その2147 5/31 am6.30

今朝も5時少し過ぎた頃、東の空に真っ赤な太陽が顔を出した。

札幌では4時前に日の出を迎えるという。

日本列島の長さを感じるのである。

そんな中で日曜日に取材させていただいた涛音寮の和田氏と同級生だと言う人物に

歳々逢っていた事が昨日判明した。 世間は広い様で狭いものだ。

 

その2146 5/30 am5.00

国東半島に築後150年ほどになる木造3階建て住宅がある。

日曜日(28日)午後訪ねてみた。 建築当時は酒造元であったらしい。

その後、回船問屋、材木商と姿を変えていく。

現在はその子孫の5代目が表具師として工房をかねた発表の場として

使われている。

建物の特徴は木造3階建てで3階部分は天守閣を思わせる作りである。

天主(3階)からは姫島が望める。建物は改修されているが随所に当時の

繁栄の後が見られる。 『私の日曜日 5月28日 雨の涛音寮』

http://k-plan.web.infoseek.co.jp/n180528t.htm

 

その2145 5/29 am6.00

今朝はかなりのお疲れモード

大分県国東半島の沖に浮かぶ島『姫島』を取材しようと計画し建築士会のお仲間に

相談していた所、28日「姫島かれい祭り」が行なわれるという事でこの機会に取材、

最高の条件と思い出かけてきた。 しかし、残念ながら小雨降る一日となりました。

人口2761人 世帯数981(姫島のHPより)の島に観光客1000人(推定)となり

大変な賑わいでありました。 地元建築士の案内で島内を取材する事が出来ました。

一番の感動は渡りをする蝶「アサギマダラ」の休息地でありました。

アサギマダラの無数の乱舞はカメラのシャツターも忘れて見入っておりました。

まもなく北へ渡っていく小さな蝶達を温かく見守る島の人々に拍手を送りたい。

 

その2144 5/28 am5.00

5000円のケーキを食べ損なった。

KFさんは大阪千林の井野屋と言う店で5000円のケーキを2つ買ったそうである。

大阪千林とは皆さんがご存知のダイエーの発祥地の商店街で在阪時代は

歩いて20分ほどの場所であった。

その商店街のはずれに伊野屋と言う洋服や家具、電化製品などを商う店がある。

そこで5000円のケーキを買い現在の我が家の冷蔵庫に入れてあったのだそうだ。

それも私に内緒であったらしい。

さて食べようと思ったとたんに目が覚めたのだそうである。

ざまー見ろ(^^♪私に内緒で5000円のケーキを2つも食べようなんて思うからだ。

今朝2時30分の夢物語でありました。

 

その2143 5/27 am5.00

昨日は『大分県 建築塾』(6月、7月計3回講座)

今日は『国東市郷土史講座』(10回講座)

そして明日は『国東探訪(仮題)』の取材(大分県建築士会 国東支部のHP)

30日は大分県建築士会総会

月末に集中しているがどれも私には必要であり、楽しみであり、有意義な日になる。

郷土史講座は50年近く、故郷を離れていた事から国東の郷土史も少しは勉強が

必要だろうとこれから一年間毎月一回の講座を受ける事にしたのである。

現在公開中の庚申塔の話も郷土史を勉強すればもう少し正しい理解ができるのではなかろうか。

野菜作りの手を休めて過ごす日々もあっても良かろう。

 

その2142 5/26 am5.00

今日はつらい日が始る。 午後から大分市内で講習会である。 

講習そのものは私には苦痛はない。 往復の車の運転が少々辛くなってきた。

以前であれば一日中運転していてもつらいなどと思ったことはなかったのですがねー。

29日の美味い物が食べられたり素晴らしい風景があったりのHP取材を

楽しみに今日一日頑張るとしよう。(私のHPではありませんがご紹介は致します)

一日、お待ちいただいたほどのものではありませんが下の写真をクリックしてみてください。

その2141 5/25 am6.00

東の空は私の思いに染まりそう。 

そんな訳で早速、車で出かけてきた。

予定したように雲もあり、素晴らしい光景を目にする事が出来た。

予定と違っていた事は予想より寒かった事、

それに少々草が伸びすぎていた事でありました。

今、ご覧いただきたいのですが朝食の時間となりました。

明朝までお待ち下さい。 

利生禅寺の明け六つが響き始めました。

あだやかで清々しい朝です。

 

その2140 5/24 am4.30

今朝は2時から招かざる客に起される。 12cmもあるムカデである。

どうやら我が家は居心地が良いらしい。

掃除機で吸い取り早々に退散してもらったのだがその後は眠れず

『野に咲く花たち』を編集してみた。

どうやら私にはこちらの編集の方法が合うのではなかろうか。

大きさも理解しやすいように思われる。

昨日のサブ君の留守番風景をキャッチ(^0_0^) 

『寝心地はどうだい? 保護色だと思うだろうがはっきり見えてるよ』

その2139 5/23 am4.30

とうとう我が愛車は外に放り出され玉ねぎに車庫は占領されることになった。

早生種の玉ねぎ80個がサブ君の目の前に広げられた。

10日もすると晩生種の玉ねぎ200個ほどが収穫される。

どうやらサブ君は玉ねぎを自分の体が入るだけ掻き分けてその中に寝るのが

良いらしい。 当分は玉ねぎと遊ぶようである。 

その2138 5/22 am5.30

ただ座って豆の殻を剥くだけであったが足腰が痛くて昨日は仕事にならず

時間のたつのが遅い一日でありました。

毎日、夕刻のサブ君の散歩道をじっくりと観察してみようとカメラを持って

一人で散歩に出かけてみた。 何時もは何気なく歩く道端には5mmほどの

野草から15mmほどの花をつけた野の花まで数多くの花が見られるのでありました。

そんな花が私は好きなのに花の名前はまったく解らない。

そんな事から私なりの花図鑑を作ってみようと思い立ち早速取り掛かってみました。

一年間でどれだけの野に咲く花が集められるだろうか? 挑戦です。

「国東便り」『野に咲く花たち』 新規公開

 

その2137 5/21 am4.30

訂正です。 昨日のひとりごとの中で農業高校と書きましたが正しくは

大分県立国東農工高等学校の誤りでした。 お詫びして訂正いたします。

今日の本題ですが楽しみながらの野菜作りを目指していますが

昨日は楽しみながらどころか苦しみの方が大きいえんどう豆の収穫でありました。

それは私たちの栽培の計画の甘さからで自業自得でありましたが来年の為に

書き残すこととしました。 まず種まきは一列に、支えはしっかりとしたものが必要、

そうする事で両面から好きな所を好きなだけ収穫できる。

今年の栽培方法は30cmほど空けて2列、支えは竹の笹を挿しただけでありました。

その為に成長したえんどう豆の重さと風で倒され、先週の連続した雨で腐り始めたのです。

一気に収穫する方法しかなくなってしまったのです。

刈り取り、さやをむしり、さやを剥いて豆を取り出す作業は二人で5時間近くもかかりました。

さやむしり、豆の取り出しの単純作業は腰が痛く目が可笑しくなるほどの苦痛でありました。

収穫量は5リットルあまり、毎日一握りずつ入れた豆ご飯が60日分以上(T_T)

 

 

その2136 5/20 am6.30

9時前の農業高校のサツマイモの苗の販売場所は長蛇の列でありました。

1本20円(一般では30円で売られている)の芋つるを20本買って植付けをした。

各社のニュースによると午前中に売り切れたと言う。

夕方、4時半頃からは何日ぶりかに一時間ほど太陽が顔をたした。

曇天にカメラを向けていたことが嘘のようでうれしくなり1ページを作ってみた。

ただ並べただけのページですがご笑覧下さい。

「その日その時 5月19日」

 

その2135 5/19 am5.00

よく降る事だ。 火曜日から降り出した雨は今日も降り続くという。

まるで梅雨入りしたようである。 

昨年もそうであったがこの時期に降って肝心の雨のほしい時期には降らないのでは

ないだろうかと今から心配になってきた。

心配と言えば我が家にも下り最大47Mbps上り最大5MbpsのADSL回線が

引かれようとしている。 実質は下り1Mbps、上り500Kbps程度にはなると言う。

これでも現在のISDN回線の20倍近い速度になる予定であるが・・・・・。

 

その2134 5/18 am5.00

今週は月曜日に@とCの畑の一部に畝を作り@の畑には一年中栽培される便利菜の

種を蒔き、Cの畑はこれも年中栽培されると言う大根の種を蒔いた。 (畑マップ)

Cの畑にはサツマイモの栽培も計画中であるのでその畝もついでに作った。

明日、例年どうり町はずれある農業高校(と言っても国東半島唯一の国道に面する)で

サツマイモの苗が販売されるので買ってきて植え付けがされる予定である。

農業高校のサツマイモの苗は根付きがよく成長した芋の味も良いことから

大変な人気で早く行かないと売り切れるほどである。

これからの農業を担う生徒達の作った花の苗やジャムなどの加工品も同時に販売される。

 

その2133 5/17 am5.30

「花の命は短くて・・・」というがKFさんの退院後初めての12月4日買って植え花

「フユシラズ」が1月上旬に一輪咲いたことは「我が家の農事報告」でご紹介したが

その「フユシラズ」が成長し今では植えた時の10倍近くになり30輪もの花を咲かせている。

剪定もせず肥料もやった訳でもなくこれほどに長く咲き続けるとは思っても見なかったのである。

KFさんは冬知らずではなく夏も知らずじゃないの等と・・・・。

この花のネーミングははっきり言って可笑しい。 

もしかして私の勘違いであったのではないか?不安になってネットで調べてみた。

キク科の植物で金盞花の一種。10月頃から咲き始めて6月頃まで咲くとあった。

今朝も冷たい雨の中で黄色い花が元気に雨に濡れている。

 

その2132 5/16 am5.00

困ったことになった。 

いよいよ本格的にたまねぎの収穫をせねばならない季節である。 その置き場所がない。 

収穫して10日ほどは乾燥させねばならないのだがその乾燥場所がないのだ。

植え付けの時期にはそんな事は気にもならずに500本からの苗を植えたのである。

そのほとんどが着床し成長している。 

その乾燥場所は風通しの良い日陰で最低でも6平方メートルほどは必要なのだが・・・

これからその場所の確保にない頭を悩ませねばならない。

一階の私の作業場もサブ君のねぐらも玉ねぎでいっぱいになりそうだ。

最悪の場合、座敷に新聞を並べて玉ねぎを乾燥する事になるかもしれない。(@_@;)

 

その2131 5/15 am5.30

家庭菜園が段々大きくなった。

親からの贈り物の田や畑を荒らしてはと草刈りをしポチ君でほとんど全てを

耕したのだが何を植えて良いのか手に負えないほどの大きさである。

今では大根も年中食べられる種が売られているがその種まきの時期が難しい。

今取り入れの最中の大根は数日収穫を遅らすとトウがたってしまい硬くて食べられなくなる。

種まきの時期も1週間も違えば虫に食われて発芽率に大きな差が出る。

肥料も鶏糞と菜種粕以外はやっていないがやる時期を間違えると

草の成長を助けるだけとなるのである。

植物は可愛がれば成長するというが人間と同じで可愛がり方を間違えると

手につけられない方向へと成長する。 

 

その2130 5/14 am4.45

昨日、今日と一ヶ月季節が戻ったような気温である。

この気温の変化は私たちには少し堪える。野菜や花たちにはどうなのであろうか?

隣のAさんの畑では芍薬の蕾の出荷の最盛期である。

その苗を母が貰って我が家の畑も数本の芍薬の花が咲き始めている。

白い花にほんの少し薄いピンクが入った花で直径10cmほどの花を咲かせる。

その根は花に似合わぬゴツゴツとした根である。

「たてば芍薬 座ればボタン 歩く姿はボケの花」 うにゃー(@_@;)

ユリの花に気の毒ですね。

 

その2129 5/13 am4.30

自然の力は凄い。 毎日のように移植した苗にホースで水遣りをしたのだが

苗は夕方になると首をたれてもっと水がほしいと言う。

ところがここ数日の雨で全ての苗は生き返った。

そして雨の止み間を見て再び苗の移植をしたがその苗は全てが着床し

見事な緑色を見せている。 そんな訳でひまわり300本の移植も終わった。

順調に行けばDの畑から見るBの畑は8月になると黄色のひまわりと畑一面の

そうめん瓜が素晴らしい色を見せてくれるだろう。

そんな思いで自然の恵みを感謝する日々である。

我が家の農事報告 06.5.12号 UP

 

その2128 5/12 am4.30

10.11日は草刈りと花の移植に追われた。

昨年、開花後放置していたコスモスが沢山の芽を出して10cmほどに

成長しているので移植しようと行って見ると何と一輪のコスモスが咲いているではないか。

想像もしていなかったことである。 KFさんに知らせると「そんな?」「うそー」である。

「カメラを持っておいでよ」早速貴重なコスモスが撮影された。

「コスモスもあんたみたいな変わり者もいるんだねー」だと・・・ 只今、「我が家の農事報告」編集中

 

その2127 5/11 am6.00

昨夜までの雨は上がったようだ。 

雲の切れ間からは青空がのぞいている。

今日は草刈りをしよう。 

10日ほどで草刈りをしなくてはならないほどに伸びる。

野菜などはそれほどに伸びないのに・・・

草が伸びると草むらには蛇などが潜むのに格好の場所になる。

我が家ではここ2.3日、ムカデに悩まされている。

今朝も先ほどまでムカデと格闘でありました。

そして考え出された捕獲の方法は掃除機で吸い取る方法である。

なかなかの妙案でしょ(^^♪

 

その2126 5/10 am7.00

小雨降る朝である。 こんな朝は静かである。

連休中に農作業を終えてちょうど農閑期なのだ。

ただアマガエルだけが雨がほしいと言うかのようにゲロゲロと時折泣いている。

山のあちこちで霧の発生する光景が見られる。

デスク前の細い木がわずかな北東の風にゆれる。

とにかく静かな朝である。

会社案内「自己紹介」を更新   「新・国東百景」第二十四景をUP

 

その2125 5/9 am6.00

今朝のように今にも雨が降りそうな朝は東に開けた集落は海に

漁に出る漁船の音がこだますのである。

以前はその姿も見る事が出来た。

何故、今見えないのだろうと長らく考えていたがやっとその原因がわかった。

地殻変動で見えなくなったわけではなかった。

南北から重なった稜線の木が成長したに過ぎなかったのである。

東西に開けた集落と説明したが一キロほど下流で北へ曲がっている。

そんな訳で稜線が重なっているのだ。なかなか文字では説明するのが難しい。

そこでこちらでじっくりとご覧下さい。 

(ほぼ中心に行入ダムその下の集落 ポイントは市役所)

 

その2124 5/8 am5.30

ちょつと一休みしましょう。   五月の風は東の風である。

八十八夜も立夏も終わったこの頃では風がないと外にはいられない程に暑い。

昔の人たちの知恵で東西に開けた私たちの集落では建物は東西に

長い間取りに作られている。 そして、南北に大きな開口部を設けている。

台風に備えた建て方で夏の暑さと冬の寒さを考えた構造である。

今の時期は朝日と夕陽が建物の北面にも当たる。

詳しいことは別に書くことにするが建築に携わる者にとってこの知恵は

これからも引き継いでいかなければならない先達の知恵であろう。

そうめん瓜80本、ひまわり60本の移植も終わって夏の日差しを

一杯に受けて成長を続けている(@_@;) こんなお遊びも・・・ Dの畑で

 

その2124 5/7 am5.30

サブ君との散歩道にも放置された廃車やバッテリーや農機具が

放置されているのを目にする。 これも時代の流れであろうか。

こんな田舎のメイン道路でも爆音を響かせて暴走する車を見る。

ゆっくりは走っても10分ほどで町の中心までいけるというのに・・・

大阪では随分と交通マナーの悪いことを目にしていたがそれ以上にマナーが悪い。

まず駐車スペースに車を正しく止めない。

一旦停車の標識で一旦停車しない。

方向指示器はハンドルを回すついでに出す。

50kmのスピード制限道路を60kmで走っていても追い越していく。

これらは町中で常時遭遇する光景である。

私はそんな事を取り締まっているのを一度も見た事がない。

 

その2123 5/6 am5.30

赤松川の堤防も車が走れるほどに拡幅されている。

人一人通れるほどの山道も今ではアスファルトやコンクリートで舗装され

山へ行くのも田に行くのも車である。 農業も様変わりである。

一年の内1週間ほどしか使用しない大型耕運機や田植え機が走る。

我が家の田んぼの様な小さい田んぼは水田として使えなくなっている。

ため池の管理もままならず今では畑として以外は使い道がない。

真夏でも冷たい水が懇々と湧き出て枯れる事のなかった井戸も水が枯れる。

青年団活動も婦人会活動も今はない。 お年寄りの老人会活動が細々と行なわれている。

それは高額の農機具の支払いを助ける為に兼業農家が増えたからに過ぎない。

人の心までも枯れないで欲しいと思うのだが・・・・・

 

その2122 5/5 am4.30

毎年今頃になると川ではどんこやはやなどが沢山取れた。

石の下に手を入れて探ると赤茶色のひげを生やしたどんこみたいな魚が

私の指に噛み付いた。 私の指は腫れ上がる。

そんな繰り返しの末に川うなぎを捕まえるのでありました。

石をそーっと剥いでいくと大きな川カニも潜んでいた。

これは50年ほど前の赤松川の光景である。

今では表面は澄み切った水の流れであるが石など起そうものならヘドロが

舞い上がり水がにごり川底などは見えない状態である。

生活水準が上がった分だけ川の水が濁ったのである。

それと同じように人の心も濁り始めているのである。

 

その2121 5/4 am5.00

少しの雨が降れば小さな谷の水かさは子供の頃の谷では想像もしなかったほどに

増えて濁流となるのである。

その濁流は谷の両岸を削り畑の石垣も削り取っていく。

年中冷たい水が流れ、野菜を洗ったり、夏にはお風呂代わりの行水も出来た

谷は見る影もなく数日晴天が続くと干からびてしまう。

一旦雨が降れば濁流となる。この光景は山がミカン畑に変わり、その後は放置され

荒れ果てた山の姿を自然が教えてくれていると言う事の証明であろう。

夏草が茂り、緑豊かに見える山の風景の実態である。

 

その2120 5/3 am5.45

野生の動物達は山中で生活できればこれほど危険を犯してまで人里に出てくる必要はない。

人は自分たちの都合だけで山を開きミカンやキュウイ畑をこしらえた。

そしてその運搬に必要と言うことで莫大な資金を投じてオレンジロードという

馬鹿げた道を作った。 

そして今はミカンもキュウイも生産過剰ということになりほとんどが生産をやめている。

以前のミカン畑もキュウイ畑も野生動物も住めないほどに荒れ放題となっているという事だ。

この子タヌキは傷ついて生き絶え絶えに畑のミミズをあさりに来たのです。

この撮影後、数十分後には農道に倒れていた。 自然豊かな地と言うがこれが現実である。

 

その2119 5/2 am4.30

我が家のポチ君(超小型耕運機)が散歩した後をのんびりと散歩する御タヌキさんである。

イノシシ君にウサギちゃんにと様々な動物達が人目もはばからずに散歩する。

山中の生活に飽きてきたのでしょうかねー。

 

その2118 5/1 am4.30

KFさんは連休も祭日もない。

人工透析を始めてからまもなく10年を迎えようとしている。

一週間に3日は病院へ行かねばならないのである。

幸いな事に帰省してからは病院の車で送迎していただいているので

私の負担もKFさんの負担も少しは軽減された。

体重43kgは生涯増えることはない。 増えれば透析の時引かれる事になる。

そんな事から毎日の日課の始まりは4000歩の散歩から始る。

これからも生涯続くことになりそうである。

病院へ行かない日は花や野菜を育て、たまの温泉行きとカメラを持って撮影に出かける。

「KFの部屋へようこそ」  我が家の農事報告 4/30号公開

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