その2748 11/30 am4.00
植木鉢が一つ空いたのでサラダ京水菜を一株植えてあったかが
虫にも食われず成長していたのに虫以外に意外な強敵がある事が最近解ってきた。
畑の白菜も虫に食われていたがやっと寒くなり虫が居なくなって
結球し始めたと言うのに・・・・ その強敵とは小鳥達である。
今のところサラダ京水菜だけであるが虫が居なくなり葉物野菜を
食べているようだ。 無農薬の野菜は小鳥達もご馳走な様である。
ところで今日、遠来のお客様がおみえになる。
板碑や庚申塔に興味をお持ちの様で案内役を買って出た。
沢山の石造文化財が点在する国東半島へ皆さんもお越しになりませんか?
事前にご連絡頂ければご案内しますよ。
その2747 11/29 am3.00
11月27日に書いたひとりごとにこんな反応があった。
「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」と・・・・
こんな難しい事を言われても私の薄脳は理解できない。
そこでネットで調べてみた。
本来の意味は
「人々を頼らせることは容易だろう。しかし、理解してもらうのはむずかしい。」
現代一般には
「人々は権力に頼らせるべきで、政治の内容を教えるべきではない。」
そうか。それで裏でごそごそ金儲けしている奴がいるんだね。
解らなきゃ良いって事だね。
その中の役職について始めて知る不思議な世界を体験中である。
そういえばこんな事もあるって事です。
その2746 11/28 am5.00
今朝は「木枯らし一号」と言うべき強い西風が吹き荒れている。
ストーブを点けて2時間、やっと室温15度になった。
暑さよりも寒さの方が好きであるがこの時間帯の寒いのはどうにもならない。
昼間であれば温かくなるまで動けばよいからである。
ところで大根やほうれん草は霜がかかると美味しくなると言う実感を初めて体験した。
霜にかかった野菜の味がこれほどに美味しくなる事に今まで気が付かなかったとは・・・
美味しくなった野菜は毎晩のように「水炊き」に変身している。(@_@;)
その2745 11/27 am4.30
記念碑には膨大な予算が必要だった事が記されている。
国からの補助金、県からの補助金、町からの補助金、そして地権者からの
出資金、その多くは事業施工者やその計画に参加した村役へ流れただろう。
そうしてできた農地はその農地に対応できる大型農機具を買い、
個々の農家はその支払いに又金を出したであろう。
そうして残ったのは借金の返済だけとなる。
こんな姿を見れば若者達はこの地に住む事を諦めざるを得なくなったに違いない。
今、地元で聞けば勤め先もないこの地に残れとは言えないと言う。
折角広くなった農地を耕作するために個々に大型農機買い込めば当然の事だ。
何故、数日間の使用しかしない大型農機買うのだろうか?
以前であれは一台の農具を譲り合、助け合って使っていたではないか?
その2744 11/26 am11.30
昨夜は少々飲みすぎか? それでも目覚めはam3.00。
日の出までの海岸の散歩は心地よい。
別府湾の朝焼けまで散歩は続いた。 右に見えるのは高崎山です。
その2743 11/25 am5.30
わが家は大分空港から車で30分もあれば着く。
こんな山の中にと思うが豊富な緑と数々の文化財に囲まれた
村が限界集落となっている事の不思議はどこにあるのだろう。
帰省以来ずっと考えていたのだが結論らしきものが少しずつであるが
見え始めてきた。
その一つに行政主導の開発に無知に等しい住民が巻き込まれたようだ。
そして住民はその失敗の全てを背負わされる事になる。
その残骸として一日数台の通行量の大型農道、区画整理され放置された農地、
そしてその中には巨大な記念碑が無数に並び残骸となっている。
その2742 11/24 am5.30
早くも忘年会シーズンとなり明日は一晩泊まりの計画がある。
飲酒運転をしない為にはよい方法と言いたいが私にとっては少々出費がこたえる。
一年に一度だけであるがそれぞれの忘年会に付き合いをすると結構な金額となる。
この後も12月3日、4日と予定されいる。 それでなくても寒い懐が益々寒くなる。
仕事もなく現役を続ける事は不可能となってきた。
年金生活の私はそろそろ現役引退の時期に来たようだ。
その2741 11/23 am4.30
久しぶりの小春日和に誘われて1時間ほど紅葉見物に出かけた。
19日には駐車場もがらがらであったがニュースで「見頃」と発表された事で
観光バスから遠方の自家用車まで駐車場に入りきれない程の混雑でありました。
それほど広くもない境内は身動きもままならないほどの混雑。
わが家から車で片道15分ほどで一番近い国東半島の紅葉の名所である。
私の一番の撮影スポットはまだ少し早かったがとりあえず1ページ
スライドショーで作って見た。 両子寺晩秋 ,08 です。
両子寺(ふたごじ)は国東半島の中心にそびえる標高720.8mの
山の中腹にあり国東六郷満山の開祖、仁聞菩薩により開かれた天台宗の寺である。
その2740 11/22 am3.30
延着した事からコースの一ヶ所がカットされた。
こちらも修学旅行以来の「水前寺公園」でありました。
晩秋の公園は紅葉に彩られているのではないだろうかと想像していたのである。
そしてこれだけは外せないのだろうお土産屋に立ち寄り
皆さんは両手に持てないほどに買い込んでバスは帰路についたのでありました。
私のお土産は何時もと同じでカメラの中だけ、半分ほどでありました。
私にすればお土産屋をカットしてでも水前寺公園に行って欲しかったのだが・・・
疲れの溜まっただけの学習旅行でありました。
新装成った熊本城本丸御殿の内部である。
その2739 11/21 am3.30
50数年ぶりに熊本城の見学へ行って来た。
「豊泉大学」の科目にひとつであり中学時代の修学旅行以来で
ある事から参加する事になったのである。
6時30分、近くの公民館から出発、地区公民館で全員集合、
日の出を見ながらの旅行の始まりでありました。
56名が大型バス1台と中型バス1台で私は中型バス。
ところが大分自動車道に入ってすぐに山々は雪景色、不吉な予感の始まりでありました。
そして私たちの中型バスはオーバーヒートでSAでダウン。
もう一台の大型車に20名が移動し、すし詰め状態で発車。
やっと目的地直前でバスの修理が終わって後追いしていたバスが来た。
再び中型バスに移動。予定時間は1時間以上延着でありました。
その2738 11/20 am5.30
昨日は朝7時過ぎからみぞれ混じりの雨となりました。
早々に出鼻を挫かれた。
そして9時を過ぎた頃は一部に晴れ間の覗く天気となり
出かけることになりました。
県道29号線を走り国道213号線に出て国道10号線を
少し行くと神宮の総本社の宇佐神宮へ着く事になりこのコースを走る事にした。
県道29号線は国東市から始る半島横断に一番便利なコースであり
六郷満山の両子寺や長安寺、富貴寺、川中不動もほぼ沿線にある。
とりあえず両子寺に立ち寄ってみた。
紅葉は始ったばかりであったが観光バス1台と数台の自家用車でありました。
その2737 11/19 am4.00
今の室内気温は9度、真冬並みの気温となりました。
そんな中で何を間違えたのでしょうねー
わが家の銀木犀の真っ白い花が数ヶ所ですが咲きました。
そして今年は異常と思えるほどに皇帝ダリヤの花が目に付きます。
昨年はなかったと思われるところに沢山の花が咲いているのです。
それもほとんどが3mを越えるほどの高い所ばかりなんです。
野暮用で写真撮影もままならず少々ストレスが溜まり始めている。
久しぶりに紅葉でも撮りに行ってみることにしよう。
寒いだろうな〜
その2736 11/18 am4.30
+、−、X、=、はあるのに割ると言う文字がキーボードにない。
/で十分機能を果たすが文章で書く時は欲しい気がする。
キーボードにない文字を書く時はどうするのでしょうか?
÷と言う字は入力で「わる」とし変換すると「割る」、「悪」と共に変換される。
ついでには「かぶ」、〒は「ゆうびん」と入力し変換する。
しかし©(著作権記号)はそう簡単には行かない。
(C)でも良いとされているが・・さてさて困った。
その2735 11/17 am3.00
「JOBK」(NHK大阪ラジオ第一放送)や「JOIP」(NHK大分ラジオ第一放送)の事を
先月少し書いたが深夜は電波状態によっては「JOBK」の方が聞きやすい事があって
度々大阪のニュースを聞く事になる。
「JOIP」は639キロヘルツ、「JOBK」は666キロヘルツでありデジタルで変える事から
3回リモコンをクリックすると周波数を変えられる。
何故3回でと思うかもしれないがラジオ(中波)の周波数は9で割り切れる
周波数を使っているからである。1クリックで9キロヘルツ進むことからである。
639(大分)/9=71、666(大阪)/9=74、71と74との差は3と言う事になり
3回のクリックで周波数が変わり聞くことができるのだ。
「新・国東百景」第五十九景をUPしました。
奥様お手をどうぞパートUをUPしました。
「可笑しなニンジン栽培法」 更新しました。
その2734 11/16 am4.00
火鉢と言えば時代劇などで見る長火鉢という木製の長方形をしたものが
一番良く知られているのではなかろうか。
欅などの銘木で作られており大きいものでは長手方向は1m50cm、
短手方向60cmもあり中心に火床、両脇には小引き出しもあり
囲炉裏の原型を座敷に持って行った様な物と考えられそうである。
今では映画か古道具屋でしか見ることができなくなった。
大分県豊後高田市の「昭和の町」では小さいが実物がある。
当時は木製建具を使っていたことから換気もそれほど気にもならなかったのだが
今では機密性の高い建具に変わり炭火を使うことから一酸化炭素中毒に
ならない様にしなければ危険であろう。
わが家でも小さい頃50cm角ほどの火鉢があった事を思い出している。
それが何時の間にか陶器で作られた円形の物に変わってそれが今、
妹の家にある。 その火鉢については又書くことにしよう。
その2733 11/15 am3.00
あの滑らかな曲線と言うかふくらみと言うかはどうしてと疑問が起きる。
足触りが良く、肌触りもよい形として考えられたのだろう。
それでは表面の凸凹は何故?
疑問はまだまだ始ったばかりだ。
第一に考えられる事は熱による膨張・収縮に備えるための工夫であろう。
第二に表面積を多くして熱の放射を良くしているのだろう。
布団の中にある間はなかなか冷えないが布団の外に出すとすぐ冷えると
言う事からも理解できそうである。
昔から個人用の暖房器具として使われている「湯たんぽ」(ブリキ製)を
今では私も愛用中である。
大変便利で快適なエコ暖房機であるが低温やけどが起こることがあると言う。
明日はこれもエコ暖房機「火鉢」について少しだけ・・・・・
その2732 11/14 am3.00
国東半島も朝夕は随分寒くなりました。
君は毎晩先に布団に入って暖めてくれる。
そして僕の冷たい足を暖めてくれるね。
僕は早々と眠りに入る。
気がつくと布団の外に君はいる。
僕は君を引き寄せて、なだらかなふくらみを僕の胸に押し付ける。
そして再び眠りにつく。
気がつくと又、布団の外に君はいる。
再び君を引き寄せてしっかりと抱きしめるのだ。
冷え切った君の中から温かい気持ちよい温度を感じ
僕は再び眠りに入る。
そんな一週間が過ぎようとしている。(@_@;)
その2731 11/13 am2.00
わが家に珍客である。
時々ユウ君に似た足跡が畑の中にあることに気づいていたのだが
何処かの野良犬か猫であろうと想像していた。
ところが昨日午後、裏の畑で日向ぼっこをしている動物を発見した。
小春日和に誘われて風の当たらない紫陽花の影で気持ち良さそうに・・・
今のところ被害もない事からユウ君のおやつのサツマイモを
やろうと近づくと向こう側に降りていった。
その2730 11/12 am3.00
廃校になる母校は昭和28年に開校し56年目で閉校となる。
第一回卒業生にKFさんがいる。 私は第四回卒業生である。
今回、閉校記念誌に掲載する写真や原稿の依頼を受け投稿した。
中学卒業直前から写真に興味を持ち親にも内緒で小遣いをためて
当時の風景や授業中の先生を撮影していた。
懐かしい写真の数々を今回の事で見ることになりました。
これからは古い写真をデジタル処理して永久保存することになる。
私の死期まで完成するだろうか? 卒業当時の母校である。(デジタル処理済の画像)
その2729 11/11 am6.00
私の卒業した中学校は来年3月で閉校になる。
理由は二つあると思われる。
一つは生徒数が減少している事。
もう一つは校舎の老朽化が進み耐震化には金がかかりすぎる。
生徒が増えると言うのであれば耐震改修することも考えられようが・・・・
とにかくは閉校となる。 今、その準備が進んでいる。
その一つに閉校記念誌を発行すると言う。
そしてここに学校があった事を記す記念碑も建立するそうである。
この地域では何かあると数拾万円から数百万円はするであろう
○○記念碑と言うのを作るのが好きなようだ。
わが家から町に行くまでは4基もある。
交通の障害にもなる所さえあるのだが石材が豊富であるからだろう???か。
「想い出写真館 NO.8」をUPしました。
その2728 11/10 am3.00
前夜からの雨も上がって曇天であったが昨日、
「第19回仏の里くにさき・とみくじマラソン大会」は無事に終わった。
延べ70台近い車の整理に私たちグループは汗を流しました。
昨年の気温は大会記録によると13.8度と寒かったが
今年は少しだけ温かいような気がした。
北は札幌ナンバーや柏(千葉県?)大阪、熊本、福岡、宮崎
そして沖縄ナンバーまでの車が私たちが整理担当の駐車場に集まった。
650名あまりの大会関係者でおもてなししたが
まだ紅葉には少し早い国東路を楽しんでもらえたのだろうか?
後日行なわれる大会の反省会には選手の喜びの声や苦情が
手紙やファクスやメールで寄せられ大会関係者の代表には無記名で公表される。
尚、今回の大会の模様や記録は上のアドレスからご覧になれます。
その2727 11/9 am3.00
わが家では珍事件が毎日のように起きる。
一昨日も美味しそうに熟れた柿を娘や孫に送ってやろうと
柿の実の収穫でありました。
こんな時はユウ君も一緒に行く事にしている。
小屋から見える場所であっても寂しいのかつれて行けとせがむのだ。
そして「僕もほしい」と言う。 この日も2個の柿を食べたのである。
その後、荷造りの為に玄関先に置いていた所、私たちの目を盗んで
10数個の柿をユウ君が食べたのである。
沢山ある事から食べる事は一向に構わないのであるが
お腹をこわさないかと心配で一日中気になって仕方なかったのだ。
「とうさん、柿を食べ過ぎて散歩にも行けないよ」と小屋の中から出る事もなかった。
そんな訳でユウ君は夕食と翌朝の食事はKFさんに貰えなかったのである。
その2726 11/8 am4.00
昨日、『ユウ君の家』の床を夏用から冬用へ交換しました。
土間に固定しているビスを2本外して家ごと逆さまにする。
床パネルを床下で留めている木ねじ6本を電動ドライバーではずす。
夏用(竹製スノコ)を取り外す。 冬用パネル(杉板はり)を取り付けて6本のビスを留める。
元通りに家を起こして土間に固定する。 杉板の上に毛布を敷いて完成した。
夏用床は綺麗に洗って来春まで倉庫の片隅で保管される。
僅か10分ほどの作業であるがユウ君は昨夜から温かく眠れただろうか?
k−planの新・国東百景 第五十八景 をUPしました。
その2725 11/7 am3.00 立冬
今朝は雨である。
一ヶ月ぶりの雨である。
これほどの雨が降ったのは10月5日28.5mmと
10月10日の14.5mmだと気象庁の過去気象データー検索に残っている。
畑の野菜の種も野菜も大喜びであろう。
もっと喜んでいるのは椎茸の原木かもしれない。
今朝は一番に見に行ってみよう。(^^♪
昨日の「国東地区交通安全大会」で私たちの地域は功労団体として
県警本部長、県交通安全協会長より表彰された。
代表として出席したが2時間30分は私にはあまりにも長かった。
その2724 11/6 am5.30
秋を探して1時間ほど車を走らせて見たが紅葉はまだまだ先のようである。
やっとハゼの葉が色づき始めた所である。
ハゼと言えば昔わが家にも沢山あり何時の季節であったかは定かでないが
その実を収穫に業者が訪れていた。
ハゼの実を集めてローソクを作るのだと言っていた記憶がある。
ところがハゼの木は厄介なもので触ると被れるのだ。
小学生の頃、体中が被れた苦い経験がある。
赤く斑点ができ痒い。 そんな事から今では小さいうちに切る事にしている。
小さいうちであれば草刈機で切る事ができるからだ。
到底直接触るなど今でもできない。 被れるだろうから・・・
ハゼの葉が色ずき始めると痒かった子供の頃を思い出す。
その2723 11/5 am3.00
ユウ君が一週間ほど前から可笑しな行動を始めた。
夕食後も夜中も早朝も自分の小屋で寝ないのである。
何処で寝るか言うと沈丁花とムクゲの木の下の落ち葉の上に寝ているのである。
何とか夜露はしのげるかも知れないが寒いのではと心配したのであるが
よくよく考えてみるとユウ君の家の床は未だに竹のスノコの夏用であり
隙間風が入って寒いのではなかろうかと言う結論に達して一昨日、
とりあえず毛布を敷いてやったところ気持ち良さそうに寝るようになった。
近いうちに冬用の床に変えて毛布を敷いてやる事にしようと思っている。
飼い主として気が付かず可哀想な事をした。
しゃべれたらもっと早くに温かく眠る事ができただろうに・・ご免よ、ユウ君
野に咲く花たち 追加更新しました。
その2722 11/4 am5.30
今日は行けるか。今日は行けるかと毎日が過ぎる。
秋の気配を写真に撮りたいと思うのだが・・・・
今にも雨が降りそうな天気が続き出かけることも出来ないでいる。
降りそうだからと種蒔きをするが降らない。
毎日、蒔いた種に水をやり、はやく芽を出せと願う。
しかし、思うようには出てこない。 種が悪かったのだろうかと心配する。
「そんなに心配なら苗を買ってくれば良いのに・・」とKFさん・・・・
ブロック穴に種を蒔いた赤いコカブ発芽して成長を始めた。
発芽と成長、これが一番楽しいのです。
その2721 11/3 am5.00
夏の花のひまわりが今年も芽を出して成長している。
花が終わる頃ほとんどの種は収穫したのだがいくつかの種が
その地に残っていたようだ。
ふた月ほど前から芽を出し始めた事から一ヶ所にまとめて移植していたが
その数は15本にもなった。
移植した苗は全てが着床し30cmほどに伸びている。
今年も元気に育ってお正月にひまわりの花を見ることが出来るかもしれない。
その2720 11/2 am5.00
今年は台風の襲来もなく過ぎようとしている。
子供の頃は台風銀座と言われるほど国東半島は台風の通過点でありました。
毎年のように大雨に見舞われて木造の橋であったことから流されて
川向こうの町道まで行く事ができない状態が何度もあった。
農作物も壊滅的が被害が出た事もあった。
半島を走る「大分交通国東線」と呼ばれた軽便鉄道も度々の被害にあって
私たちの新婚旅行では最後の乗車となった思い出が残るが
昭和36年の集中豪雨による橋の流出被害が大きく今はない。
今では川の護岸工事も終わりコンクリートの橋に変わっている。
又、一昨年から上流に砂防ダムの工事が行われほぼ完成した。
我が家の農事報告 最新号公開
「バリアフリーの広場(文字掲示板)」は閉鎖しました。
公開質問箱 又は新・画像掲示板 をご利用いただきますようにお願いいたします。
その2719 11/1 am6.00
私たちボランティアグループの最終打ち合わせが行なわれた。
今年の大会は北は北海道から南は沖縄まで24都道府県から2646名の
選手が参加される。
秋の気配が感じられる国東路を楽しんで走ってもらう事が
私たちボランティアの最大の目的となる。