その1997 12/30 am7.00

泣いても笑っても後二日で今年も終わる。

今年は予定が狂って新年の準備も出来ないままに終わろうとしている。

年賀状もHPの新年のご挨拶もである。

続々と来る工事の請求書の整理に追われる年の瀬である。

こんな年の瀬も初めてのことである。

そして明日はKFさんの○○才の誕生日、除夜の鐘突き、

構造計算疑惑もアスベストの問題も来年廻しだ。

私も忙しさだけは来年まわしにしたいものである。

 

その1996 12/29 am5.00

我が家のトップニュースはKFさんの入院であろう。

初めて見せてもらったCTの画像では確実に半身不随か車椅子の生活に

なると予測していたのである。

在阪中に多くの方のこの様な画像を見ていたからである。

医者でもないのにと思うかもしれないが高齢者のお宅の改修工事前に

担当ケアマネージャと共に担当医にどの様な工事が必要かを調査する為に

度々この様なCT画像を見ていたからである。

そんな事からKFさんの画像からも同じではと思ったのである。

そこでまずは最低手すりは必要、そして車椅子用のスロープの計画を一日で作り上げ

材料の発注から業者の手配まで終わらせたのである。

そして入院、3日目KFさんの担当医からの話を聞く機会があった。

その結果、簡単に言うとニキビみたいなもので中に溜まったものを取り出せば

まったく今までの生活と同じになると言うことが話されたのである。

手すりは老後の為に完成し、スロープは途中で工事をストップした状態である。

 

その1995 12/28 am6.30

今年は我々の業界ではアスベストの問題から始まり福岡南西沖地震に構造計算書の

偽造の問題まで様々な問題がニュースになる一年でありました。

それも何一つ解決されずに新しい年を迎えようとしている。

社団法人 日本建築士会の考え方(耐震偽装問題から派生する「建築士法」の改正について) 

http://www.kenchiku-cpd.jp/~photo/flash-data/kozo-gizo/shihou-plan/shihou_plan.swf

 

その1994 12/27 am5.00

24日、豊後高田市の耐震改修工事が少しの仕事を残して完成引渡しされた。

現在大分在住の建築主様が帰省していたからである。

工期が1週間伸びたお詫びとお借りしていた駐車や作業スペースの清掃を

残しての引渡しでありましたが快く引き渡しに応じてくれました。

昨日、残っていた仕事も完了し、我が家の防寒対策工事が始りました。

何とか年内完成したいと着手、私の寝ている所だけ昨日のうちに完成、

計画どうりの断熱効果で温かい夜を過ごせました。 後2日の工事で完成予定です。

 

その1993 12/26 am6.00

 雨の日も風の日も今回の雪の中でも元気に

 境内の掃除に明け暮れるお小僧さんへ

 帽子とマフラーを昨日プレゼントしました。

 一日遅いクリスマスプレゼントでありましたが

 喜んでくれただろうか?

 頭の周りが80cm、首周りが40cm、

 寒くなる前にと編み始めた毛糸の帽子と

 マフラーであったがKFさんの入院で

 昨日のプレゼントになったのである。

 皆さんへお願いです。

 お小僧さんに似合う麦藁帽子など手に

 入りそうな情報をお願いします。(^^♪

 

その1992 12/25 am7.00

南の空に三日月が輝き満天の星空をサブ君と見上げた。

田畑には真っ白い霜が下りている。 寒い朝である。

久しぶりにKFさんの買い物に付き合えそうである。

車がなければ買い物にも行けない不自由はこの豊かな自然に免じなければなるまい。

KFさんが入院前から編んでいた利生禅寺の御小僧さんの帽子は

今日かぶせてあげられそうである。

この冬の初雪に間に合わなかったがお許しいただけるだろう。

 

その1991 12/24 am6.30

無風快晴の夜明けを迎えようとしている。

昨日までの寒い朝とは打って変わり今朝は暖かい。

何時もであれば日陰に残雪があるのに昨夜まであった雪が今朝はない。

ピンポイントの天気予報では昨夜の気温が6度であったと言うからであろう。

嬉しい事である。延び延びになっていた改修工事が今日終わることに成りそうである。

天気に左右されて1週間以上遅れての完成となった。

明日はゆっくり休めるぞー(^^♪

 

その1990 12/23 am6.30

国東は一日中横殴りの雪で家の中にじっとしておりましたよ(^^♪

21日の同級会の写真の整理とプリントで一日が暮れてしまいました。

朝の雪は雪かきをしてやっと町道に車を出し同級生の名前の確認に

世話役の所までやっといくことが出来ましたが帰りは近くの上り坂が登れずに

公民館の広場に車を置いて帰る始末。 もっと車の雪道対策をする事になりそうである。

同級生の写真をプリントしながら50年前を少しずつ思い出した一日でありました。

 

その1989 12/22 am7.30

今朝もまた一面の銀世界である。 この冬最高の10cmを越える積雪である。

その上、西風が木々や電線を鳴らす強風でもある。

そして今も尚ちらちらと降り続いている。 

昨夜は50年前に返った。 急遽召集をこの時期にかけたにもかかわらず

19名の中学校の同級生が集まって同級会が行なわれた。

19名全ての写真を撮影して持ち帰り編集したのだが5名しか名前と顔が思い出せなかった。

50年の歳月は様々な道を歩いてきたことをそれぞれ語り合い再会を誓ったのである。

7時30分撮影

 

その1988 12/21 am6.30

悲しいねーこんな時にだけ「建築士」という資格がある事が皆さんに

公開されると言うには・・・・

せめて真面目に建築士としての活動がどの様なものであるか

ご理解いただくために「社団法人 日本建築士会連合会」へリンクしてみました。

 

その1987 12/20 am6.00

今年も残り10日、あわただしい年末となった。

今日の外壁吹き付け塗装工事でほぼ耐震補強改修の工事も大詰めである。

その後は板金屋さんの仕上げとトユ架け、足場解体、敷地内整地と清掃で完成する。

何とかクリスマスまでに完成引渡しが出来そうである。

1週間ほどの工期の余裕は思いもよらない雪の為消えてしまった。

今日も現場へ塗装職人さんが無事到着できることを願っている。

 

その1986 12/19 am6.00

白一色になった集落は静かである。 車も人も見かけることはない。

そんな中を私だけが色を探してうろうろした。

白の中の色は一段と映えて見えるのである。

まず気がついた色は南天とマンリョウの赤い実でありました。

そして山の中の日陰にはツワブキの黄色が点々と残っている。

鮮やかな紫色の3mmほどの無数の実が成った一本の木も見つけた。

取り残された渋柿の赤、お正月の飾り物に残してある黄色く色づいたミカン。

我が家の畑では濃い緑色の大根、人参、チンゲンサイ、白菜などなどでありました。

よく見ると様々な色がある事に気づいた一日でありました。

 

その1985 12/18 am7.30

積雪10cmを超えた雪を喜んでいるのはサブ君だけ・・・

昨夜から降り出した雪は路面の凍結の上に降り積もっている。

我が家からは車は出る事さえ不可能な状態である。

タイヤチェーンを付けても幹線道路の町道へも出られない。

サブ君と雪だるまでも作って今日は一日楽しむ事にするか(^^♪

この冬4度目の積雪である。その上、水道も凍結で出ない。

こんな事も初めての経験である。

 

その1984 12/17 am5.30

昨日も国東半島は、いや私の住む集落は白銀の世界で明けた。

今年最低の気温である。

室内温度6度、暖房機にスイッチを入れて30分で10度まで上がった。

我が家は1階が吹き抜け状態である為になお更に2階まで冷え込むのである。

1階は倉庫兼車庫である為に天井がなく外気温が畳やフローリングに直接接している。

一階の天井に断熱材を入れて天井を張ればこの寒さもしのげるのだが

まだそれまでの工事は出来ていない。

年末までには工事をするように計画しているのであるが・・・・

お客様の補強改修工事が後一週間ほどで終わる。その後になりそうだ。

少しは暖かい正月を迎えたいと思っている。

 

その1983 12/16 am6.30

住宅の場合計画から完成までの経過は建築主→工務店または大工→

下請け設計事務所(工務店側または大工側)→工事→完成と言う構図になっている。

私の場合は建築主→私 (仮設計)→工務店の選定(工事の内容によって得意不得意がある)

→建築主、私、工務店詳細な打ち合わせ→本設計→確認申請→工事→私の監理→

工事完成となる。この場合は私は建築主側に立って発言し工事のチェツクする事になる。

(その部だけは私の監理料が必要となる)

最低私の設計図書のとおりに完成する。

皆さんの場合はどちら・・・どう思いますか?

 

その1982 12/15 am5.30

構造計算の偽造問題

何しろ素人の議員さんが的外れの質問に証人は美味く交わしているものである。

こんな時には専門家に質問させるって事は出来ないものなのでしょうかね?

そうすればもっと早くもっと適格な審議が進むと思うのだが・・・

時々ラジオから流れる審議の模様を聞きながら率直に思ったのである。

これも構造改革の一つであろうと思うのだがそこまで頭が廻らない

お偉いさんに口出ししても良いものか?

 

その1981 12/14 am6.00

すっかり色のなくなった風景にひときわ目立つ色がある。

我が家の柿は半分以上鳥達が食べてしまったがそんな中に

渋柿だけは鳥達も見向きもしないようだ。

そんな事からその渋柿の実が真っ赤な色を見せている。

パソコンデスクから見られる二本の渋柿の実はどうなるのだろうと

毎日眺めるのだが少しずつ少なくなっている。

熟して甘くなったのだけ鳥達が食べているのだろうか?

 

その1980 12/13 am7.00

かちかち、つるつる、真っ白、ヒュウヒュウ、現在の我が家周辺です。

この冬2度目の積雪で5日の積雪の倍近い5cmほどですが

道はカチカチに凍ってどうする事も出来ません。

早くも「雪で現場へはいけません」の連絡が業者さんから届きました。

そんな訳でお休み。 車のヒーターが故障しているので修理に行こうと思うのですが

当分はストーブの前で火の番をする事になるでしょう。(^^♪

 

その1979 12/12 am6.00

年を取ると寒い朝は起きるのがつらくなるらしい。

いえいえ、私の事ではありませんよ(^^♪

去年は毎朝4時には散歩に連れて行けの「ワン」があったが

今年は6時を過ぎないとほとんど散歩の催促がない。

6時半になっても催促がないと心配になり「今朝は散歩に行かないのかい」と

見に行くことになる。 今朝も散歩の催促がまだない。

「サブ君はどうしたのかねー」とKFさんも心配しているのだが・・・

 

その1978 12/11 am5.30

こちらへ帰ってからと言うもの飲み食いの会の多い事(@_@;)

昨夜も反省会と称する飲み会に参加した。

何かの会合があれば必ず一杯やらねばならないようである。

その功罪はともかくお酒に弱い私には二次会などは到底お付き合いできない。

集まった皆さんの親睦を深める一つの方法であろう。

もっとお酒に強くなりたいとの欲望もあるのだが・・・

 

その1977 12/10 am6.30

帰省記念樹を植えた。昨年はサツマ紅梅であった。

今年は11月27日、キンモクセイとヒイラギモクセイになった。

出来れば金木犀と銀木犀と植えたかったのだが銀木犀は手に入らないと言う。

その代わりと言う訳で柊木犀となったのである。

どちらも香りの良い花が咲く。 

サブ君スロープのブロック花壇には手すりが付けられたのでその外側に

1m巾の花壇が作られその中に植えられた。 

正月の準備にと葉牡丹と「冬知らず」と言う黄色い花も植えた。

昨年植えた薩摩紅梅は順調に育ち小さな花芽が付いている。

(12月5日早朝の県道29号線、行入ダム越しの行入富士の雪景色)

その1976 12/9 am5.30

意匠計画設計事務所→構造計算事務所→意匠本設計事務所→申請代行事務所→

民間の建築確認検査機関又は、建築主事の居る市役所や土木事務所→

申請代行事務所→施工業者の現場管理責任者と全てが偽造の計算書を

見破れなかったと言うことである。

又、鉄筋組み業者や鉄骨加工組み立て業者までも可笑しいと思わなかったとは

考えられない話である。 当然この仕組みがグループ会社であれば別の話となるのだが・・

そんな馬鹿げた話があるほうが可笑しい。

 

その1975 12/8 am5.30

構造計算書の偽造に関った計算屋なども(社)日本建築士会連合会

(社)日本建築士事務所協会連合会(社)日本建築家協会すら加入していなかったと言う。

ただ、何時か一級建築士の資格だけを取得し、金儲けの道具に使っていたに

過ぎないと言うことになる。 一度、建築士の資格を取れば生涯更新すらない制度なのだ。

そんな事から(社)日本建築士会連合会では専攻建築士の制度が出来たともいえる。

法律改正や新しい材料や工法が発表されるごとに講習会や見学会などを開催し

又、古い建物の見学会やセミナーなどを開催して、日夜自己研鑽に励んでいる。

そんな建築士の面汚しを我々の血税でかばわなければならないのだろうか?

せめてこのページをご覧頂いている皆さんは専攻建築士の制度を

ご理解いただきますようにお願いいたします。

尚、私の専攻領域はこちらです。

 

その1974 12/7 am6.00

構造計算書の偽造から始ったこの事態は我々の税金から処理されようとしている。

ぼろ儲けをしたであろう計算屋、設計事務所、施工屋、販売会社・・・

この後始末ぐらいは責任を持ってやっていただきたいものである。

それとも後始末も出来ないからこの事態になったのだろうかねー

 

その1973 12/6 am5.30

すっかりと雪景色の中を脇目もせずに山越えの道を現場へ向った。

どうやら雪道の上り坂は前輪駆動の車が良いらしい。

路肩に止まった車を横目にゆっくりと追い越していく我が車にビックリでありました。

しかし、下り坂はどうもよろしくない様だ。

そんな訳で四輪駆動車が生まれたのであろう。

四輪駆動のオートマ車なんてあるのかなー? 未だに車も初心者である。

紅葉の綺麗な雪道を思う存分に走ってみたいものだ。

 

その1972 12/5 am5.00

久しぶりに仕事を忘れさせてくれるひと時を過ごした。

青鬼さんのご案内で銀杏の落葉の名所「富貴寺」でひと時を過ごしたのである。

毎年のように訪れていた富貴寺の風景も早朝とあって静かでありました。

娘も帰阪し再びサブ君と何時もの生活に戻った。

「富貴寺・晩秋」粗雑な編集ですがご覧下さい。

     am6.00 サブ君の散歩の催促に外へでてみたら雪ではないか。

     国東は白銀の世界で開けようとしている。    am6.45撮影

 

 

その1971 12/4 am5.30

今日は日曜日、ほんの少しだけ晩秋を楽しめそうである。

KFさんの変わりに手伝ってくれた娘も今日大阪へ帰っていく。

忙しい仕事を抜けて手伝ってくれた娘に感謝である。

少しは国東の晩秋を味わってもらおうと私とKFさんの計画である。

本日の予定、午前7時出発、7時30分富貴寺に到着、銀杏の落葉が見られるかも、

11時大分空港へ見送り、お米の精米、12時より「釈迦講」が利生禅寺で行なわれる。

道中は国東の素晴らしい晩秋が見られそうである。

お正月には帰ってくるという。今年のメインエベントは雪だるま作りであった。

夏休みは20mの流しそうめんであった。

今度は違ったとっておきのメインエベントを計画中である。

我が家でなければ出来ないエベントである。その内容はそれまで秘密にしておこう。

 

その1970 12/3 am4.00

昨夜はささやかなKFさんの退院祝いをした。

これも偶然であろうが親戚から新鮮な魚が届いたからなお更酒の味は

格別なものでありました。

仕事も順調に進んでいるのだがKFさんの相手をする暇がない。

これも神の悪戯なのであろう。

又、県道29号線や31号線、34号線も晩秋の風景であるのだが

車を止めて撮影する暇もない。 ただただ車窓から眺めるだけの毎日である。

少しだけ車をゆっくりと走らせて車窓からの晩秋を眺めている。

来年こそはと思いながら・・・・

 

その1969 12/2 am6.00

KFさんは退院した。 今まで以上に元気になって・・・

沢山の方々からお見舞いやお励ましの言葉をいただきまして

ありがとうございました。

 

さて、これからの話であるがいいまで以上に頭の回転が早くなり

今まで以上に記憶力も出来て、今まで以上に観察力がUPしたら

どうしよう等と入らぬ考えが浮かんでくる。

もし、そうにでもなれば私は助かるのか? または困るのか?

今のところ見当も付かない。

 

その1968 12/1 am6.00

うれしいお知らせからいたします。KFさんは今日退院が決まりました。

残念ながら仕事の関係で迎えにいけません。

妹と娘が迎えに行ってくれることになっています。

そうそうMちゃんAちゃんの話でした。

運転免許を取って以来マニアル車しか乗ったことがなかったんです。

29日にはトラックが必要となりレンタカー屋に電話をした所

軽トラなら空いているとの事、早速予約したのです。

レンタル契約も終わりいざ運転席へ付いた所、おいおいオートマチック車ではないか。

乗った事がないなどと言う訳にも行かずD=ドライブ、P=パーキングだけは

解ったのでDに入れて颯爽とレンタカー屋を出てみたのである。

そして材料屋の空地でほんの少しバックの練習でありました。

病み付きになりました。次回の乗り換えには絶対にAちゃんにするぞ(^^♪

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