その348       4/30/am5.00

いよいよ四月も終わる。

巷ではGWだと楽しんでいる。国内旅行に、海外旅行、

果ては宇宙旅行に行っている民間人もいる。

私のGWの旅行はネットの上の国内旅行となりそうだ?

外国旅行と行きたいが言葉が解らずに迷子になりそうだから

やめておこうと思っている。

それよりも我が家を訪れてくれるお客様のおもてなしをしなくてはならない。

明日のお客様はどんな方だろうと楽しみにしている。

予約なしで突然、お越しになられるお客様ばかりであるからだ。

インターネットの世界は面白い。

 

その347       4/29/am6.00

検索サイト「ヤフージャパン」に「K−plan バリアフリー」と入力すると

私のHPをリンクして頂いている各サイトのHP URLが表示され私のHPが紹介されている。

12件中10件が私のHPになっている。

こんな所からも私のHPにアクセスして頂いていると言う事を知った。

ところが、困った事に他のサイトでは私の全てが顔写真入で公開されている。

仕事をしている以上、仕方のない事なのかも知らないが、

正しいアクセスを期待している。

 

その346       4/28/am5.00

小さな親切 あなたもできるボランテア

 

その345       4/27/am4.30

今では猫も杓子もボランテアのお題目の基にボランテア活動なるものが

もてはやされている。

ある日、突然、葉書大の賞状と丸い小さなバッチが送られてきた。

昭和40年代のことである。

あなたは「小さな親切をしましたのでこれを送ります」

別紙には私の行った行為が書かれてあった。

私は当たり前の行為が相手には、どれだけの救いであったのだろうか。

昭和38年、当時の東京大学総長:茅誠司(カヤセイジ)氏らの提唱により

「できる親切はみんなでしよう!それが社会の習慣になるように」をスローガンに発足。

茅先生の残された 「小さな親切運動」ボランテア精神の発祥ではなかろうか。

地下鉄の中で 「おかけになりませんか」と声を掛ける。 

そんな、小さな親切から始まるボランテア精神はどこへ行ったのだろう。

「小さな親切運動本部」

 

その344       4/26/am5.00

町中でもこいのぼりが見られるようになった。

庭に高い竿を建てて大きなこいのぼりを泳がせている。

マンションのベランダにも可愛いこいのぼりが泳いでいる。

昔、私の家ではおじいちゃんが私の為に熊にまたがり、

大きな斧をかついだ金太郎さんの置物を飾ってくれていたのを、

今もはっきりと思い出す。

「行入だより」ではガータロ湖を無数のこいのぼりが泳いでいる。

 

その343       4/25/am4.30

白い花が沢山咲いていたえんどう豆も実がつき

丸く、太く膨らんできた。

この畑のえんどう豆は誰が食するのであろうか?

そんな事はどうでも良いかも知れないが気になる。

300坪以上もあろう畑、全部がえんどう豆であるからだ。

通学路に面した畑の横を小学生達は気にもならないのであろう

元気に通学している。

 

その342       4/24/am5.15

兵庫県伊丹市の花に指定されていると言う「花見月」の花が

伊丹市では満開である。 市内に入ると道路の両側に、

ピンクと白の「花見月」の並木があり見事な景観である。

民家の庭先にもこの木が植えられており、新緑の葉に映えて、

今が見頃と咲き誇っている。

そのピンクや白く見えるのは花びらではなくて葉であると言う。

それでは、「花見月」の花は何色なのだろうか。

ゆっくり、見たいものだ。

 

その341       4/23/am5.30

おだやかなオフ会となる予定であったが北風に悩まされ

段々と気温は下がっていく、雨こそ降らなかったが最悪のオフ会日和と

なってしまった。風車の丘のチューリップも日本庭園の八重桜も、

何時もは五月の連休までは見れるのに今年は早々と姿を消しつつあった。

自然の力にはどうする事も出来ない事につくずく思い知らされた一日であった。

 

その340       4/22/am4.30

昨夜、夜半まで続いた雨も上がったようだ。

満天の星空とまではいかないが雲も切れ始めている。

絶好のオフ会日和になりそうである。

雨上がりの花は又、一段と美しく生き生きしている。

私にしては二度目のオフ会であるが、花博記念鶴見緑地の花たちが

私に代わって、参加していただく皆さんを歓迎してくれるだろう

参加は15人になりそうである。

 

その339       4/21/am4.40

KFさんの実家からたけのこが送られてきた。

便利になって朝掘りのたけのこは翌日には食べる事が出来る。

その荷物の中に「ポッコン菓子」と言う珍しく懐かしい物も送られてきた。

私の少年時代、国東半島では「御接待」なる行事が行われており、

春、秋二回のこの行事を楽しみにしていたものである。

「御接待」には「ポッコン菓子」「そうめん」「山菜入りご飯」などがふるまわれて、

老若男女が「御接待」の行われている家々を廻ったものである。

最近、私の集落も、その行事が復活した様でKFさんの実家も「御接待」をした。

孫娘の為に「ポッコン菓子」を送ってくれたのである。

「陸の孤島・国東半島発」のとっさんの集落も行われた様でHPの、

「歳時記・国東半島の今昔」で紹介されている。

 

その338       4/20/am6.00

北原白秋のかっての妻であった江口章子は大分県国東半島の

風光明媚な地、香々地町の造り酒屋の三女として明治二十年四月一日に生まれた。

詩人北原白秋を今日のような名声にした章子の功績と波瀾に満ちた

人生はあまり知られていない。 章子、十八才の時、当時、大分で弁護士を

していた、安藤茂九郎と結婚、夫の不行跡に悩まされ

二十四才で離婚、その後、平塚雷鳥の紹介により、白秋を知るこことなる。 

大正九年五月「木兎の家」の落成式の席で、

北原家の人達と口論となり、その夜、雑誌「大観」の編集者池田林儀と失踪、

わずか四年間の夫婦であったが白秋が章子と巡り合わなかったら、

今日の名声はなかったであろう。

それほどに、章子の内助の功は大きかった様だ。

その後、章子は「交蘭社」から散文集「女人山居」を出版、昭和九年「海図社」から、

「詩集「追分の心」を出版、昭和十九年故郷に脳病の保養の為、帰ったが、

故郷の風は冷たく昭和二十一年十二月二十九日、狂った章子は座敷牢の中で、

波瀾にとんだ五十九才の生涯を終えた。参考資料「梅原治夫著「国東半島を往く」

今、この地、長崎鼻に江口章子の歌碑が残っている。

 

 

 

 

 

 

 

その337       4/19/am6.00

なにゆえに

うらぶれはてて

故郷へはかへり来し

いまさらにうらぶれの身の

かへるまじきは

ふるさとと

砂白き浜にしるさむ

以下略

この詩の作者江口章子は大分県国東半島の香々地町出身である。

 

その336       4/18/am4.30

阿倍野筋を下り四丁目交差点を東に向かうと、「文の里」に出る。

文化の香りがする地名である。

今、大阪、奈良、京都の交わる所に研究学園都市が開かれているが、

「文の里」は1920年代に作られた学園都市である。

当時はまだ、建物がほとんどない荒地であったこの地に大正13年(1924)

外観はアールヌーボーの大阪市立工芸学校(現在の大阪市立工芸高等高校)が、

出来たのである。 ベルギーのアールヌーボーの建築家・ヴァン・デ・ヴェルデが

設計したドイツのワイマール工芸学校(1906)がモデルといわれている。

その後、校舎の増改築が何度も行われたが、設計監理は全てこの学校の卒業生が、

担当していると言う。この建物も老朽化が進んでいたが、

改修工事が行われて、外観は当時のままに、見ることが出来る。

ちなみにK‐planの娘もこの学校の卒業生である。 

 

その335       4/17/am5.00

ある会社の社長の片腕となって20数年、その道一筋に、

働いた社員が、その会社を辞めた。

その原因は、聞いたわけではないが解る。

社長いわく、「あの会社では出来るのになぜ、うちの会社では出来ないのか?」

私「あの会社では手抜き工事をやっているのでこの金額で出来るのです」

社長「わしも、あの工事を見たが手抜き工事など無かったぞ。」

そうでしょう、それだけ見る目が無かったのであるが頑として私の言葉を信じない。

又、ある時、その社長「君の見積は高い」と言うのだ。

私は「これはそれ以上に値打ちが有るのです。」と言っても聞かない。

つまり、値打ちがわからないのである。

又あるとき、私は「何故その様なことをしなくてはいけないのですか」と聞くと、

「あっちの会社がそうしていた」「建築主の希望だ」と言うのである。

あまりにも、無知な言動に私は呆れるばかりであった。

自分の信念も無ければ、理念も無いから言える言葉である。

その会社の社長の片腕が辞めたと言うのである。

この不景気な時に辞める事は無いだろうと多寡を括っていたのだろう。

当然かも知れない、20数年、会社に夜昼無く尽くし、

下請け業者や、従業員の意見を聞き、時には自腹を切って、

会社に尽くした人物であったからである。

今、そんな会社は沢山、倒産していっている。

 

その334       4/16/am6.30

 京都・河原町の加茂川の川風に 吹かれて新緑の柳がゆれていた。

 その上流に川に渡したロープに

 こいのぼりが川上に向かった泳いでいた。

 昨日の、旅はここから始まった。 

 仁和寺が桜の見頃となったと言うのに、

 仕事で行けないと思っていたが

前日の夜になってキャンセルされた。これ、幸いと朝早くから出かけた。

バス停では、外国の若い女性に声を掛けられた。一人旅の様である。

金閣寺への行き方の様であるが、ノー、スピークイングリッシュの私は

バスの時刻表の系統番号を指差し、今度、来るバスの時刻を指差す事で

ことが足りた様である。片言の日本語で「アリガトゴザイマス」と返ってきた。

私も同じバスで仁和寺まで行った。

先に下りる彼女は「サンキュウ」と声を掛けて降りていった。

ああ―、もう少し、英語の勉強をしておけば良かったなー

 

その333       4/15/am5.00

「桜の花は終わった?」

「いえいえ、これからが見頃ですよ」

「東北か北海道ですか?」

「いいえ、大阪ですよ」

「ああ、葉桜ですか?」

「いいえ、造幣局の通り抜けですよ」

大阪造幣局の通り抜けは4月17日〜23日まで行われる。

アクセス等はこちらで

http://www.hananokai.or.jp/meisyo/me-30.htm

 

その332       4/14/am4.20

知恩院の七不思議

その番外「つけもの石」

 御影堂の前に大きな柱が並んでいる。この柱の足元につけもの石がある。

ある日、左甚五郎がこの柱の一本だけ長さが短い事に気づいた。

さて、どうしたものか? 全部短い柱にあわせて切っても良いが、

バランスが悪くなる。 考えたが良い方法が見つからず悩んでおりました。

それを見た妻は「何を悩んでおりますか?」と尋ねた。

これこれしかじかと全てを話した。妻はこんなに悩んでいる甚五郎を見たことがなかった。

やわら、妻は納屋に行ったかと思うと漬物だるの上に置いてあった平らな、丸い石を持ってきて、

「その短い柱の下に使ってください、私があなたにしてあげられる事はこれしかありません」と言うのである。

「そうだ、全ての柱を短いのに切りそろえて、石を敷く事にしよう、柱も腐らずバランスも良い」と

言う事で現在は柱の下に石が敷かれている。

山之内一豊の妻は主人が馬を買うためにへそくりを出した。

左甚五郎の妻は漬物石を出した。 夫婦愛情物語の一席でありました。

左甚五郎をご存知ですか?「私の好きな人 左甚五郎」ただ今編集中

 

その331       4/13/am4.40

知恩院の七不思議

その七「大杓子」

 すべての人々が救いとられると言う一切衆生救済を表したもの。

 重さ約30Kgあるといいます。

この杓子でこの世の悪を掬い取っていただきたいものだ。

この七不思議は華頂山知恩教院大谷寺(知恩院の正しい名前)の

パンフレットを基に私の新説、奇説、珍説を交えて書いてみました。

明日はその番外編です。

 

その330       4/12/am5.30

知恩院の七不思議

その四「抜け雀」

 襖の雀が、あまり良く描かれたのでどこかへ飛び立っていったそうな。

「そんな事あるわけないよ」、ところが確かに襖には何か書いたような跡がある。

心を磨きこの襖絵を見ると雀が見えると言う。

その五「三方正面真向の猫」

 狩野信政筆。 どこから見ても見る人の方を正面からにらんでいる。

その六「瓜生石」

 その昔、この石から胡瓜のつるが伸びて花が咲き瓜が青々と実ったのだそうな。

 

その329       4/11/am5.00

知恩院の七不思議

その二「白木の棺」

 三門を建てた普請奉行の五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められている。

その三「忘れ傘」

 左甚五郎が魔よけに置いたと言われている。知恩院を火災から守ると信じられている。

御影堂の正面右手の軒先の垂木の間に置かれた、

この傘に、ほとんど気づく人はいないが甚五郎は何を思ってのことだろうか?

307、80年前に置かれたと思われる傘は今も見ることが出来る。

目を凝らして良く見ないと解らない。傘よりも垂木の方が大きいからだ。

 

その328       4/10/pm7.00

現場では色々にことがある。

先月、雨漏り点検の為に天井に点検口を設置した。

雨漏りではなかったのでその点検口は後日の為に残す事となった。

その後、突然に電話があった。

「先月、開けていただいた点検口から覗いてみると、スズメバチの大きな巣がある」

と言うのである。 詳しく聞いてみると、私の開けた点検口の横60cmほどの所に

直径60cmほどの、巣があると言うのだ。

私は、雨漏りのすると、言われる側は徹底的にチェツクしたが

そのスズメバチの巣は真横にあった為に発見できなかったのである。

もし、私が発見したとしてもどうすることも出来なかったであろうし、

私は失神していたかも知れない。

知らぬが仏とはこんな事を言うのだろうかねー。

今日、専門業者の手によって無事撤去された。 やれやれ

 

その327       4/10/am5.00

お寺にはいろんな言い伝えや、珍しい縁起が沢山ある。

昨年12月5日(その205)で大分県国東半島の両子寺(ふたごーじ)の

七不思議を紹介したが今回は京都、知恩院の七不思議をご紹介しましょう。

その一「鶯張りの廊下」

 歩くと鶯の鳴き声に似た音が出る。忍者もその音を消せなかったのだそうだ。

この寺を建てた左甚五郎の失敗した技法を自ら、このように、

音の出る床として完成させたこの人の技術に驚いている。

良く、今の大工が工事のあと床鳴りをする床を冗談半分に鶯張りだと、

言うがまったく違う工法であり、似ても似つかない。

甚五郎の鶯張りは偶然に床鳴りを起した工法に注目して、その鳴りが

永久に続く様に工夫してあるのだ。 職人の知恵が見える。

 

その326       4/9/am5.30

平成12年4月11日、私のホームページは産声を上げた。

初心者の私にとってここまで続けられるとは思っても見なかったことである。

私のつたないページにアクセス頂いた皆さんのお陰であり感謝している。

これからも、私を応援していただきます様に心からお願い致します。

「このページがみなさんのお役にたちますように」頑張ってまいります。

ご声援よろしくお願い申し上げます。

私の独断と偏見に満ちた「大阪バリアフリー事情」は障害を持った方々の、

ご意見によって誕生致しました。 ご協力ありがとう御座いました。

これからも、ご遠慮なくご意見、ご相談、ご要望をお寄せ頂きますように、

このページの続く限り「大阪バリアフリー情報」の継続をお約束致します。

 

その325       4/8/am5.00

昨夜は陽気に誘わせて桜の花の下に宴会場が出来ていた。

今、桜と言えば「ソメイヨシノ」と言うのが一般的であるが、

以前は、山桜の事を言っていたのだそうだ。

「ソメイヨシノ」は元々自然には存在しなかった。

江戸時代、江戸、染井村の植木屋が、「オオシマ桜」と「エドヒガン」を

かけ合わせ「吉野桜」として売り出したのが最初だそうな。

今、「吉野桜」といえば奈良県の吉野桜(山桜)が有名で、

明治33年紛らわしくなったので「染井の吉野桜」は、

その地名を取って「染井吉野」と改名されたのだそうな。

さて、今日は、私も、花博記念鶴見緑地で孫娘と花見でもする事にしよう。

 

その324       4/7/am4.30

4月19日から21日まで大阪南港の「インテック大阪」において、

高齢者、障害者の生活するなかで「あったらいいな」と言う、

色々な機器や商品を集めた展示会が開かれる。

広大な会場いっぱいに展示された商品は、

私が仕事をする上にはなくてはならない資料となる。

毎回のことであるが、何か、利用できるのではと、

両手で持てないほどの資料を持ちかえる。

今回も、何か新しく開発された商品が出展されているであろう。

詳しい資料やデーター、アクセスなどhttp://www.itp.gr.jp/bf/でご覧頂けます。

 

その323       4/6/am5.20

大阪市環境事業局舞州工場は完成した。

NHK大阪放送局放送会館もまもなく完成する。

大手建設会社の共同企業体の工事であったが、

微弱ながらK‐planの娘もお手伝いした。

私の下を離れての参加であり、万分の一もない仕事量で

あったが良い経験になっただろうと思う。

そして、その経験は自信となり、これからの仕事に生かしていってほしい物だ。

K−planの娘は今、他の大プロゼクトの一員として働いている。

私はK−planの娘を誇りに思っている。

 

その322       4/5/am5.30

大阪管区気象台は大阪の桜が満開になったと、昨日、発表した。

東京よりも遅い満開の様である。 その桜の花に異変が起きている。

椿の花が散るように一面に散っている。

良く見ると花びらの付け根の所から切り落とされた様に?

小鳥やからすの仕業らしい? せっかく咲いた桜なのに?

小鳥やからすから人間に何かの警告をしているのではなかろうか?

ただのいたずらであったら良いのだが?

 

その321       4/4/am4.30

桜の花の満開に目が行くが現場近くの畑には

えんどう豆の蝶のような白い可憐な花が今、満開である。

茎や葉の薄緑色の中の白い花は良く目立つ。

KFさんが通院している病院の駐車場脇の花壇には、

二株の水仙があり、三輪づつ白い花をつけている。

この水仙に気づいている人はいないようである。

私はその前に車を止めてそっと眺めている。

 

その320       4/3/am5.00

今日も、嬉しい報告ができる。

としき君の心臓移植手術が終わった。

お母さんの言う様に「としきが元気になったよ」と

帰国できる日もそう遠くはなかろう。

詳しい事はこちらでご覧頂けます。

 

その319       4/2/am6.00

昨夜はどうもレンタルサーバへの接続が悪く新しいページの

アップロードが出来なかった。

折角の京都の春が一日遅れのUPとなった。

「京都の春み〜つけた」やっとただ今、更新完了した。

私の体重の様に重い、軽くしたいのだが人間もHPの写真も、

ダイエットは難しい? 

何とかしなければならないのは解っているのだが?

 

その318       4/1/am5.30

今日から四月、いよいよ花の季節である。

久しぶりに撮影に出かけて見よう。

天気はどうかな?、カメラはどれを持っていこうか?

フイルムは何にしようかな? 今、悩んでいる最中である。

仕事でも同じだが綿密に計画しないと失敗する。

カメラの趣味の人はそれを余り考えない。

写真の趣味の人はそれを考えて撮影に出かける。

さて、ぼちぼち出かけるとしよう。 ちょっと早いかな?

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