その1655 1/31 am5.30

29日の梅園の里は気温が16度もあったのだそうだ。

冷たい缶コーヒーが旨かったことはこんな気温であったからであろう。

今朝は冷たい北風の朝になった。 寒い朝ほど月も星も輝いて見える。

原理はわからないが毎朝のサブ君との散歩でそう思うのである。

話は変わるが折角、我が家の周辺には先祖代々受け継がれてきた畑があり

何とか有効利用しようと計画をしているのだがよい方法がない。

とりあえずは裏の畑の利用から始まっている。

そんな中に記念植樹をする事にした。 毎年一本づつ梅の木を植えることにしたのである。

今年はUターン一年目の記念として少しだけ奮発し2500円なりの「サツマ紅梅」を

植えてみた。木の丈1.5メートルほどで沢山のつぼみの付いた木である。

元気に育ってくれることを願いながらの記念植樹でありました。

 

その1654 1/30 am5.30

梅園の里は春を待ちかねたように早咲きの梅の花が咲き始めておりました。

赤にピンクに白にと色とりどりの梅の花に迎えられたのであります。

朝早いこともあって色の鮮やかさは格別でありました。

気温は10度を越えていたようで日当たりの良いところでの撮影は

汗がにじむほどでありました。 梅園の里はもう春でした。

国東発@k−plan 第8弾『♪春が来た♪』の公開です。

その1653 1/29 am6.45

「何か忘れてるぞ」そう思いながら朝食を済ませた。

サブ君の散歩も4時半には行った。 

月が輝いているからか星の数が少ない等と思いながらの20分間であった。

外灯もないたんぼのあぜ道であるが月明かりで十分に散歩できる。

そして今日は南から北へネットサーフィンでありました。

スモモの写真をお土産に一回りでありました。

今日お伺いできなかった方々へは明日お伺いします。

今日は梅園の里へ梅の花の下見に行ってきます。一輪でも咲いていれば

次回が楽しみになるのですが・・・・

あぁ〜そうでした。 ひとりごとを書くのを忘れていたんです。

 

その1652 1/28 am5.00

公開質問箱へお便りを頂いた正清敬次様へ

どうしているのでしょうねとお尋ねしておりました北原健二さんが1月26日死去のニュースに

驚いています。65歳と言う若さでありました。「若い二人」や「日暮れの小径」

「ふるさとの話をしよう」やお話に出ていた「ああ来年も来ておくれ」等などの歌声は

今も懐かしい思い出として心に残っています。

    ♪麦の取り入れ手伝いに はるばると来た人でした。

       鎌の手さばき鮮やかに 汗に輝く人でした。

       ああ、来年も来ておくれ。

    ♪絣もんぺに紅だすき 素敵に似合う人でした。

       笑顔明るく何時いつも そっと働く人でした。

       ああ、来年も来ておくれ。

    ♪バスが出るとき手を振って さよなら言った人でした。

       黒い瞳をうるませて、別れを惜しむ人でした。

       ああ、来年も来ておくれ。  (北原けんじ 歌)

私の好きな歌の一つである。 こんな光景を想像することは

不可能なのでしょうかね?農業青年のWacanさん (2001年10月14日のひとりごとより)

北原健二さんのご冥福をお祈りします。

 

その1651 1/27 am4.00

またまた訂正です。「スモモは3〜4月開花し6〜9月に収穫する」とありました?

しかし今開花しているのだから三月には食べられるのではと思い込んでいました。

ところが今開花した花はほとんど結実しない事が判明、2月ごろから開花した花に

結実するのだそうだ。 花を楽しみながら野菜作りや果実を作ろうと計画している

私たちにはあまりにも未熟であることが解ったのである。

裏の畑に苗を貰って植えた青梗菜はすっかり虫に食われたと思っていたのが

虫ではなく小鳥が食べたのだと言う。無残な姿が今ある。

これからは野菜作りや果実作りの勉強が増えた。

「種を蒔けば実る」 そんな簡単なものでないことを思い知らされている。

 

その1650 1/26 am5.30

雨の朝となりました。 心なしかサブ君の散歩でも温かくなりましたよ。

ところで昨日一枚の写真「梅一輪」でご紹介した花は梅の花ではない事が判明しました。

「最近来ないねー」と噂していた同級生訪ねてきた。噂をすれば何とか、

まさにその通りでありました。 その同級生に紅梅が咲いていると自慢したところ

「ありゃー梅じゃないよ」と一言、彼は農機具の販売店のお偉いさんだから

間違いない事と確信したのである。 

話によると梅と思っていた写真の花は『スモモ』の花でありました。

この花の実は梅ほどの大きさで成熟するとそのまま食べられる。

果肉は真っ赤で甘酸っぱく子供の頃や花博公園でも昨年食した果物であった。

花びらと枝の部分にその特徴があると彼は指摘したのである。

農家を回って農機具の販売や修理を長年してきた彼の説明は具体的で

説得力があり、私はただ話を聞くだけで納得したのである。

三月頃になるとスモモの実が熟れたら食してみようと考えている。

写真のタイトルは「スモモ一輪」では様にならないのでこのままにします。

 

その1649 1/25 am4.30

大分県の温泉と言えば別府温泉と言うだろうが狭い国東半島にも

数々の温泉がある。 昨日、お話しした『渓泉』から数キロほど上流には

『あかねの郷』という温泉ががある。いずれも国見町の町営の温泉であり

平日一人300円の料金で温泉が楽しめるのである。

当然の事、食事も出来る。宿泊も可能なのである。

山深い温泉に浸かって海の幸、山の幸を満喫できる条件は

何処にもない素晴らしさがある。 他にも国東半島には十数か所温泉がある。

いずれ紹介しようと思っている。 前回宿泊した『あかねの郷』はこちらです。

国東便りに歌物語「浜辺の歌 2」一枚の写真「梅一輪」をUPしました。 

 

その1648 1/24 am6.00

利生禅寺の明け六つが鳴り出した。

昨日は仕事を兼ねて国見の渓泉と言う温泉へ浸かってきた。

硫黄の匂いがする湯船に浸かって山々を眺めるにはこの寒さの中では

一番の贅沢であろう。

大阪で銭湯に行くよりも安い300円でこの贅沢が味わえるのである。

病院以外は何時もKFさんと二人連れである。 大蔵大臣同伴なので心強い。

帰りにそのままパーマやと床屋に行くことにしていたがサブ君の昼食の時間や

宅配便の配達時刻であったのでそのまま帰宅して用事を済ませ

10月以来行っていなかったパーマやと床屋へ出かけたのである。

町役場の駐車場へ車を止め向かい合わせのパーマやと床屋を選んで入った。

40年以上行っていなかった国東の床屋の雰囲気を味わうことになったのである。

歌物語 『浜辺の歌』 国東便りに公開しました。

 

その1647 1/23 am6.00

冷たい雨の朝である。 雨の日の日曜日ぐらいはゆっくり寝ようと決めていたのだが

やはり3時になると目がさめてしまう。 そして4時半になるとサブ君は散歩の催促である。

そんな訳で傘を差しての散歩となった。 

サブ君も心得たもので舗装された道路の散歩へ誘ってくれた。

そして6時、サブ君の腹が減ったと催促である。

KFさんも同じで雨の日曜日ぐらいわと思っていたらしいがサブ君には通じないようで

サブ君の朝食の準備を始めている。 定期的に食事を貰える事が解ったのか

最近ではお隣のAさん宅の勤務はしなくなってきている。 サブ君の今後を見守りたい。

 

その1646 1/22 am5.00

昨日、東国東地域町村合併協議会がホテルの一室で公開で行われたと言う。

その中の報告の一つとして独自の行政を行っている姫島村がこの協議会から離脱としたと言う。

姫島村はえびの養殖等の海産物の宝庫であり、盆踊りの「きつね踊り」で全国に知られた

村である。  村の為になろうと職員の給与を低く抑え少しでも多くの職員を採用すると言う

独自の村づくりが合併協議会には受け入れなかったのであろう。

そして今回も新市名も合意に至らず継続協議となったという。

国東半島から見る姫島村は瀬戸内海に浮かぶ小さな島であるがこれからの発展に

期待したいと思っている。 尚、次回の協議会の開催日は未定だそうだ。?

 

その1645 1/21 am6.00

私の住む国東は町村合併に向けて調整が進んでいる。

その中に気になる事がある。特に福祉関係の廃止を打ち出したり

合併までに調整するとなっている事だ。

又、新市名は「くにさき市」と「国東市」のどちらかになる予定であるが

調整が付かずに何回となく持ち越し協議となっている。

温かいホテルの部屋で協議であるので眠くもなりなかなか進まないとでも言いたくなる。

町民になったばかりの私の口を挟む立場ではないと思うがこれまでの経過を見ると

そう思いたくもなるのですがねー。

昨日もほぼ一日横殴りの雪が降り今朝は今年三度目の積雪である。

 

久しぶりの更新です。『初歩の写真教室』 49 春を撮る

            「パソコンデスクからの報告」写真を追加

 

その1644 1/20 am7.00

今日は大寒、一番寒い日であるはずであるがここ二、三日暖かい日が続いている。

今日は北海道から九州まで走り回ってすっかりひとりごとを書くのを忘れていた。

たまにはお休みも良かろうと何処かで見たような・・・

そんな訳で今日はここまでです。

 

その1643 1/19 am5.00

「梅一輪 一輪ほどの 温かさ」と言うが季節は冬から春へと移る。

昨日、車を走らせていると白い小さな花が目に入った。

車を止めて後がえって見ると梅の花でありました。

北西が高台となった場所である為か沢山のつぼみと数輪の花を咲かせて降りました。

近所の人に聞いて見ると名前は解らないが早咲きの梅だと言う。

早速、右ポケットからIYX君の登場となりました。

春はもうそこまで来ています。 嬉しい春です。

 

その1642 1/18 am5.30

平成12年4月11日私のつたないホームページが公開された。

それからまもなく5年になろうとしている。

一向に進歩しない私のHPにもまもなく5万人目のお客様を迎えようとしている。

ほとんどのHPを訪ねてみるとTOPページから見るように設定されている。

しかし私の場合はTOPページからだと数回もクリックしなければ目的のページへたどり着けない。

迷路のようなページ作りになってしまっている。 何をどうすれば良いのか試行錯誤の連続である。

だから新しいページが出来るとここのページで一番早く紹介する事にしている。

ここのページをお気に入りに入れておけばいち早く新しいページを見ることが出来る。

しかし、このページも一ヶ月ごとにアドレスが変わる。

そんな訳で(変ないい訳です)こちらをお気に入りに入れてみてください。

少しは解りやすくなっているかもしれませんよ。 『国東発@k−plan』

でもアクセスカウンターは上がりません。それでも良いんです。

アクセスカウンターをあげる為のページではありませんから・・・・・

 

その1641 1/17 am5.30

早いものだ。 あれから10年、阪神淡路大震災は膨大な被災者と

数多くの教訓を残した。今も尚復興にかける町もありその教訓のいかされた町に

なろうとしている。 そして私たちは新しい数々の震災に対する知識を得た。

人間はそうして成長するのだろうか? 

片隅に置かれ忘れられようとされている人々のいる事も忘れてはなるまい。

支援策は次々と打ち切られて何もなかったかのように復興した町がある。

1995年1月17日午前5時46分に始まった長い戦いはこれからも続く。

6433人霊に黙祷をささげます。

 

その1640 1/16 am5.00

10年前の今日、大阪府豊中市で増築工事が行われ完成し

ラーメン店の開業を明日に控えた建物があった。

私の仕事としては工事中の建築廃材を明日午前中に搬出すし午後の

開店に間に合わせるだけとなっていた。

それも今日の搬出を予定していたのであるが搬出業者の都合で

明日に延期されていたのでありました。

店内では明日の開店準備もほぼ出来て私も店主の好意でラーメンの試食も

させていただいて明朝を待つばかりでありました。

そして生涯忘れる事の出来ない17日朝を迎えようとしていたのである。

 

その1639 1/15 am6.00

今朝も男の約束で4時半から15分ほどサブ君と一走りしてきた。

久しぶりに雲ひとつない星空が見られた。 今年になって日の出の時間に

雲が切れることが無く日の出の光景は未だ撮影できていない。

今朝こそは撮影できるかも・・・・

サブ君との散歩で気がついたことがある。

今朝も大きなクシャミを何度もしているのだが風邪を引いたのではなかろうか?

犬にも右利き、左利きがあるのだろうか? それはどうして見分ける?

電柱に向かって放出する時に右足を上げるか左足を上げるかであれば

サブ君は均等に上げている。 可笑しな疑問に頭を悩ませるのである。

 

その1638 1/14 am4.30

昨夜、利生禅寺で釈迦講と言う行事が行われた。

昔は盛大に行われていたそうであるが今では釈迦講そのものが

行われているお寺も少なくなったようである。 

住職の話によると釈迦講とはキリストの生まれる700年ほども前に

お釈迦様が仏教を広めたのだと言う。そのお釈迦様を偲ぶ行事だそうである。

住職の読経の後、住職とその家族、そして我々檀家と一杯酌み交わしながら交流する。

世間話から仏教の話、様々な話題で2時間ほどの酒宴は終わったのである。

つまり、集落の絆の確かめると思われる行事であった。

利生禅寺の由緒なども聞いたが又の機会にお話しましょう。

 

その1637 1/13 am6.30

今朝はサブ君に起された。 昨夕からウイルス対策ソフトの更新に手間取って

9時過ぎまで起きていた事もあっていつものように3時過ぎに目が覚めたのであるが

湯タンポの温もりについつい寝てしまったのである。

湯たんぽの思い出は数々ある。 子供の頃の湯たんぽは銀色に輝く

波打った卵を押し付けたような形や陶器で作られた円柱を転がしたような形など

様々でありました。 精度が悪かったのか時々お湯が漏れておねしょと間違えられたり

お湯を入れるのを忘れたりで数限りない。

そして今は昔の銀色のブリキ製の湯たんぽとプラスチック製の同じような形を

したものとホームセンターで発見した。 そしてプラスチック製のを買い求めたのである。

 

その1636 1/12 am5.30

昨日は鏡開きであった。大阪で生活していた時には気にもならなかった色々な

しきたりや行事に昔を思い出して挑戦している。

お正月の行事も随分と簡素化されているがお正月のお飾りとして

水の神様の水神様、火の神様の荒神様等へは鏡餅をお供えする。

我が家の水神様は住居から東へ5メートルほど離れた井戸の前に祭られている。

水神様の鏡餅は直系7センチほどの二段重ねの上にウラジロ(しだ系の植物の葉)を

乗せてその上に青い葉が一枚付いたダイダイと呼ばれるみかんを載せて飾るのである。

屋外と言うこともあって小皿に乗せて飾っていたのである。

ところが三が日を過ぎた頃その鏡餅は跡形もなく消えてしまったのでありました。

みかんは小鳥達が餅はネズミ達が持ち去ったのであろうがウラジロも小皿も

何処を探してもないのである。 その正体は未だに不明なのである。

 

その1635 1/11 am5.30

今朝は定刻の4時30分サブ君から散歩の催促があった。

今まではつないだ鎖を放してやるだけであったが昨日からは

引き綱に変えて私と一緒に散歩しているのである。

毎日決まったコースがあるらしくそのコースへ私は誘導される。

昨日の朝はお隣の勤務もお休みであったが今日はどうだろう。

北風が吹き身を刺す寒さにも負けないサブ君の元気さに私も

元気付けられるのである。

「ワン」おや?今日はAさんのお宅へ勤務するらしい(^0_0^)

しっかりとお勤めして来なさいよ。 

すっかり冷えたコーヒーがあった。

 

その1634 1/10 am6.00

今朝からは私がサブ君を起して散歩に連れて行くことにした。

寒くなって辛くなったのか、年をとって辛いのかは解らないが

朝は自分から散歩へ連れて行けと言わなくなっている。

昼間は何時ものように散歩の催促をするのだが・・・

4時半、昨夜降った雪が田畑に白く星の反射で光る。 そんな散歩コースを

20分ほどサブ君と歩いた。真上から西は雲一つなく星が輝いてた。

東の空を見ると真っ黒な雲である。今朝も日の出は見えそうにない。

一回りした後の熱いコーヒーはまた一段と美味く感じたのである。

   

その1633 1/9 am5.30

国東半島も随分と寒くなった。 毎朝見る向いの建物の屋根も裏の畑も霜で真っ白である。

昨日も午後温かそうなので外へ出て何かをしようと試みたのであるが北西の風が肌を刺す。

あわてて家の中に逃げ込んだ。

そんな訳かどうかはサブ君に聞いてみないと解らないが散歩に行きたいという「ワン」が

随分遅くなった。まもなく5時半になろうというのに催促の「ワン」がない。

ただKFさんのいびきだけが響いているだけである。

am8.10追加更新 『国東便り1月9日臨時号』

 

ところで『私の写真つきひとりごと』があるのをご存知でしたか?

京都の真如堂の副住職さんの個人サーバーをお借りして時々更新していますよ。

苦紗彌のインターネット僧坊のレンタルWEB日記です。

 

 

その1632 1/8 am5.30

最近、国見町という所に一日おきぐらいに仕事で出かけている。

一般的なルートでは我が家から4キロ下流の国道213号線へ出て北へ北へと

走れば目的地に着く。 信号機も4.5箇所程度で車も少ない片側一車線の道である。

ところが我が家から3キロ下流に国道213号線に並行するように

大型農道『オレンジロード』と言う片側一車線の国道並の道路がある。

信号機もない快適な道路がある。

以前みかんの栽培を奨励した時の名残の大型広域農道である。

山の中腹を貫くこの道路からの海岸方面の眺めは最高なのである。

交通量もほとんどなく地元の車に時々会う程度である。

そしてもっと近道があった。それは山越えである。

我が家から国東半島の反対側にある国見町は山を越えていけば海岸線を迂回するよりも

ずっと近いのである。 そのうちに山越えを試みたいと思っている。

 

その1631 1/7 am6.00

今日は七草、我が家の周りに全てがあると思うのだが私には見分けは出来ない。

おそらく大根、人参、キャベツ、白菜、せり、ねぎ、ほうれん草の七草粥が

今夜の我が家の七草粥となるであろう。

もしかしたら七草うどんになるかな?

利生禅寺の明け六つが響いている。

 

その1630 1/6 am5.00

何でもそうなのであろうと思うが体験することが一番理解しやすい。

幾ら言葉で言っても本当に理解できるものではない。

高齢者のお宅や障害者のお宅にお邪魔して工事の打ち合わせをするのだが

健常者の親や家族は見た目やデザインを優先する。

丈夫さや使い心地や使い勝手は二の次なのである。

各公共施設やコンビニや商店にも車椅子用のトイレがあると

案内板や広告があるのだが車椅子ではそのトイレに行き着くことの

出来ない事もしばしばである。 トイレそのものは障害者用に改良されているのだが

それまでの通路に段差があったり、商品があったりで使えないことが多い。

ひどい話ではただ洋式トイレが付いているだけで障害者対応などと宣伝する

者まで現れ始めている。 障害者や高齢者への本当の理解は本人が

高齢者や障害者にならなければ出来ないのであろうか?

『パソコンデスクからの報告』写真を追加

 

その1629 1/5 am4.30

水不足の話だが孫娘と娘(孫娘の母)が25日帰ってきて以来、

洗濯に洗面に入浴にと便利な設備となった我が家の水を大阪並みに使っていた。

そして孫娘が入浴中に水が出ないと言うことになったのである。

当然に水不足は解っておりKFさんと節約しながら使っていたのであるが

その事を娘や孫娘に言っても本当には理解していなかったようである。

そんな訳で水がなければ30日の餅つきが出来ないと言う事となった。

幸いなことに私の妹の家は町中にあり町営水道を9月の増築工事の時引き込んでいた。

そんなことでもち米、餅つき機など一切を車へ積み込んで行き

無事に餅つきの行事を終わらせたのである。

我が家では天日と言われる太陽熱温水器が屋根の上に付けられており

節約しながらの入浴でありました。

炊飯には妹の家からポリタンクで水を運び、洗濯物はコインランドリーへ行き

何とか切り抜けたのである。 当然の事孫娘たちの洗濯物はそのまま大阪へ

持ち帰ってもらうこととなりました。 これで少しは資源の大切さが解れば幸いである。

 

その1628 1/4 am5.30

孫娘たちの帰阪が早朝と言う事もあって前日から準備に取り掛かった。

車を広い道まで出して置かないとガレージ出入り口は凍結でどうする事も

出来ないことは前もってわかっていた。

雪だるまを作る時転がした道は幸いなことにその部分だけが

綺麗になって僅かな除雪で車が登れるようになっていた。

それでも所々凍結しておりタイヤチェーンの出番となった。

初めて着ける事になったタイヤチェーンは国東半島の冬の必需品である事を

聞かされており早々に準備していたのである。

家族総出の雪かきとタイヤチェーンの装着でお昼頃には広い道まで車が出た。

そして午後二時半、サブ君が出勤した後家族揃って温泉へ向かったのである。

1月2日の我が家の出来事である。

 

その1627 1/3 am4.00

賑やかだった我が家も今朝、孫娘も娘も大阪に帰っていく。

最後の夜となった昨日は温泉でゆっくりとしたのである。

除夜の鐘を突いた事、雪だるまを作ったこと、水不足で不自由した事、

等々様々な田舎暮らしの経験はこれからの彼女達に

何か役立って欲しいと願っている。

特に資源には限りある事を水不足で体験することになったハプニングは

後日お話しすることとして我が家のお正月はハプニング一杯の日々でありました。

明日からは静かなお正月をKFさんと二人で楽しもうと思っている。

 

その1626 1/2 am5.00

一日中雪が降ったり霙になったりと私の予定を狂わせた。

十六年ぶりに見る積雪8cmは私を童心に返らせた。

娘や孫娘を伴って雪だるまの製作に汗を流したのである。

胴体が直系2m、頭の直系は50cmを予定して製作に取り掛かったのであるが

雪質が柔らかく繋がらない。急遽、てるてる坊主風雪だるまとなったのである。

KFさんは高みの見物、2階の窓から私や娘の行動に呆れて物も言えないと

爆笑でありました。 私と孫娘の雪だるまの製作過程はk−planの娘がばっちりと

カメラに記録されていた。 

国東便り 『k−plan邸の雪だるま』 am8.30公開  

 

その1625 1/1 am7.20

出かけようと車に行った所サブ君が何時ものように散歩に連れて行けとせがむ。

それではとひと回りする事になった。そのうちに北西の風が雪を運んできた。

見る見るうちに積雪は5cmを越えて月も星も見えなくなった。

そして今、デスクからは白一色の世界である。

am7.00現在の画像である。

 

その1624 1/1 am5.30

新年明けましておめでとうございます。

         本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨夜の利生禅寺はちらちらと雪の舞う除夜の鐘つきとなりました。

108の煩悩を払い新しい年を迎えるこの行事に始めて参加した。

我が家の家族も新しい年を良い年になるようにと思いを込めて鐘を

力いっぱい打ち鳴らしたのでありました。

今年が皆さんにとっても良い年でありますようにと願いを込めて打ちました。

 

そして今、月がかすみ、星も所々見えています。

初日の出が見られるか解りませんが出かけてきます。

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