その1714 3/31 am4.30

爽やかな朝である。 澄み切った空気は美味しい。 少しだけ寒く感じるのだが・・・

最近、勝手に私のメールアドレスを使ってアダルトサイトやおかしなメールを送りつける

野からがいるようである。 私にも私のメールアドレスが発信者として送られてくる。

便利な世の中になるとそれを利用して金儲けの手段にする馬鹿もいると言う事の様である。

ここにも歪んだ時代の世相があるようだ。

ご迷惑をおかけしている方々もおられる様ですが只今全ての着信メールの発信元の

調査中であり、まもなくその結果と処理が公的機関によって行なわれる予定です。

 

その1713 3/30 am6.30

うぐいすが上手に鳴いている。向いの利生禅寺の鐘も鳴り始めた。

今朝も上空は雲ひとつないのだが東の空は雲があり日の出を見ることは出来そうにない。

昨日は午後4時過ぎニナ拾いに出かけた。

無数に拾えるのだがまだ小さいので少しだけ収穫した。

来月の楽しみにする事にしよう。

国東町を含む4町の合併調印式が昨日行なわれ、来年3月31日

「国東市」が誕生する。人口35000人ほどの市である。

 

その1712 3/29 am6.00

27日の日曜日、KFさんがサブ君の好物のサツマイモの植える場所を作ると言うので

何時もは手伝わなかったのだが畑を耕す手伝いをした。

十数年耕していなかった畑には竹の根や木の根が伸びて大変でありました。

午後2時からは区集会があり少子高齢化の現象をつくづく感じさせられたのでありました。

私の通っていた小学校は今、生徒数20数人と言うことで父兄だけでは学校内の管理も

まま成らないと言う事で後援会を作り私達住民が協力してお手伝いをしようという事となりました。

学校の管理は町の仕事だと割り切る都会とまったく違った発想である。

町に全ての管理をして貰う事はたやすいのだがその分税金として徴収されることは

目に見えている。 そんな訳で学校の校庭の草取りや町道の草取り、補修など

町民で出来ることは出来るだけ町民が協力した行なうのである。

古くから小学校の法面にある巨石に書かれた文字の『一村一心』の精神である。

 

その1711 3/28 am6.30

野菜とは野に出来る菜ということで我が家の周辺では贅沢を言わねば

毎日の野菜は買わなくて済む。 土筆も今年は卵とじで頂いた。 

昨日はクレソンを湯通しして油で少しだけ炒め豆腐とあえてクレソンの白あえで

一品が出来た。洋食、特にフランス料理(食べたことはないが)には嗅がせないと言われる

クレソンは大昔、私の小学生時代には我が家の牛も敬遠していた水草の一種であった。

その名も『カワナ』と呼ばれ厄介者でありました。

私がカワナがクレソンである事を知ったのは数年前のことでありました。

人工栽培でなく飲めるほど綺麗な川の浅瀬に取り放題のクレソンはお百姓さんたちは

見向きもしない。 サラダでも食べられると言うことで取立てを口に入れてみたが

それほど味が感じられず牛が敬遠していた事もうなづけたのである。

ところで昨日の収穫は写真の通り「フキノトウ」でありました。

サブ君と散歩の途中に収穫しました。 今夜はこれの天婦羅になるのかな〜

 

その1710 3/27 am6.00

天候異変に悩まされている我が家でもUターン後に蒔いた大根の試験掘りがされた。

母が生存中に種を蒔いた菜の花が今も綺麗な春を私たちに見せてくれている。

若い芽を摘んで何度も食卓に上った。

そして今度は私たちが種を蒔いた大根の収穫である。

少しずつであるが畑の耕作面積も広がりサブ君の好物のサツマイモを

植える場所の確保も出来て来ている。 夏休みに西瓜をあてに来ると言う孫娘の

希望に添えるように土作りがされてまもなく苗を植える事になる。

都会で味わえない様々な事柄に当惑しながらも楽しく挑戦し続けている。

初収穫の大根 私と同じでひねくれ者のようである

 

その1709 3/26 am5.00

よく言ったものだ。「年を取れば子供に帰る」という言葉がある。

貝堀の件もそうであるがまるで子供が遠足や旅行に行く時のようにそわそわうきうきして

ほかの事は何も目にも耳にも入らない。それほどに夢中になるという事のようである。

私は特にその傾向が強いようである。

現場に入ると仕事に夢中になり他の予定などを忘れてしまう。

昨日も現場に夢中になりサブ君の散歩の時間を3時間も過ぎてしまった。

最近もKFさんを迎いに行く時間をすっぽかして携帯で催促される事態もあった。

最近その傾向がますますひどくなったように思われる。

ましてや私は時計を持たない。その事が終わらねば次を考えない。

ただ、物忘れが激しくなっただけなのかもしれないが・・・・

本日の予定

9時 お寺に息子の月命日まいり、 

10時30分、T邸本体工事最終チェツク

「うん、これで良し」

『早春賦 5』を変速スライドで公開しました。am7.00

 

その1708 3/25 am5.00

今日も今年8度目の積雪の朝が明けようとしている。

昨日の寒さが今思えば当然であったと思える。

午前中で仕事を終え午後からは現場から少し行った所でマテ貝が取れると言う事で

朝から落ち着かずそわそわであった。

予定どうり仕事を無事終えて家に戻り始めたところ雷を伴った豪雨となった。

「こりゃ〜貝堀どころではないな」と思いながら帰宅、昼食済ませた頃からは

雨もあがりサブ君の昼の散歩もすませた。そして1時半、雲も切れて青空となったのである。

「貝堀に行くぞ」「準備できてるよ」 大潮で干潮が午後二時半、今から行けば間に合う。

私たちは山中を貫いた大型農道オレンジロードを一目散に突っ走ったのである。

車中の会話、「貝を入れる入れ物を持ってきたかい」「うん、ざるとビニール袋」

「よしよし、それには入れないほど取れたらどうする」「車の後ろに開けて積めばー」

「それよりも沢山取れたら教えてくれた青鬼さんに帰りにお届けしなくちゃねー」

「うん、そうだね。ねーさんちにも持って行こう」 そして2時、浜に着いて唖然となったのである。

波は1メートルを超え、北風が立ってもいられないほど吹き荒れ目も開けられないで

浜へ出れる状態ではなかったのである。

海岸線の国道を走れば早々に気づく事であったが大型農道を走った為に気がつかなかったのである。

その上、山育ちでマテ貝堀は二人とも初体験、その楽しさに夢中であったのである。

又、風が強い日は海が荒れると言う常識もマテ貝は私たちの頭の中から

取り去っていたのでありました。 

そして昨日の収穫は以下のとおりでありました。(T_T)(@_@;)(^○^)

 

その1707 3/24 am4.00

私は都会暮らしの贅沢を味わう事無く大阪暮らしを40年した。

やっと暮らせるだけの収入と都会の風の味だけを味わったに過ぎない。

仕事も利益を上げるというよりも奉仕の精神を貫いたつもりである。

私のような少々規模の会社を、いや会社と言えるかどうかも解らない

私の仕事は奉仕の精神がなければ続けられるはずもなかったこともある。

集会や付き合いで飲み屋へ行ったりした事はあるが家族ではレストランやホテルの

ディナー等も皆無であった。 たまに家族ですし屋や焼肉屋(ホルモン焼)で一杯やる程度であった。 

年に一度家族揃って一泊の温泉旅行が贅沢と言えば贅沢だったかもしれない。

私は都会の贅沢をこの目で沢山見る機会はあった。

仕事の打ち合わせ等で訪れると見たことも無い豪華な料理の数々をご馳走になり

これがこの家の食事かと羨ましくは思ったこともある。

しかし、その贅沢を我が家でも味わいたい等とは思った事もなかった。 

『早春賦 4』をUP am6.20 

 

その1706 3/23 am6.00

今朝も利生禅寺の明け六つが響いている。のどかに開ける山里である。

土日、祭日となると田植えの準備の田おこしがあちらこちらで見られるようになった。

先の21日川向こうの田んぼもこの周辺では大型の耕運機が一日中唸りを上げて

田おこしをしていた。 うぐいすも庭先の梅ノ木に止まって上手にさえずっている。

こののどかな風景を見ているとなんだか長生きが出来そうな気さえ思える。

山里には何もないといって離れていく若者達よ、素晴らしい所ではないか。

贅沢の味を覚える前に帰ってこないか・・・・

 

その1705 3/22 am6.30

久しぶりに朝から夕方まで太陽が出た。 今年初めてではなかろうか?

半そでのシャツで気持ちよいほど気温が上がった。

山菜取り、潮干狩り、花見、ハイキング何もかも今の季節が良い。

体が三つほど欲しい・・・

今日の予定も朝からの雨で延期になりそうだ。春は駆け足で通り過ぎていく

待ってくれ〜〜

 

その1704 3/21 am6.00

昨日、隣町の農村公園で開かれていた『なのはなまつり』で50年ぶりに手野神楽と再開した。

小学生の頃は毎年近くの神社の冬祭りには必ずこの「手野神楽」が

奉納され幼い私は夜通し神楽のしぐさの激しさに目も心もひきつけられておりました。

手野神楽は元禄年間(1688〜1704年)に始められたといわれる

三井寺神楽の流れをくむ神楽で、舞技舞楽(ぶきぶがく)の豊富な事はほかに類を

見ないそうだ。現在は神楽組が保存会を組織し後継者の育成にも努めているそうである。

「私の日曜日 なのはなまつり 農村公園の今日」をUPしました。 am9.00

手野神楽 3/20撮影
 

その1703 3/20 am6.00

国東半島へ春が一気に押し寄せている。

私も懸命にその春を捉えようとしているのだが到底私に勝ち目はなさそうである。

毎日のように100枚近い駒数を消化しているのだが自然の偉大さは

あまりにも大きく想像を絶する。 万分の一もお伝えできそうにありません。

海に山に川に野に駆け巡っている私を想像してください。

『早春賦 3』 6.45UPしました。

サクランボの花 3/19 撮影

 

その1702 3/19 am6.00

昨夜、部落集会が午後6時から行われた。

少しずつではあるが集落の規模やしきたりがよみがえってきた。

旧正月の1日には班長の引継ぎがあり昔は13戸であった戸数も一つ減り12戸となり

班の集合である部落集会に参加総数は27戸と以前より5戸ほど減ったようである。

今月、27日には部落の集合である区長の引継ぎが主な議題となる区集会が

行なわれると言う。 集会後は何時もの事で一杯やりながらの世間話に

時の経つのを忘れさせてくれる酒宴でありました。

顔と名前が未だ一致しない私には酒宴の席での会話の一つ一つから

読み取ることにしている。 

今、やっと班の人たちの顔と住まいが一致するまでになった。

『パソコンデスクからの報告』に一枚追加

その1701 3/18 am5.00

昨日、大分県は春一番が吹いたと報道された。

そんな事で今朝は春二番が吹き荒れる朝のようである。

冬の北風のように電線をヒューヒュー鳴らしている。

新聞報道によると「菜の花祭り」「旬づくしバイキング」「春祭り」「春の創作展」等など

今度の日曜日と祭日には行なわれると言う。 

現場へ行く途中のオレンジロード脇の山桜もちらほら咲き始めている。

国東半島も春本番である。 忙しくなるぞ〜

仕事もこれぐらい忙しいといいのに・・・・(@_@;)

 

その1700 3/17 am8.30

昨夜の工事終了は午後11時となった。

帰って食事をしバタンーグウーでありました。今、開眼(@_@;)

おかげで今日の工事予定も終わった。 若い元気な職人さんに

私も元気を頂いて自分の若かった頃を思い出す。

いいねー若いって言うのは。

 

その1699 3/16 am6.00

東の空の稜線は茜色に染まり西の空には明けの明星が輝く朝である。

北国札幌より日の出が30分も遅く訪れる国東く半島の朝である。

低空は霧で向いの利生禅寺も霞んで見える。 暖かい朝である。

今日明日は現場にノートパソコンを持ち込んで仕事になりそうである。

何事もなく無事に仕事が終わることを願いながら・・・

 

その1698 3/15 am6.00

今年の確定申告も今日まで、皆さんはどの様に申告されているのでしょうか?

私の考えは収めるものはきっちりと収め、その代わりに頂けるものはきっちりと

頂こうと思っています。

世の中には脱税の師範と言われる税理士さんもおられるとか?

収めるものはきっちりと収めましょうよ。脱税は犯罪なんですがね〜。

申告所得の少ない私にだけ言える事かも知れませんが・・・・

 

その1697 3/14 am5.30

4cmほどの積雪もすぐに解けて春の日差しが射し始めた昼頃から

再び猛吹雪となる。 そんな中でも土筆は確実に伸びている。

数日前は3cmほどであった土筆は15cmほどに成長した。

気づかなかったハランキョウ(スモモに似た果実)の花も咲き始めている。

今年は果実の当たり年との事で沢山の果実にありつけそうである。

ふるさとに帰って昔懐かしい果物が味わえる事も又楽しみの一つなのである。

 

その1696 3/13 am6.00

今朝も一面の銀世界である。 今年7度目の積雪である。

昨日の土筆も菜の花も雪の下になった。

『ふるさとで 菜の芽食うて 春の味』 k−plan 他に言葉がない。

『早春賦 2』 am7.50をUPしました。

 

その1695 3/12 am5.45

昨日午後から北西の風が強く吹いている。

こんな強い風の日に誰が野焼きをしているのだろうと西に方を眺めたが

それらしい様子もない。 そしてはるか下流をながめると杉林から

煙が出ているではないか? そして利生禅寺の裏の杉林からも、

又そして数メートル前の杉の木からも・・・・

スギ花粉の大飛散でありました。 スギ花粉が飛散するとは聞いていたが

こんなに大量に飛散する様は始めての経験となりました。

風に乗って煙が流れる様にである。 

サブ君はただの寝坊でありました。「心配させて〜」 (@_@;)

 

その1694 3/11 am5.30

おや?今朝はまだサブ君が散歩に連れて行けの催促がないぞ?

毎朝、4時半には催促があるのに・・・・

犬も朝寝坊するのんかな〜 それとも風邪を引いて寝込んでいるのではなかろうか?

朝早くから催促されればされたで「うるさい奴だもう少し寝てろ」となる。

ワンとも声がでないほどに風邪を引いて寝込んでいるのではなかろうか?

まったく世話のやける犬である。 いやいや随分と身勝手な私である。

しかし、本当に心配になってきました。ちょつと様子を見てきます。

ご報告は明日しましょう。「そんな報告など要らないって・・」(^0_0^)

 

その1693 3/10 am5.30

デジタルカメラを持ってぶらぶらすることをデジブラと言うらしい。

フイルムカメラだと何と言うのかな〜?

肉体労働の後のデジブラは今からますます良い季節になる。

風呂上りのビールのように(@_@;)??

 

その1692 3/9 am5.00

早春賦(そうしゅんふ)」 吉丸一昌作詞・中田章作曲

春は名のみの風の寒さや。 谷の鶯 歌は思えど

時にあらずと 声も立てず。 時にあらずと 声も立てず。

今の時期にはちょうど良い歌であろうと思っていたのだが

昨日午後3時の気温は17度、天気快晴、サブ君の散歩にでかけていたKFさんの

おみやげは何んとつくしでありました。 「何処に出てた?」「川の向こうの土手!!」

「もう一度行こう。サブ君は留守番させて」と言う訳でこんなページが

できちゃったよ〜。 透き通った青空にうぐいすも上手にさえずっています。

タイトルと中身のまったく違う変なページですがご覧下さい。

大分県国東町の片田舎の風景の中に春が来たのです。

『国東発@k−plan』『早春賦』をUP

 

その1691 3/8 am4.00

私は道端の大根を撮った。 KFさんは石仏のアップを撮った。2月12日の事である。

買い物に行く時も現場へ行く時も何時も車には二台か三台のカメラが積まれている。

12日は水汲みの後、梅を撮影しようと出かけていたので3台のカメラが車に乗っていた。

KFさんは梅の撮影はうまく行かなかったのだが帰り道に見つけた石仏には関心が

あった様で「止めて!」といきなりに急停車(^^♪その結果が『KF写真館』の阿吽でありました。

私は「梅」と待ち時間に撮った大根(私のひとりごと 2/13)となりました。(@_@;)

 

その1690 3/7 am5.30

森、林、木と同じ文字が並んでいる。

木が沢山あるところが林、 もっと沢山あるところが森だと思っていた。

ところがまったく違うと言うのである。

林は人の手で植林されたり間伐されたり、様々な人の手が加わった所で

森は自然に芽が出てそれが成長し自然に枯れていきその後に又新しい芽が

出てと言う様に自然に近い所を言うのだそうだ。

森では落葉した葉が腐葉土となりバクテリアが繁殖し害虫なども発生しないと言う。

自然災害もほとんど起こらない。 その上保水力も林の数倍あるのだそうである。

自然の営みは我々人間には想像もできない営みのある事を知ったのである。

 

その1689 3/6 am5.00

剣豪宮本武蔵の合戦の場所の看板に釣られて現場の帰りに寄り道をして見た。

狭い道路を上流へ登ること数百メートル、気をつけないと通り過ぎるほどの

小さい丘があった。 丘というよりも古墳を思わせる。

弘長元年(1262)築城されたと書かれた標識があった。城跡でありました。

そこで宮本武蔵は何をしたのだろうと看板を読んでいくとありました。

  『慶長五年(1600)九月二十三日〜十月二日

富来城攻防戦

城代垣見理左衛門は攻め寄せた黒田如水軍と対時した。

およそ十日間にも及ぶ激闘の末富来城は開城した。

(なお宮本武蔵はこの合戦に黒田軍として参戦し足を負傷している)』

とあった。  「国東便り」に 「仏の里 3」をUPしました。am7.30

 

その1688 3/5 am7.00

この付近ではフキノトウがないのかまだ早いのかまだ見ていない。

それでも春近しを味わうことが出来る。 川向こうでは菜の花が満開であるが

日当たりの悪い我が家の裏の畑ではセリや菜の花が食べられる。

菜の花の開花する前のつぼみの固い時期に摘み取りさっと湯がき、

酢味噌をつけて食べる。少し苦味があるがさわやかな苦味であった。

まもなく土筆が食べられる。 ワラビ、ゼンマイ、ウドの芽、タラの芽などなどの

山菜が取れる季節になる。 春の食の楽しみも一味変わった今年になるだろう。

 

その1687 3/4 am4.30

KFさんもすっかり国東の生活に溶け込んだようである。

ご近所づきあいや病院も順調に行っている様だ。

ご近所づきあいと言っても幼なじみがほとんどであり気楽にお付き合いがされている。

病院へ行かない日はサブ君の散歩や集落のコースを決めた散歩道を歩くことも

すっかりと日課となっている。 その結果であろうか大阪在住の時よりも血色も良くなり

元気な毎日を過ごしている。 何処へ行くにも車がなくては行けない不便さは

私が最大限カバーすることにしている。 そんな訳で私の撮影にはKFさん同行である。

KFさんの撮影した画像も日増しに増え始め自薦、他薦(私だけ)の画像を

公開することとなりました。 ご笑覧いただければ幸いです。

『KF写真館』 開設 「国東発@k−plan」TOPにリンクしました。

 

その1686 3/3 am5.00

♪あかりをつけましょぼんぼりに お花をあげましょ桃の花♪

今日はひな祭り。 我が家ではひな壇に雛人形を飾ることはなかった。

娘や孫娘が幼稚園から持ち帰った紙で折った雛人形でありました。

女の子の成長を祈る行事であるが雛人形を飾らなくとも素直に成長した

娘や孫娘たちがいる。 

少しだけ親としては心残りはあるのだが・・・

 

その1685 3/2 am4.30

突然ピアノの音で目が覚める。時計を見ると2時15分である。

私の好きなリチャードクレーダーマンのピアノの音であったからだ。

仲間内では演歌や浪曲が好きだと思われているようだがそうではない。

ポールモーリアやアルフレットハウゼやビリーボーンなども好きである。

毎朝、NHKラジオ2時台はロマンチックコンサートと題してポピュラーの

名曲が聴けるのである。 今朝はその時間の45分ほどであるが

リチャードクレーダーマンの特集であった。 

すっかりと目が覚め興奮して眠れなくなってしまったのである。

彼らのLPレコードも大事に保管されているのだがまだ装置の設定まで行かずに

一階の倉庫に眠ったままである。 

自作のプレーヤやアンプも早くセットして聞きたいものである。

 

その1684 3/1 am6.00

ほんの少しだけ建築雑学です。

下左図は国東半島独特の間取りです。 仏間と神の間が隣同士に配置されています。

こちらの写真でご覧になってください。 この形は神仏習合の崇拝の名残のようです。

寺にも神社にも仁王像がある事からもその名残は想像されることなのです。

国東半島の仁王像についてはこちらでご覧になってください。

一般的には下右図のようになっています。 

その場合仏間は別室に作られることが多いのです。

この事については順次お話して行きましょう。

 

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