにその事が身について

解り、自分から、できる事を考え、手伝いをする様になった。

危険な崖、毒蛇のマムシ、落石の起こる山道、生で食べられる山菜等々、

全てが生活の中で自然に身に付いていたのである。

親がそうしたのであろうが・・・。

家庭では子供の頃から自分の身を守ることがいかに大事か?

家族で助け合いながら生活する事の大切さを知ったのである。

明日は一歩、外に出る事にしよう。 

 

その389       6/9/am6.00

大阪で悲しい事件が起きてしまった。

この事件で私が思うことは、私が子供の頃では起こり得なかったと言う事だ。

親子の絆、近隣との付き合い、教師の権威、親の責任、何を取っても、

考え方までも違った世の中になってしまっているからである。

親が子育てをきっちりやらない。隣の子供だからと見てみぬ振りである。

学校では、子供の教育の名の元に自分の身を守るすべすら教えられない。

親もそのようである。 現代社会のひずみが表に出ただけの事である。

そのひずみを解ろうともしない現代人に良い刺激であろう。

決して、私はこの事件を賛美しているのではない。

 

その388       6/8/am4.30

『古きをたずねて、あたらしきを知る』と言う。

先人達の知恵を集めて作られた建物が数百年の歳月に耐え、今も残っている。

奈良、斑鳩の里はその見本ではなかろうか。

技法にしてもデザインにしても、決して現代にマッチしない訳ではない。

白川郷の草葺の民家も、京都の寺院建築もである。

先人達の知恵を借りて、新しい建物が生まれている事を、知らなければならない。

東京・霞ヶ関に建てられた超高層ビルの耐震の考え方は奈良・薬師寺の五重の塔の

耐震技術を現代に生かした建物である事を知る人がいるだろうか?

先人の優れた技術を見捨てるわけにはいかないのである。

 

その387       6/7/am4.30

大分県の国東半島に「吉弘楽」という祭りがある。

私は修行時代に一度だけ見たことがあり、笛と鉦の音に合わせて、

時にゆったりと、時に激しく、胸に太鼓を抱き、

背中に旗を差した独特のいでたちで、輪をつくり、全身を動かして

跳ねるように舞うものである。

その後、途絶えていたが、現在は地元の吉弘楽保存会が受け継ぎ、

毎年旧暦の6月13日に吉弘八幡社楽庭で、

五穀豊穣、虫害防除を祈って行われているようである。

是非、もう一度見たいと思っているのだが・・・・

 

その386       6/6/am5.00

農業青年Wacanさんより早速、昨日の疑問に対する答えがメールで送られて来た。

その全文をご覧下さい。私のコメントなど差し挟む余裕もありません。

こちらでごゆっくり、ご覧下さい。

後日別ページに移して永久保存版になりそうである

その385       6/5/am5.00

今朝も、我が家の庭の朝顔に逢って来た。

前々から不思議に思っている事がある。

必ずといって良いが朝顔のつるは左廻りに巻きついている。

つまり、時計と反対回りに巻き付いているのである。

不思議でならない。 

こんな事を不思議に思うのは私だけなんだろうか?

中には右回りに巻きつく変わり者もいるのではなかろうか、見たいものだ(^○^)

 

その384       6/4/am6.00

最近、私のページの画像が悪いとの御意見が増えてきている。

画像の質を落とさずに鮮明な画像をUPする技術はまだ、

私には無い。趣味の画像はレンタルされた部分にUPしている。

すぐに、容量が一杯になってしまう。

『画像掲示板』を除く容量は今まで22mbであったが、

今回、大幅UPした。 72mbまで増やした。

これで、当分は重いかも知れないが鮮明な画像を

ご覧頂けるのではないかと思っている。

今までUPした写真も、鮮明な写真に順次差替えをしていきたいと思っている。

『花博公園の今日・6月3日』は思いきった鮮明画像にして見ました。

ご意見をお寄せ下さい。 軽くて鮮明な画像処理の方法も

これからの私の課題となるようだ。

 

その383       6/3/am4.00

我が家の朝顔は二つのプランターに3株ずつ計六株である。

その朝顔が個性を発揮している。

棒を建ててやるとすぐに自分から巻き付いて行くもの、

いくら巻き付けてやっても、なぜか横道にそれようとするもの、

『そんなに急いでどこえ行く』と言わんばかりに上にのびずに横へ

広がっていくもの、良く見ていると、それぞれ個性があって面白い。

 

その382       6/2/am5.30

『写真を撮ると言う事は、今を記録する事であろう。

今は二度と来ないから、今が大切なのです。

だから、その大切な、今を残しておきたい!』

昭和62年度に障害を持った子供達と写真の勉強した時に

私の作ったテキストの書き出しには書かれてあった。

私も、基本に立返って見ている。

『雨の城北・花菖蒲』は未公開の写真を含み48枚の写真は

2001年5月31日の記録として、

フイルムに何時までも、残っていくであろう。

 

その381       6/1/am4.30

今日から六月、梅雨の季節になりました。

私の気持ちは花菖蒲、紫陽花へ、もう行っています。

雨が降り、外の仕事が休みになると、朝、早くから出かける毎日になります。

雨の日の紫陽花の葉にはカタツムリも嬉しそうにお出迎えです。

六月新規UP、更新は次の様になりそうです。

知識の部屋に『笑いたいが笑えないお話』 先ほどUP済

私の散歩道・特番に『茶筌の里・高山』 先ほどUP済

所長室に『六月の問題と五月の答』 先ほどUP済

私の散歩道に『雨の城北・花菖蒲』 2001/5/31am 撮影済

Kの部屋に『紫陽花の寺・矢田寺』 計画中

大阪バリアフリー事情に『投稿写真集』 編集中

私の散歩道 法然院に『初夏の法然院を往く』 計画中

是非、お越し下さい。『画像掲示板』に皆さんの写真をお待ちしています。

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