その1869 8/31 am6.30
私はこの花の名前を最近まで知らなかった。
薄いピンク色の花で何時も恥ずかしそうに下向きに咲く。
その花の蜜は子供の頃から甘いので花びらを2、3個つまんで引き抜いて
ちゅうちゅうとすった想い出がある。
その花の名前が「オドリコソウ」と言うのだそうだ。
それを聞いた時、北陸に伝わる「おわらの盆」を思い出した。
恥ずかしげにあみ笠で顔を隠して下向きに踊る女性の姿でありました。
郷愁を漂わせる音楽と控えめなしぐさは、まさに踊子草そのものに思えたのである。
『泣かないで』の詩はこんな事から生まれた。
その1868 8/30 am6.30
花の名前は誰が決めるのだろう。
今、我が家周辺で見られる花にオシロイバナと言う白色とピンク色が満開である。
KFさんによると種をつぶすと中から真っ白い粉が出てくるそうである。
子供の頃その粉を人の顔に着け合っていたと言う。
そのオシロイ花も人によっては「女郎花」と呼ぶそうである。
その理由は夕方から咲き始めて朝、日の出が過ぎるとしぼんで行くからだそうである。
なるほどと感心させられるが何故か物悲しい。私は「オシロイバナ」呼ぶ事にしよう。
その1867 8/29 am5.00
夏草の繁っていた中にあった庚申塔の取材も又始めることになる。
目の前に見えていると言うのに庚申塔に近づく事が出来なかった庚申塔も
お祭りをすれば背丈ほどある雑草も綺麗に刈り取られる。
庚申塔はほとんどが集落を見下ろす山中にある事が多く私だけでは到底取材できない。
私の手元にある資料は古く地名なども今の地図には無いのがほとんどである。
その上に道の無い場所も多く集落の方々のご協力がなければ取材は進まない。
そんな事からも集落の方々にお世話にならなければならないのである。
幸いな事に私の名前は私の同年代前後の人たちには覚えていただいている。
「想い出写真館」 で紹介したように多くの方々に覚えていただいたからである。
「国東半島の庚申塔(旧豊崎村編)」の庚申が20体になりました。
その1866 8/28 am3.30
田舎暮らしも慣れてきた。 家庭菜園も少しずつ広がっていく。
そしてその中に想像もしなかったエピソードが生まれるのである。
「芽が出ないねー」「幾らなんでも4日しかたっていないんだから無理よ」
「芽が出ないねー」「もう10日もたったのにねー」
そしてお互いに内緒で種まきした所を指で掘ってみるのである。
「小鳥に種を取られたのかねー」「土を沢山かけたからじゃない」と
互いに種を蒔いた事だけを主張するのである。
これが毎朝、毎晩の日課となる。
大根の場合「芽が出ただろうかねー」「まだ3日よ、そんなに早く出るわけ無いでしょ」
そして「お〜い、大根の芽が出てるよー」「ホンと?」そして芽の出たことを確認しあうのである。
専業農家の方々には私たちのお遊びに近い毎日がどの様に見えているのだろう。
「我が家の農事報告 8月28日号」を公開!!
その1865 8/27 am5.30
最近、不規則な生活が続いている。
何故なんだろうと考えているが原因は不明である。
今朝も2時に目が覚める。 そしてパソコンの電源ON、何時ものネットサーフィン、
そして自分のページの書き込みとメールのチェツク、3時、再び布団の中へ
4時30分、サブ君が散歩へ行こうと催促の「ワン」で目がさめる。
「サブ君、もう少し寝て居たかったよ〜」
その1864 8/26 am5.00
御接待、随分少なくなった。 学校帰りに数軒の家を廻り、ご馳走になった
山菜ご飯も素麺もない。 衛生管理も難しくなった事もあろう。
高齢化が進んでお世話する人も少なくなった事もあろう。
そして開催日も日曜日に行なう集落も多くなったようである。
以前は個人のお宅でも御接待を行なっていたが今はほとんど無い。
多くはお寺やお宮さんで地区の有志や老人クラブ単位で行なわれているようである。
6か所を見つけ4ヶ所、お参りできた。 何時までも残して欲しい行事なのだが・・・
小さい秋を見つけた一日でありました。 『御接待のころ』UPしました。
取材地は大分県国東町、武蔵町です。
その1863 8/25 am3.30
私の集落では御接待が今日、午後1時から行なわれる。
この風習は私の子供の頃も行なわれていた。
それも今の様に食べ物の豊富な時ではなかったがほんの一口ずつのソーメンや
山菜御飯にポン菓子など隣の集落まで回ってご馳走になることが最大の楽しみで
あったのである。
現在では御接待をする家も少なくなり車で回るほどになった。
それでも少子化の進んだ集落の子供達には楽しみな様である。
私もKFさんも童心に戻ってお賽銭をポケットに御接待めぐりを楽しんでみようと思っている。
御接待をする日時も変わったようで日曜日などに行なわれる集落もあると言う。
さて、何軒の家を回れるのだろうか? 勿論、車で回るほかは無いのだが・・。
その1862 8/24 am5.30
随分朝寝坊によい季節、気持ちよくついつい布団から出るのが遅くなった。
3時には目が覚めているのだが・・・ それもそのはずで昨日は処暑だった。
処暑と検索してみると「二十四節季の一つ。暑さが峠を越えて後退し始める頃。
毎年8月23日頃。 天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過する瞬間。
二百十日・二百二十日とともに台風の特異日とされている。」とある。
台風11号が本州に向かって突進中である。
8月中旬の大分の最高気温の平均は34.4度、平年よりも3.1度高く
明治20年からの統計で一番暑い10日間であったそうな。
今朝の我が家の気温は26度?やっぱり温度計は狂っている。体感温度23〜4度だ(^^♪
そうそう国東半島では一部の地域を除いて明日25日御接待の行事が行なわれる。
その1861 8/23 am4.30
KFさんのお姉さんから沢山の家庭菜園の知恵を頂いている。
一週間に一度はお姉さんの畑へ出かけて知恵を貰い、見事に実った数々の作物を
貰ってくるのである。 お手伝いするわけでもないのに知恵と作物を貰って一挙両得、
一つ解ったことは自分の家で順調に育った作物は必ず種を取っておくことのようである。
種もその土地に合わねば育ちにくいと言うことである。
最初は店で種を買い育てる。その中で土にあった作物があったらその種を採って
翌年植えると言うこと、土に会わない作物があれば土の改良をするか別の畑に蒔いてみる。
その繰り返しで作物との根競べがされている事が解ったのである。
長年の経験である。
我が家の西瓜もミニトマトもニガ瓜もどうやら土に合っていたと言う事であろう。
ところがその種は全て生塵と共に捨てられたと言う。 おやおや(@_@;)
その1860 8/22 am3.30
『さわやかな風が小さな我が家を吹きぬける。昨日の雨でその風も軽くなり透明になった。
そしてその風は山里に豊かな実りの秋を運んでくるのである。』な〜んちゃつて、
何時か読んだか読まなかったかの名作の書き出しの様な名文句を書かせる今朝である。
昨日の雨で雲を洗い流したように今朝は星空が綺麗に見える。
今朝は何時の間にか布団をかぶって寝ていた。それだけ涼しくなった事には変わりなかろう。
今朝の東京では日の出が5時5分、大分では5時41分、36分も日の出が遅いと言うことは
それだけ沢山寝れると言う事か? やはり私にはこんな作文が似合う。
尚、上記の日の出の計算には「国立天文台」の「天文情報センター 暦計算室」を利用しました。
「2005 夏物語」 追加変更更新
その1859 8/21 am5.00
生涯現役でありたい私は生涯勉強となる。
昨日も1000円の研修費を払って大分県福祉用具協会の研修会に参加してきた。
「今後の福祉政策の展望について」「大分県内における介護保険の現況と動向について」
「介護保険制度見直しについて」でありました。
介護保険制度が発足して5年、様々な見直しが行なわれているがその実態は
なかなか理解に苦しむのである。その一つでも私が理解できればと参加したのである。
そしてその結果は理解できるものあり、納得できないものあり、行政のやることには限界ありの
感が益々増えるばかりでありました。
その1858 8/20 am4.30
国東町最後の納涼盆踊りと花火大会が昨夜町民グランドをメイン開場にして
行なわれた。 この催しは24回になるというがこの場所でこの規模で行なわれるのは おそらく最後であろうと思われる。 来年4月町村合併によってこの行事はどうなるか予定がないと言うのである。 その最後の催しとあって例年になく盛大だと言う。 わが集落からも14名の踊子が参加していた。(手前の集団) 最後は1800発の打ち上げ花火が秋風の吹くグランドから満天の星空に散った。 満月の輝く星空のもと国東町としての最後の夏が終わろうとしている。 |
「2005 夏物語」をUPしました。 am6.30 一部変更しました。
その1857 8/19 am6.00
私もお盆休みが終わって昨日は朝7時から2時間の農作業、
草刈り機を肩に腰振り作業で汗を流した。 約7a(2枚)の畑の草刈りが終わった。
今の所何を植えるか計画も無いが先祖代々受け継がれた畑を荒すわけにも行くまい。
せめて草刈りだけでもして、綺麗にしておきたいと思ったのである。
家の周りに7枚の畑(18.7a)は植付けできる畑が4枚出来た。
一枚には西瓜やナスやニガ瓜などが実った。
次の一枚は大豆が種まきされたが発芽率50パーセント以下。
そして1枚はサブ君の大好物のサツマイモが青々と繁っている。
芋が成長しているかどうかはまだ解らない。
そしてもう一枚の畑にはレンゲ、菜の花、ひまわり、トウモロコシなど
これからの計画となっている。
その1856 8/18 am6.30
新聞によると33日連続で真夏日が続いていると言う。
大分気象台の観測地点で我が家に一番近い「国見」の観測点では
8月1日より15日までの降水量は0、平年が70.8mmと言うから
随分異常と考えるのが正しそうである。
ところが我が家は国東半島でも山間部に属する地域と言うことで
室内温度(観測条件は観測点に近い)は30度を越えないのである。
外の気温は35度近くあるようであるが室内は過ごしやすい日が続いている。
さて、子供達の来年のリクエストは西瓜にトマトにトウモロコシにマクワメロンと言う。
今から計画せねば間に合わなくなりそうである。
その1855 8/17 am4.30
孫娘にとっては10日間の我が家の夏休みも今朝で終わる。
約束の自家栽培の野菜や西瓜、そうめん流し、花火、それに温泉と全てを体験した。
娘も短い夏休みを我が家で過ごした。 早くも冬休みにも来ると言っているが
今度は何を体験したいのだろうか? 沢山の注文を残して帰って行くだろう。
賑やかだった我が家は今夜から静かな夜となる。
パソコンデスクから眺める空は満天の星空である。
『石橋の町を訪ねて』UPしました。
その1854 8/16 am5.00
毎日の暑さは異常だと言うが私達にとっては
天国のような毎日である。
そんな中をもっと涼しい所はと滝と石橋の町、
大分県安心院町(アジムマチ)と院内町(インナイマチ)を
訪ねてみた。 数年前、KFさんと訪れた時は台風通過数日後で
あった事もあって水の量もあり迫力満点でありましたが
今回は水量も少なく迫力に欠ける滝と石橋の風景でありました。
娘にとっては水量のない事が幸いして石橋の全景が見られて
良かったのかも知れない。
昨夕は無い無いとぼやいていた夕立もあって
涼しい夜であり、花火を童心に返って孫達と楽しみました。
静かな集落に我が家の打ち上げ花火の音が響き渡りました。
集落の皆さん、お騒がせしてすみませんでした。
その1853 8/15 am5.00
不思議なことがあるものだ。
今年は真夏の風物、入道雲が見られない。 利生禅寺の上空にもくもくと湧き上がる
光景を撮影してパソコンデスクからの報告で真夏を表現しようと考えていたのだが・・・
そんな事が原因しているのかは定かでないが室内温度は30度を超えることがまだ無い。
もしかして温度計が狂っているのかも知れないと思い始めている。
現在の気温が28度、湿度70パーセントである。
ところで昨夜は私の使っているページ編集ソフトが言うことを聞いてくれず
「我が家の農事報告 8/14」が今朝の編集となった。
その代わりと言ってはお粗末だが「そうめん瓜」を特集してみた。
見てください。笑ってください。
あぁそうでした。昨日のイベントは18mのそうめん水路を順調に流れて大成功でした。
サブ君も大喜びでありました。 一番喜んだのは私でした。(@_@;)
その1852 8/14 am5.00
昨夜、地域の新盆供養の盆踊りが行なわれた。
娘、孫娘を連れて参加した。 参加したと言っても私は一度も踊った事はない。
子供の頃は高さ4メートル近いやぐらの上で太鼓に合わせて唐傘を手に口説いた人も高齢化、
マイク無しで集落に響いていた口説き(この地方独特の節をつけて歌うと言うか語る)の
名人も姿がない。 そしてやぐらも軽トラの荷台となった。
それでも年に一度の老若男女の集まりであり、世間話に花を咲かせる。
多目的集会所の前庭は2時間あまりの盆踊りの輪は広がった。
西の空には三日月も出ている。 満天の星空の下であった。
その1851 8/13 am5.30
「一人増えて賑やかになったと思ったら又、今日、一人増えるんだって?
益々賑やかになってゆっくり昼寝も出来なくなりそうだから今のうちに寝ておこう」
サブ君熟睡中をゲットしました(^^♪ だらしねー格好だねー(@_@;)
「仕方ね〜よ、年なんだから」
その1850 8/12 am5.30
随分日の出が遅くなった。 早い時には今の時間は太陽が顔を覗かせていたのだが
今朝は星空の下をサブ君の散歩でありました。
蛙の合唱も少しずつ小さくなっている。 周辺の山の緑も黒くなり秋近しの感がある。
裏の畑のコスモスも次々と咲いている。
利生禅寺の裏山の稜線がくっきり見え始めた。 少しは涼しい一日であろうか。
その1849 8/11 am3.30
昨日、午後から大分県庁において「福岡県西方沖地震災害調査報告会」があった。
大分県建築士会も共催となっている事から私も参加したのである。
大分大学からは菊地健児氏、井上正文氏、九州大学から、崎野健治氏、河野明彦氏が
各種の建物の被害状況の調査報告がされ、最後は大分大学助手黒木正幸氏の
コーディネーターによるパネルディスカッションで終わった。
詳しい内容はここでは述べないが冷静に調査をした結果としては震度の割には被害が
少なかったと言えそうである。
阪神大震災以来観測地点も増えて今回の福岡県西方沖地震の調査データーが
今後の地震災害に様々な形で役立つ事を期待したい。
pdfファイルですが大分大学の菊地健児氏、黒木正幸氏の調査報告の一部が公開されています。
http://menshin.tec.fukuoka-u.ac.jp/tkymlab/kikuti.pdf
その1848 8/10 am6.30
9.00の開場に間に合うようにと家を出た。
昨年、夏以来の『海たまご』(以前はマリンパレスと言っていた)でありました。
新装された海たまごは魚などの生態よりも私には建物に興味を引かれていたのでありますが
なかなかの設備技術と躯体施工に感心させられた2時間でありました。
さてそれからが大変で15度の世界は工事渋滞に巻き込まれのろのろ運転1時間30分
普通に走れば1時間もかからないのに・・・
大阪では何時もの事でありましたが久しぶりの暑い中の渋滞はアスファルトの匂いに
酔いどっと疲れる時間でありました。
小庄屋の身分で苗字帯刀を許されたと言う広田吉衛門(吉四六さんのモデル)の
故郷にある風連鍾乳洞は日本一美しいと言われている。
外気温35度、洞内温度は年中15度だそうで私の沸騰しかけた脳みそも
カメラに集中することが出来たのである。
その後、折角来たのだからと吉四六(きっちょむ)さんの勉強を一通りして
また来た熱い道を2時間かけて帰宅したのである。pm5.00帰宅
疲れがどっと出て編集することが出来ませんでした。お詫びいたします。
その1847 8/9 am4.00
長い事作物を作っていなかった畑は小石がいっぱいである。
そんな訳で朝の涼しいうちの一時間、孫娘に畑の小石拾いを手伝ってもらった。
大豆を蒔いた一枚の畑は随分綺麗になった。その後、ミニトマトと枝豆の最後の収穫をした。
孫に実った状態を見せる為に残しておいたのである。
西瓜も籠で保護されている状態で説明することになった。
西瓜がきゅうりやニガ瓜に変身する事などは決してない事や、
手入れの方法の違いで成長過程が変わることなどを説明したのだが・・・・
そして、10時のおやつに昨夜から冷蔵庫に入っていた西瓜を二人でぱくついたのである。
さすがにその味は解って貰えた様である。
今日はKFさんと三人で海の博物館『海たまご』に行くことになっている。
その後、隠し玉の所へ連れて行こうと思っている。
この暑い中でも気温15度の世界がある実感をKFさん共々味わってもらおうと計画しているのである。
気温15度の世界は今夜、皆さんも写真でご案内したいと思っています。
その1846 8/8 am6.00
昨夜7時40分、孫娘が最終便でやってきた。
久しぶりに賑やかな時間に私の夜中まで話が進んだ。
四角い西瓜の製造工程(^^♪だけは説明したが本気にしているようだ。
今日はじっくり畑仕事を手伝ってもらって作物の成長過程の本当の事を
教えようと思っている。
種まき、発芽などの成長過程は沢山の写真で記録している。
それを見れば解ってくれるだろう。
又、ミニトマトやニガ瓜、ナス、枝豆等は一緒に収穫しようと考えている。
賑やかな10日間の始まりである。
その1845 8/7 am4.00
今夕は箱入り孫娘が籠入り西瓜と対面することになる。
西瓜の成長は早い。一週間でほぼ籠一杯になった。
『おばあちゃん、西瓜って土の中に出来るの〜』と言う孫娘に
籠をすけたことでキュウリにならずにいよいよAさんが言っていた
四角い西瓜へと成長を始めそうだよ。?(@_@;)と孫娘に
説明することにしているのだがさてさてその結果やいかに!!
8/6撮影 下の7/30日撮影と比べてみよう(^^♪
その1844 8/6 am4.30
静かな朝が明け様としている。 今朝は風の音も聞こえない。
ただ私の打つキーボードの音だけである。
パソコンデスクからは沢山の星が瞬いているのが見える。
静かな朝だ。 今日も暑い一日なのだろうか?
その1843 8/5 am5.00
あははハー(^○^)長らくお騒がせしました謎の光の正体が判明いたしました。
風の強い日に動きがある事から判明いたしました。
パソコンデスクから見える外灯は7ヶ所ですか謎の光を発する外灯だけが
裸電球で他の外灯は蛍光灯でした。
裸電球の外灯は道路を出来るだけ明るく照らすように反射板が別に付けられており
その別の反射板と既存の反射板に隙間があり偶然にパソコンデスクからは
その隙間の光が見えていたのでありました。
時々動く現象は別の反射板が風に揺れて裸電球が直接見えていたと言う事になります。
反射板が揺れるたびに鋭い光が目に入っていた事で懐中電灯が動くという現象でありました。
偶然にその外灯の高さがパソコンデスクの高さと同じであった事からなお更に不思議な
現象となったと言う事です。 墓地で2時間以上も懐中電灯の明かりが・・・
犯罪の臭いではと思ったことから始まったこの怪奇現象はこうして幕が下ろされます。
今朝も時々風に揺れているのかこの現象が見えています。よかった。よかった。
その1842 8/4 am6.00
やっぱり今朝も懐中電灯の光がうっすらと見える。
それでも今朝は動きがない。 昨日は2回もサブ君の散歩で謎の光の発生源を
突き止めようとしたのだがまったく見当も付かない。
今朝も5.00、サブ君と少しだけ回り道をして謎の光の正体を
見つけようと努力したのだが相変わらずである。
今は作物の植えられていない畑の中、その角にはお墓がある。
パソコンデスクからはお墓の位置に謎の光が見えていたのだが
夜が開けてみるとそのお墓の左5mほどの所である事がわかった。
その道路の反対側には外灯があり、懐中電灯などいらないほどの明るさである事も
今朝の散歩で解った。益々謎が深まるばかりである。
8/3、8/2、8/1の記事が何処かへ行ってしまいました?
写真だけ復帰しました。
7/30撮影
7/31撮影