小さな親切運動』できる親切みんなでしよう それが社会の習慣になるように 7月へ その4321 6/30 am4.30 新聞によると来る7月14日夜、私が卒業した小学校がお化け屋敷になるそうだ。 市が開催する催し物の一環だそうだ。 誰がお化けになるかって?そんな事は新聞記事にはない。 「お化け屋敷で芽生える恋」 (問い合わせ先 電話0978−72−5161 国東市政策企画課) 成功を祈る。 これ以上は著作権の侵害になりそうである。 お化け屋敷になる旧小学校(k−plan撮影) その4320 6/29 am5.30 昨日の農作業 この面を合わせてほぼ同じ面積をあと2面の草刈りで゜一日暮れた。 少々足も腰もがくがくしている。 一日寝る事にしよう。 その4319 6/28 am3.00 雨が上がると暑くなる。昨日も体感気温は高かった。 午前中はゲートボールの練習があり10人も集まってワイワイガヤガヤ。 午後は草刈り機を振り回して2時間ほど。 その後、珍しい紫陽花を頂いたので10本の挿し芽をしました。 八重の房の固まった品種です。 そして葉の付き方が3枚ずつ。 説明より写真で ・ ・ ・ その4318 6/27 am3.00 雨続きで農作業ができなかった事から昨日午後やっと 何回目かのサニーレタスの定植ができました。 畑ではミニトマトが色づき始めています。 スイカもカボチャもソウメン瓜も随分伸びました。 そして花を付け、早いものでは実を付けています。 今日からはゲートボールの練習の合間に草刈りをします。 雨の栄養を吸収したのでしょう2週間で40cmほども伸びました。 その4317 6/26 am5.30 私のサーバーの写真棚には215枚の写真が保管されたままだ。 たまには虫干しも必要だろうと広げてみた。 随分古いものもあるがこの機会に皆さんにも公開することにします。 ごゆっくりご覧ください。 その4316 6/25 am5.00 国東半島・宇佐が世界農業遺産に登録された。 そんな事で浮かれている場合か? 乾燥椎茸の値は下がりっぱなし。 国東特産の七島イは廃れてしまった。 (特定の金儲けの手段では存在するようだが ・ ・ ) 登録された事で税金の無駄遣いが出来ると喜んでいる脳なしもいる様だ。 こう言われて腹が立つならやってみろ。 世界に名を残す椎茸に七島イの復活を ・ ・ ・ その4315 6/24 am5.30 今日も雨のようだ。 鬱陶しいが紫陽花は生き生きと輝いている。 ユウ君はつまらさそうに小屋の中で4本足投げ出して寝てばかり。 私はパソコンに向かって写真の整理に夢中。 机の上はアルバムが山積みだ。 総てをスキャンしてCDに焼き付けてしまえばこの部屋は広くなるのだが ・ ・ ・ねぇー その4314 6/23 am4.00
その4313 6/22 am4.00 20日、早朝からの雨は昨夕までに190mm(自家製雨量計)に達しました。 そんな雨でもユウ君は散歩に行きます。 私は傘をさしていますがユウ君は濡れ鼠、いや、濡れ犬です。 時々、ブルブルッと雨粒を振い落します。 それでもすぐにびしょ濡れ。 帰ったら乾いたバスタオルで拭くのですが嫌なようです。 今日は雨も止みそうです。ユウ君のシャンプーをしようと思っています。 紫陽花は気持ちよさそうです。 さて、ユウ君は?? その4312 6/21 am4.00 昨日の国東半島は梅雨らしい雨の一日でした。 降水量は99mm(国土交通省テレメーター・国東)を記録しています 傘を差して60株ほどある我が家の紫陽花を記録に残しました。 昨年は「50株ほどの紫陽花を記録に残した」と言ったと思います。 毎年、10株ほどずつ挿し芽で増やしています。 『2013・紫陽花の候』公開しました。 その4311 6/20 am3.00 我が家では珍しい部類に入る紫陽花だ。 花の名前は難しい。 この花もガク紫陽花であるが正しい名前は判らない。 挿し木で増やそうと長年続けているが上手くいかず昨年やっと数本が成功した。 その4310 6/19 am3.00 この紫陽花は一株しかなかった事から挿し芽をして増やし今では10株ほどになった。 ガクアジサイの種類で『スミダの花火』と言うそうで集落では珍しい様である。 この花を見ると線香花火を想像する。 線香花火を真下から見るとこの紫陽花そっくりに見えそうである。 その4309 6/18 am5.30 悲しい事です。来年のこの場所からの写真からはこの中の一棟が解体され無くなります。 その4308 6/17 am2.30 もっと梅雨らしくなってから紹介しようと思っていたが一向に梅雨らしくならない。 仕方なくホースで散水し、いかにも梅雨に咲く花を演出して公開となりました。 我が家では珍しい種類の「おかめ紫陽花」と呼んで゛います。 この紫陽花はこれで満開です。 その4307 6/16 am2.30 昨日の花は子供の頃は自然に覚えていただろうが、いや、覚える必要がなかったかな? 今、改めてみると実が生った状態はとても想像できない。 もちろん、木に付いた状態で見るから冬に真っ赤な実をつける南天とわかるが この花だけ見せられると到底南天は想像できない。 以前にご紹介した栗の花が今、満開を迎えている。 この花もいがぐりに成長するとは想像も出来ないのだ。 さて、それではこの実は何の実かお判りだろうか? 現在、成長段階の実である。 その4306 6/15 am4.30 昨夜の雨で紫陽花も元気になっただろう。 今、我が家で花といえば一番に紫陽花だ。 大小合わせて60株ほどが次々と満開を迎えている。 紫陽花の鮮やかさに比べればあまりにも清楚に咲いたこの花は実の鮮やかさを想像できない。 この花も満開である。 その4305 6/14 am5.00 何処かでは「小さな親切、大きなお世話」の様だ。 世間では「小さな親切、皆んなが笑顔」だ。 昨日、小さな親切運動が始まって50年を迎えたという。 私とのかかわりは48年前になる。 途中、色々な事情で途切れた事もあったが現在では正会員としてお手伝いしている。 これほどに素晴らしい活動があるだろうか。 私は生涯「小さな親切」を支えに生きたいと思っている。 それが習慣になるように ・ ・ ・ その4304 6/13 am3.00 『今日は暑いぞ』と思わせる日の出の中を何時もの様にユウ君と散歩した。 10時を過ぎると何もする気にならないほどの暑さが襲ってきた。 我が家の1階の温度計は午後2時に31度を記録した。 その後は温度計を見る気にもならにかった。 2階の寒暖計は現在28度である。 その4303 6/12 am5.00 今朝もユウ君の話題からです。 「ミチクサ」とは良く言ったものでユウ君の散歩はみちくさで大半が過ぎる。 菜の花が咲き始めると大好物である花を端から食べる。 そして野いちごになり、グミになり、これからはビワになっていく。 田舎の野道や山やあぜ道にはユウ君の好物が次々と現れる。 主食はもちろん一日1度の私の与えるご飯であり、 (最近肥満気味で夕食はなくなった) デザートは大根や人参、白菜やキャベツなどの芯、時には私とから揚げも ・ ・ ・ 最近はユウ君の写真がない。それは散歩と食事以外は自宅で引きこもりだからだ その4302 6/11 am5.00 遂にと言うか、やっとと言うか150000ヒットを昨日迎えた。 平成12年4月11日に趣味と仕事を兼ねたホームページを開設した。 そして昨日TOPページのアクセスカウンターが150000を超えたのだ。 お友達からメールが届いたが何の事だかわからなかった。 落ち着いて読んでみるとアクセスカウンターがもうすぐ15万の切番になると言う。 そこでTOPページを開けたところ150001だった。 私のTOPページ http://www2.ocn.ne.jp/~k-plan/ これから先の事だがまったく予想がつかない。どうしたら良いのでしょうね。 その4301 6/10 am4.30 小雨降る日曜日、集落では農作業が行われていました。 紫陽花も一日で随分色が濃いくなりました。 その4300 6/9 am4.30 畑の植物は季節に敏感だ。 気温の高低、降水量等々 気温が高いと成長が止まる植物と成長が活発になる植物がある。 気温が高く多めに散水するか降水が一番良いようだ。 キュウリやゴウヤはあまり高温だと成長が止まるようだ。 一日2回、朝夕にホースで水やりをしてもだめだ。 トウモロコシは水をやらなくても気温が上がれば成長が早くなる。 不思議なのはどんな環境でも成長が変わらないのは雑草だけだ。 そう見えるだけなのかも知れないが ・ ・ ・ ・ ・ 。 その4299 6/8 am5.00 素晴らしいですね。すごいですね。 NHK大阪ホールの大舞台にファッションとコラボで一芸さんの麗人画が登場する。 こんな嬉しいお話が一芸さんのブログで発表された。 下の写真は私の麗人画の真似事のお手本にと20枚、直筆でお届けいただいたもの。 足元にも及ばないだろうが少しずつ挑戦して見ようと思っている。 柳澤一芸さんのブログ 一芸さんを応援してあげましょう。 その4298 6/7 amj4.00 我が家もこんな季節になりました。 雨がほし〜〜い その4297 6/6 am5.00 設計事務所を開いてまもなくの1980(昭和55)年ごろ 私が国東半島出身の建築士である事を知ってお客さんから仕事の依頼の電話があった。 お逢いしてお話を聞くと 年齢は60歳、若い頃から柔道をやっていた事。 そして40歳を過ぎた頃、講道館での試合で1勝した事。 その時の畳は国東半島で生産された畳表であった事。 そしてその感触が忘れられない事。 間もなく来るお迎えを想い出に残っているあの畳の上で迎えたいと言う。 ご病気で余生少ないお施主さんのご希望を私はかなえて上げたいと計画したのですが 国東半島の畳表は大阪では手に入らないという事がわかったのです。 国東町で畳表の売り買いしている業者(親戚)に連絡を取り6枚の豊後表を手に入れ お客様のご希望に沿う増築工事が完成したのです。 その4296 6/5 am3.00 以前にも書いたと思うが七島イの素晴らしさは全世界に知れ渡っていた。 その七島イがこれほどに作られなくなった事は何故なのでしょう。 生産性がない。つまり金儲けの仕事ではないとでも言うのだろうか? そんな事で作らなくなったとしたらあまりにも生産者の愚かさしか見えない。 1963(昭和38)年紅白歌合戦で村田英雄が歌った「柔道一代」の3番の歌詞に ♪泣きたかったら講道館の青い畳の上で泣け♪とある。 この青い畳こそ国東半島で生産された七島イであったのです。 柔道一代(村田英雄) YOUTUBE(作詞 星野哲郎) 今こそ七島イに付加価値をつけてでも生産拡大を図るべきではなかろうか? その4295 6/4 am5.00 この度国東半島・宇佐は「世界農業遺産」に選ばれた。 以前は国東半島に世界に誇る農産物が2つあった。 一つは今回の農業遺産にも取り上げられた原木椎茸。 もう一つは国東半島特産の畳表の七島イだ。 原木椎茸は現在も外国にも輸出するほどに盛んだ。 それにくらべて七島イは僅か数軒の農家が細々と生産しているだけだ。 私の子供の頃には我が家でも何処の農家でも七島イを生産していた。 私がUターンした8年前までは私の住む集落周辺でも栽培されていた。 どうして七島イが生産されなくなったのか? 素晴らしい機能を有する七島イが ・ ・ ・ その原点に戻って今回の「世界農業遺産」に選ばれた事を機会に考えてほしいものだ。 その4294 6/3 am2.00 雨の中であったが「小さなプロジェクト」は始まりました。 お昼頃、お弁当を持った4人組がやってきた。予定では10人ほどと聞いていたが ・ ・ 我が家のBBQ小屋を開放して提供しました。 お弁当の昼食からでありました。 これも「小さなプロジェクト」の一環であります。 その後、雨カッパを着たり、傘を差したりで周辺の探索に出かけて行きました。 帰ってきてから下の写真の田圃からバケツで土を運び 直径2cm程の土団子を作り始めました。 雨降りでなかったら田圃の中で行われるはずだった作業であったようです。 「小さなプロジェクト」はこうして始まったのです。楽しみに見守りたいと思います。 その4293 6/2 am3.00 この田圃でお天気が良ければ今日、お昼頃から「あるプロジェクト」が始まる。 小さな小さなプロジェクトだが成功すれば巨大なプロジェクトになる。残念ながら現在の所、 総ての公開は不可能と思われるが出来る限り公開させていただこうと思っている。 田圃は草切りも耕す事も必要なくこの状態で約半年間小さなプロゼェクトにお貸しする事になっている。 もちろん成功すれば我が家の休耕田総てをお貸ししても良いと思っている。 私は手出し無用でただ場所提供と見守るだけのお手伝いになりそうである。 記録だけは公開できずともきっちりする予定だ。いずれは総てを公開できる日が来るだろうから ・ ・ ・ その4292 6/1 am3.00 家庭菜園をするとこの瞬間が楽しみでもあり嬉しい時だ。 僅か4日で発芽したのだ。もちろん気温や降水量がちょうど良かったという事だが 何だか私の技術も進歩したのではないかと錯覚して嬉しくなるのだ。 一袋の種を買うと5mの畝が6本分ほど蒔く事が出来る。 そんな訳でもう4回ほど収穫できるほどになり収穫した。 前回、蒔いたチンゲン菜が無くなる頃にはこのチンゲン菜が収穫できる事になる。 11月頃まではまだ数回種蒔きして栽培する。 大根もホウレン草もサニーレタスも同じ様に収穫する事になる。 |