その117 9/7
9月と言うのに毎日暑い。
それでも木陰に入ると秋の気配がする。
秋になると私の病気が始まる。
食いすぎ、食欲の秋、読みすぎ、読書の秋、
いえいえ、そんなのではない。
写真の秋だ。 彼岸花、コスモス、稲穂、紅葉、祭り、
運動会など被写体の彼女たちが、おいでおいでと私を誘う。
彼女たちの誘惑に私は仕事が手につかなくなる。
毎年のことである。 妻も呆れていたが最近は、
彼女達の魅力に引かれ同伴でお誘いを受ける様になった。
その上、妻の方が彼女たちの魅力をカメラに収めるのがうまくなった。
もうすぐ私のホームページに妻の撮った写真が並ぶだろう。
その116 9/6
NHKの「プロジェクトX」と言う番組を私は好きだ。
黒四ダム建設の物語、富士山測候所建設の物語、
カメラのオートフォ―カスの開発秘話等々である。
昨夜は東京タワーの建設に命をかけた男達の物語であった。
現存するテレビ塔では世界一高い東京タワー(333m)の建設に、
携わった一人の技術者と一人の鉄骨組立て職人を中心に、
計画段階から完成までを実写フイルムとそれぞれの証言で、
番組は構成されていた。
鉄骨組立て職人は東京タワーの鉄塔が組みあがったら、
結婚しようと見合いした彼女と約束し、その翌日を結婚式と決めて、
鉄塔組に命をかけるのである。
この番組を見終わっての感動や清々しさはなんであろうか?
作り物でない本物だからであろうと思う。
その115 9/5
10月1日 全国いっせいに国勢調査がおこなれる。
今月下旬より調査員といわれる人達がそれぞれの
家庭をまわって調査する。
プライバシイの問題もあって色々大変だそうだ。
すべての国民のすべてを統計として残そうと5年ごとに、
行っているのだが、いつも、何がしかの問題が起きている。
それはこの調査によって何が解かり、何に利用するのかが、
解かっていない。又、国もあまり広報活動をしていない様に、
思える。 そう思うのは私だけだろうか?
その114 9/4
久しぶりに明るいニュースが新聞にあった。
障害者を助けて働く「介助犬」が兵庫県で認められた。
県内の公共施設約2000か所、県衛生同業組合連合会
加盟の約14000店舗の飲食店等の協力による。
兵庫県「介助犬同伴利用促進要綱」が全国で始めて、
施行されたからである。
第1号に認定された介助犬「シンシア」の活躍によって
全国で介助犬の必要性が認められる日も遠くないだろう。
その113 9/3
一級河川淀川の大阪市内最上流部に平田の渡しがあった。
私が大阪に来て始めて乗った渡しである。
東淀川区から旭区を通って太子橋と言うところまで、
仕事で1週間ほど通勤したことがありその時、利用した。
大阪市の資料によると1676年に大阪町奉行所から許可を
受けて澤田佐平田と言う人が始めた。
明治37年以降は豊里村営となり、大正14年豊里村が
大阪市と合併した事で大阪市に引き継がれ、
昭和23年大阪市直営となり、昭和43年現在の豊里大橋の
完成で300年続いた平田の渡しも歴史を閉じた。とあった。
8月には水都祭花火大会の行われる所である。
その112 9/2
大阪市内には渡船場が8か所ある。
水の都大阪ならではである。
私が大阪に来た当時は14、5か所はあったが、
橋がかかって廃止されていった。
大阪市の資料によると昭和10年頃は渡船場31か所、
保有船69隻、年間利用者数5752万人もあったそうである。
道路整備が進んで昭和53年には渡船場12か所、
利用者数250万人となり、平成11年度では188万人、
利用者が少なくなったとは言え朝夕は通勤、通学の
利用者でいっぱいである。
無料で対岸まで4、5分で、運んでくれる。
手漕船ではないがなかなかの情緒である。
その111 H12/9/1
国東半島を地元の人達は「陸の孤島」と言う。
国東半島に住む人々が「陸の孤島」でなくなったのは、
ごく最近のことである。
昔は大分交通国東線と言う軽便鉄道があった。
日豊本線杵築駅から単線のジーゼルで半島の先端の
国東町まで行き、それから先は1日一回か二回のバスの便で
行くと言う状態であった。まだバスの便がある所は良いが、
バスの便のない所は2時間、3時間と歩くしかないと言う状態であった。
その軽便鉄道も台風の大被害にあって廃止されバス路線に、
変わった。 私も結婚式当日、妻と一緒に国東駅から
軽便鉄道国東線で大阪へ帰った。それが最後となった。
今は国東半島に大分空港が出来て大阪から1時間足らずで
行けるようになった。 道路も整備されている。
今の国東半島は私の言葉で言うと「心、優しい仏の里」である。
こちらもぜひご覧下さい 「陸の孤島・国東半島発」
その110 8/31
日本では「ありがとう」、中国では「シェシェ」、韓国では「コマプスムニダ」
アメリカやイギリスでは「サンキュウ」、フランスでは「メルシー」、ドイツでは「ダンケ」
スペインでは「グラシアス」、ロシアでは「スパシィーバ」
各国それぞれの「ありがとう」がある。
バスや電車でお年寄りに席を譲ると必ず「ありがとう」と返って来る。
「ありがとう」の言葉を聞きたくて席を譲ったのではないのだが。
しかし、「ありがとう」と聞くと何か気持ちがいい。
仲間内では「ありがとう」の言葉を良く聞くが、
町では「ありがとう」が少なくなった。
その109
普段は、「自分は障害者なんだ」って意識して
生活している訳ではないんだ。
みんなが普通に生活しているように、
普通に生活しているんだ。(中略)
みんなと違うように 見えるかもしれないけど、
私は、そんなに意識してないんだよ。
「歩く」って事だって
みんなが普通に歩くように 歩いてるんだよ。だから、
歩いているだけで ヘンな目で見ないで欲しい。
歩いているだけで 大変だねぇって言わないで欲しい。
歩いているだけで がんばってるねぇって言わないで欲しい。
私は ただ 歩いているだけなんだから。
みんなと 同じように ただ 歩いているだけなんだから。
私が毎日、覗くHPの日記に書いてあった。
私の息子もこう言いたかったに違いない。
その108
毎朝、新聞を見るたびに思う。
何か感動するようなニュースはないかと隅々まで見る。
大きな感動でなくても良い。小さな感動で心温まるような
記事が最近なくなっている。
色々な不祥事が続き大きく取り上げているので掲載する
スペースがないのであろうか。
それとも、そのような心温まるようなニュースがないのであろうか。
こんな事を思うのは私だけなのでしょうかね?
その107
アマチュア写真界では最近ちょっとした異変が起きている。
一つ目はモノクロの写真が増えているのだ。
写真雑誌のコンテストにも入賞作品にモノクロの写真が
多く見られるようになってきている。
カラー写真の様に色で引き付けようとする、時代は終わったのだろう。
思えば、秋山庄太郎氏や土門拳氏の写真集などのモノクロ写真が
私には好きだったと言うか迫力があった。
二つ目は女性の進出である。
どこに行ってもカメラをもった熟年女性に逢う。
女性は感性が豊かである様に思う。
写真雑誌にも女性○○コンテストというように、
女性を対象にしたコンテストも増えてきている。
又、一般のコンテストの上位に女性の名前が増えている。
女性に写真を撮る時間ができてきたと言う事は喜ばしい事だ。
その106
最近住宅メーカーのチラシ広告や新聞広告から
バリアフリーの言葉が消えた。
私の思ったとうりになった。
バリアフリーにすると建築費が安く上がるし、
ユーザーに良い印象をと、もくろんだ様だが、
一部に使用するのには安上がりになりうるが、
住宅金融公庫のバリアフリー基準に対応しようとすると、
そうはいかないと言う事がわかってきたらしい。
それにそれほどの需要も見込めないのであろう。
住む人それぞれにバリアが違うからだ。
私は、生涯住む人それぞれのバリアを、
取り除く事に専念しようと思っている。
その105
久しぶりに花博記念公園(大阪市鶴見区)に行った。
我が家からこの公園の北西入口まで歩いて10分ほどで行ける。
夏の時期にはさすがに花は少ないがそれでも百日紅の
ピンクや白い花が今が盛りと咲いていた。
春先にはチュウリップの咲く風車下の斜面にはサルビアの
真っ赤な花で満開であった。
木陰に入ると涼しい風が秋の近いのを感じさせる。
棚田のある場所には稲穂が色付き始めて案山子が見張り番
赤とんぼも飛んでもう秋だ。
その104
私のメル友にはいろんな人がいる。
昭和10年生まれでご自分のくらしを日記風に書いている人。
目がご不自由で音声による書きこみしてメールを送ってくれる人。
手がご不自由ですべてのことを足でなさる方。
この方とは一般の方が使うオセロを対戦させて、
いただいたことがあるがなかなかの腕前である。
針に糸を通してボタン付けもする。
もちろん、バソコンも足で使う。私より入力は早い。
なぜこの方々を紹介したのかと言うとこの方々の努力に
感銘を受けたからである。
最近の不祥事はこの方々のような努力が足りないのである。
大変な、うぬぼれであろう。会社組織も、親たちも、学校も、
健常者といわれる人達すべてに言いたい。
この方々のように最大限の勉強をし、最善の努力をすれば、
最近の不祥事のほとんどが防げると思うからだ。
その103
あちこちの街角で地蔵盆が行われている。
ゆかたを着た子供達の声で賑やかである。
親たちも子供の成長をお地蔵さんに託しているのだろう。
この様な光景を見ていると少年犯罪とは無縁に思うのだが?
子供の健やかな成長を望まない親はいないが、
何所か狂っている。
親たちもその狂っていることすら解かっていない。
そんな時代になってしまった。
このままではますます、狂ってくるだろう。
残念な事である。
その102
私の母から学んだ長生き9ヶ条である。
少 肉 多 采 肉は少なく野菜を食え
少 糖 多 果 砂糖を少なく果物多く
少 塩 多 酢 塩味よりも酢味で食え
小 食 多 噛 少ない食でもよく噛めば満腹する
少 欲 多 施 欲をださずに施しをせよ
少 衣 多 浴 薄着で日光浴
少 車 多 歩 車に乗らずに歩け歩け
少 怒 多 笑 怒る気持ちを笑顔に変えよ
少 言 多 行 言うより先に行え
確かにそうである。残念ながら、私は一つも実行できていない。
その101
日本語は難しい。まして文章となるとなおの事、
まだ、話す方が相手に正しく伝わる様だ。
私の様に学問のない人間にとっては理解しがたい事に、
出会うと短気の虫が顔をだす。
現場や役所でよくあることで、いつも悩まされる。
「明日お伺いします」と留守番電話、
確認のため連絡すると時間は翌朝でないと解からないと、
翌朝電話するともう出かけましたの返事である。
現場で待つ事、8時間「お待たせしましたか」と
やってくる。「ひとを馬鹿にするのもいいかげんにしろ」と
なるのである。 その会社は今はない。
その100 H12/8/21
「私のひとりごと」も100回を迎える事ができた。
嬉しい限りである。
これも、バリアのないインターネットの仲間の支援のお陰である。
毎日、見て頂いている「ひとりごと」フアンもいるようである。
毎回、クイズに挑戦しているフアンもいるようだ。
住宅に関する質問も沢山頂いている。
私のホームページはこんな方々が作っているページでもある。
毎朝、ここに書く事のできることに感謝しなければならない。
その99
今日の日曜日はゆっくり寝るぞと思っていたが大ハプニング
土曜日の昼にISDNターミナルBOXが狂ってしまった。
MAILもHPも見れなくなってしまった。
原因がわかれば何とかなったのかもしれないが、
それもわからずに、ただ、あわてるだけ。
ますます、解からなくなる。
未熟な私は昨夜は寝れなかった。
後でわかった事だがこんな時はISDNのファイルを、
「アンインストールして、インストロールし直す」
これが一番の早道である事が解かった。
これからゆっくりといろんなHPを見に出かけるとしよう。
その98
前にも話たが国東半島は文化財の宝庫である。
特に石仏が多い。道路端や田んぼのあぜ道にもある。
ほとんどの家々にも一体の石仏がある。
当然の事ながら、寺の山門には石仏の仁王像がある。
廃寺(現在は別の場所にある)となった補陀落山千燈寺の
山門の跡には一対の石の仁王像が今も建っている。
町道から横道にそれて小さな橋を渡り山道を登っていくと
朽ち果てた石段があり、さらに登ると左手にいきなり仁王像が現れる。
高さは2m以上はある。 ここから2、300mほど坂道を登った左手対岸に
姿優しい7、80cmほどの石仏があり、ここが千燈寺の奥の院であった。
私がここを訪れたのは20年ほど前の事である。
その97
私はわりあいと国東には行く。
私の設計した建物が国東には3棟ある。
私の実家、妻の実家、それと私の妹の経営する学習塾である。
別に特別な建物ではないが私なりの工夫はある。
実家は道路と敷地の高低差を利用した建物で、
道路から見れば2階建てで、玄関側から見れば平屋建てである。
道路側の1階部分には農機具の収納スペースや車庫スペースとして
使用できる様に工夫した。もう20年近く前の事である。
学習塾は町役場の近くの田んぼの中にある。
小学生を対象にした算数系の塾である。
庭には実のなる木を植えて数の教材に、敷地の中を水路が
通っているが夏にはその水路に足を漬けてカワニナ(淡水に生息する巻貝)の
観察等も可能にしてある。
又、室内には丸太の切り株の椅子や角材の切り落とし材もそのまま残した。
壁面は画鋲を使わずに印刷物を貼れる工夫がある。
その96
田舎の町の役場に行った。
商工観光課では課長と女子職員1人が
お盆休み(役所は休日ではないが)だというのに
色々と対応してくれた。
課長は「何所からおいでたかぇ」「大阪は暑いかぇ」と
私に話し掛ける。方言丸出しである。
私も方言で返す。すると「何所出身かぇ」と返って来る。
「赤松出身です」「○○さんの長男さんかぇ、今年は初盆だそうで」
会話が何所までも続く。そうするうちに、町の封筒に
観光案内や町の資料が入れられていた。
課長さん、ありがとう。
その95
星空、盆踊り、川遊び、昆虫採集と仕事より忙しく動いた。
残念な事に又、少年が事件を起こしてしまった。
地方紙に毎日、載るこの事件の記事に目が行った。
私の少年時代はどうであったろうと?
少年時代は悪がきのトップクラスであった。
学校ではよく職員室の板張りに正座させられたり、
鼻血の出るほど撲られたりもした。
帰って親に言うとお前が何か悪い事をしたのだろうと
又、親父から撲られる。それからは親父には
言わないことにしていた。
それでも、今では、その時代を恨むことはない。
それどころか大阪で暮らしていけるのもこの様な経験が
あったからこそであろう。
先生、親父有難う。私は思う。
その94 H12/8/13
「私のひとりごと」もお休みします。
大阪の空気とも、ちょっとの間、お別れです。
インターネットの事も仕事の事も、
みんな、お休みして、田舎の清々しい空気に、
ふれてきます。
まだ純粋無垢の孫と私は、すべてを忘れて、
川あそびに、海水浴に、山登りに、
盆踊りに満喫してきます。
17日にはまた、ここに戻ってきます。
「もう戻ってこなくてもいいよ」の
声が聞こえてきますが(T_T)??
その93
「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を
利用した移動の円滑化の促進に関する法律」
こんな法律ができた。説明するまでもない。
法律の名前をいえば中身まで解かってしまう。
言葉をちじめて色んな事を表現する昨今である。
そこでこの法律もちじめて「交通バリアフリー法」
と言う事になっているらしい。
その92
近畿地方は、座敷に床の間と仏間が並んだ状態で
配置されているのが普通である。
国東半島では仏間と神棚とが座敷にある。
仏間には仏壇を置くのではなく、
最初からひなだんの様に作りつけられている。
神棚は床の間風に作ってあり、一段高い位置こ、
供え物の台が置かれている。
神と仏を対等に奉る風習からであろう。
その91
平和だね。
日本は平和だね。
平和でいいね。
いつまでも平和であるといいね。
広島55回原爆忌に思う。
その90
「人の世も
重荷背負うた
綱渡り」
妻と娘は昨日、ある会社の招待を受けて、
信楽焼の郷に行ってきた。
お土産に貰ってきた湯のみに書かれてあった句である。
信楽も様変わりしている様である。
信楽はタヌキの置物で有名になっていたのだが、
最近は「ふくろう」の置物の方がよく売れるのだそうだ。
それもピンクやグリーンのふくろうだそうだ。
でも、食物屋のメニューには狸うどん、狸そば、
狸定食と相変わらず狸、たぬき、タヌキだそうである。
その89
花火に酔いしれた一夜が明けた。
水都祭の花火の無修正、無編集だが、
昨夜のうちにHPにUPしてみた。
花火の撮影も面白いが難しい。
何度、行っても思うようには撮れない。
シャッターチャンスに振り回され、
露出に振り回される。
振り回されているうちに、終わってしまう。
私には1時間が10分ほどしか感じない。
3枚しかUPしていないが、見に行けなかった
人達に喜んでいただけるかもしれない。
その88
今夜は豊里大橋近くの淀川南岸で
水都祭花火大会がある。
毎年、楽しみにしている行事の一つである。
淀川北岸よりファインダーで狙う。
だから皆さんのように「わ一綺麗だ」とかの感動は
その時はない。当然の事であるがビ−ルなどを飲む暇もない。
だだカメラのファインダーの中の花火に集中する
皆さんはそんなのつまらないと、思われるかもしれないが、
私は、その時間が仕事の事や家族の事など、
全てを忘れられる時間である。充実した時間である。
明朝にはHPにUPする予定であるが???
その87
「プロトコルと言う言葉があるが知ってるかい」
「プロトコルと言うのはTCP/IPと言って定められた
書式にしたがって発信元や受信先のコンピューターを示す
アドレスをパケットに書きこむということだ」
「TCP/IPは1989年4台のコンビーターをつなぐ
ルールとしてARPAネットで開発したんだ」
「そのARPAネットが、現在、1億6000万人の
利用するインターネットを支えている技術なんだ」
「きみ、解かって説明してるのかねJ
「いいえ、私もさっぱりわからないんです」
その86
偶然なのだろうか? 読売新聞夕刊
8月2日付の新聞に「一休とんち大賞」作品募集とある。
1.風刺やとんちを利かした「こばなしの部」
400字詰め原稿用紙1枚
2.愉快な話、困った話等々自由形式の散文
「エッセイの部」400字詰め2枚
表紙に作品タイトル、部門、住所ほかと作品募集を
知った新聞名を明記して下紀へ
〒610−0331京田辺市田辺久戸52の3
CIKビル 京田辺市観光案内所
縮め切り 8月10日連絡先TELO774−64−1364
私の一休禅師の話は、面白くも、おかしくもない
どんな作品が集まるのだろうか。発表を待ちたい。
その85
3、4年前までは宅急使でどさっとカタログが
送られてきていた。それも、新製品が出るたぴに、
小さい私の事務所では、カタログの整理が大変であつた。
最近では郵便でCDーROMが送られてくる。
毎年、定期的に送ってくるメーカーにはパソコンで、
作図したりプレゼンを作っている事を連絡したからである。
もう、1、2年でCDーROMもいらなくなる。
インターネットでホームページを開き、
直接図面上に落とし込めるようになるに違いないからだ。
仕事も速くなり便利になるのだが、何か物足りない気もする。
身勝手なものである。
その84 H12/8/1
今年は朝顔が不作である。
残念ながら白色の花は1輪も咲かずに終わりそうである。
五株の内の2株は青色で一番早くに花をつけた。
日の出と同じに花が開き始め2時頃まで咲いている。
どうやら昼咲く朝顔と言う種類らしい。
赤色の朝顔は朝早くから咲くが10時頃はもう花がしぽむ、
早咲きあり、遅咲きあり、咲かない花もある。
人間のそれを感じる。
その83
暑中お見舞い申し上げます
7月始めより計画しておりましたホームページの
改修作業も何とか終わり8月1日より、
公開できる様になりました。ただ、一部に計画中の
所もありますが公開に踏みきる事といたしました。
ぜひ、ご覧いただきまして、
ご意見をおよせいただきます様、お願いいたします。
例のごとくクイズもございますので頭の体操に、
お役立て頂きますれば幸いに存じます。
その82
暑い日が続いている。
え−やん君もあついあついと言っているようである。
私も今一番熱くなっている。
7月30日までに、何とかHPの大改修を完成させようと、
項張ってきたが最終段階で法解釈による確認作業が、
必要になってきた。色々と解釈はあるようで、
私の解釈が正しければそのページをUPして、ほぼ完成する。
今日は法解釈の熱い論議が行われる。
明朝に、乞うご期待といきたいものである。
その81
我が家では夏の旅行計画で賑やかだ。
毎年、夏は家族全員で旅行する事にしている。
今年は私の母の初盆なので大分の田舎に行く事になった。
交通機関の準備は終わったのだが?
盆鋪りがあるので、ゆかたを持っていこうか?
妻と娘が相談している。そこへ孫が私のゆかたはあるの?
私の水着は?と女3人で話が弾む。
私のゆかたの話はない。
妻がちやんと準備してくれているのだろうが???
その80
(^O^)Tさん、そんな無茶なこと言わないでよ?(^O^)
(^O^)ウインドーズみたいな可愛い娘にまだ、振り回されている私に?
(^O^)でも、この娘が好きになって来ています。
ぽちぼち言う事を聞いてくれるように、なっています。
少しですが可愛い所も、意地悪な所も、解かりだしたところです。
ちょっとマックと浮気をしてみたい気もしますが?
男って、いつも浮気心があるもんですね。
その79
今朝はパソコンがちょつとすねている。
面白いもんだ。まったく、人間と同じのようだ。
怒ってみたり、すねてみたり、使う人間に、
似てくるようだ。今朝、早くにちょつと難題を、
私が押し付けてみた、それからと言うものまったく、
動かなくなった。おだてたり、すかしたり、なだめたりで、
何とかここまで機嫌を直してくれた。
妻より厄介なやつだ。
その78
今、中之島公会堂が改修工事の真っ最中である。
(正しくは大阪市中央公会堂と言うのだが)
北浜の株仲買人、岩本栄之助氏の寄付で
大正7年(1918)完成した。
完成当時には正面屋上に、口一マ神話の職人、商人の
守護紳・マーキュリーと、知恵・技芸の女紳・ミネルバの
ブロンズ像があったが、悲運にも戦時中の金属供出で今はない。
解体の話も出たのだが何とか善意の基金で保存改修の運びなり
今、行われている。基本設計をした岡村信一郎氏(1932年没)も
喜んでくれているに違いない。
その77
私の母校の小学校には校庭を見下ろす所に大きな石がある。
その石に「一村一心」と刻まれている。
何時のころに刻まれたのかは解からないが、
母から聞いた話だと昔からあったというので、
戦前からあったのであろう。
村人が心−つにしてと言う事らしい。
大分県の平松知事は「一村一品」運動を成功させた。
「一村一品」には意外な発想をした町長がいる。
「私の町は特産品もなければ、観光名所もない、
ただあるのはきれいな空気だけ」その発想から、
その町の一品は空気と言う事になる。
今、その町には精密機器のキャノンとソニーの
組立てラインの工場があり、その町の過疎化に、
歯止めをかけるのに、一役かっているのだそうである。
その76
毎週2回、夜、孫娘が来る。テレビを見に来る。
「サザエさん」と「どらえもん」のマンガを、
我が家で見る事になっているらしい。
何時の頃からかはわからないがそうなっている。
私が家にいる時は一緒に見る。
私がいない時は小さい紙切れに手紙を書いて置いていく。
「わたしのおじいちやんはいつもおしごと夜に帰ってくる」
絵日記風の手紙が置いてあった。
その75
建築基準法 ハートビル法 建築士法
建築業法 都市計画法 消防法 住宅金融公庫法
道路法 駐車場法 文化財保護法 民法等々
一戸の住宅を設計する毎にこの様な法律に取り囲まれる。
その上、毎年毎年、少しずつではあるが改正される。
改正される度に講習を受けたり、資料の収集をする。
今年6月に大改正が行われたので、これから8月末までは、
講習、講習の毎日になる。仕事が手につかない毎日となる。
息抜きに各地のホームページを見る。
その74 H12/7/22
私にもバリア(障壁)がある。
一つ目は私の指も頭もパソコンについて行けない。
ローマ字入力ができない、今まではひらかな入力が
できれば必要がなかったので、気にもしていなかったのだが
ホームページ作りには欠かせない。
右手人差し指一本の入力で今は何とかしている。
二つ目は、金がない事である。
三つ目は・・・・・
沢山のバリアがある
誰かわたしのバリアを取り除いて一
高齢者や障害者から見れば馬鹿げたバリアなのかも知れない。