その1623 12/31 am4.00
泣いても笑っても今年も今日一日、地震に台風と災害の多い年であった。
そして、人類の滅亡へと突き進んでいる現状を知ってか知らずか
地球環境が後押ししているのではないかとさえ思える。
私達は少しでも生活環境の良いところへと移り住んだ。
そして、地球環境の悪化をまざまざと思い知らされる。
人々の荒んだ心までもが外から見られるのである。
陸の孤島と言われた国東半島にもその悪化の嵐が何処からともなく
吹き込んできつつあるのである。
私にはどうする事も出来ない歯がゆさだけが残る。
せめてこの集落のように人と人の繋がりを大事にしたい。
新しい年こそ良い方向に向かう年になればと願うのみである。
今年もお付き合いいただきまして有難うございました。
その1623 12/30 am6.00
昨夜、大阪からk−planの娘が帰ってきた。
これで全員が国東の我が家へ集まった事になる。
今日は餅つきをする。便利になって私とサブ君は用無しの存在である。
出来上がるのを待って食べるのだけはお手伝い出来そうである。
向いの利生禅寺の明け六つが鳴り始めた。
明日の除夜の鐘は我が家全員で突く。
只今、参加者募集中との事です。全国の皆さんどうぞお越し下さい。
大分空港からレンタカーで20分、何もありませんが満天の星空と
綺麗な空気と温かい人情でおもてなし致しますよ。(^^♪
その1622 12/29 am5.30
今年最後の仕事を終えて新春早々から始める新シリーズの撮影に
回り道をして帰ってきた。温かかった国東半島もさすが師走を思わせる北風が吹き
手もシャツターを押すタイミングをはずすほどに寒い。
まして昨日は海岸線の絶景を撮影しようとリアス式海岸の
先端に建っての撮影であったこともある。
澄み切った青空と少しだけ荒れた海はこの被写体には良かったようだ。
まさに『国東半島』(作曲 音楽の部屋さん 作詞 k−plan)の
一番の歌詞そのものの風景となりました。
水しぶきを浴びながらの撮影でありましたが少しだけ満足することが出来ました。
風光明媚な仏の里の風景を撮り続けられることに最大の喜びを感じたのでありました。
新シリーズ『k−planの国東百景』計画中です。
その1621 12/28 am4.30
我が家の裏の畑には沢山の食べられる野草がある。
セリやフツ(国東ではヨモギの事をこう言う)等など川へ行けば
牛も食べないと言われていたが都会では洋食に欠かせないクレソンがある。
そしてシジミも4人分の味噌汁に入れるほどであれば5分と掛からずに取れる。
シジミ取りもセリ取りも体験した。
そしてヨモギ餅(フツ餅)を30日作る事になっているので
フツ取りを体験したのである。 餅の緑色の濃さもフツの量によって変わることも
柔らかい新芽が香りが良い事も理解したようである。
今日はKFさんのお姉さんの餅つきがあり手伝いに行くと昨夜から張り切っている。
何を手伝うかって?それゃー食べるのを手伝うのだろうよ(^○^)
その1620 12/27 am4.00
賑やかな一日が終わった。
今までに体験したことのない事に出来るだけ体験させようと
私たちは自然の味や風味を出来るだけ生かした食事などを食べさせようと
計画していた。 まずは焼き芋の作り方からである。
孫娘の想像していた焼芋の作り方は落ち葉を集めてきて焚き火をして
お芋を串に刺して焼くのだと言う。
もっと早くもっと美味しい焼き芋の作り方の伝授である。
木を沢山燃やして灰を作りその中に芋を隠してその上で火を燃やすのである。
都会では出来ない様々な体験が今日も続くことになりそうである。
さて、今日は何を教えることにしようかな?
その1619 12/26 am3.30
昼過ぎの飛行機で孫娘親子が大分空港へ着いた。
私とKFさんは5週間ぶりに見る孫娘の顔を想像しながら迎えたのである。
昼食は国東へ来て始めての外食でありました。
孫娘は相変わらず天婦羅うどんを注文したのである。
しかし、天婦羅のえびが入っているだろうかなどと心配顔でありました。
サブ君も歓迎してくれたようですぐになついた様であります。
2時半サブ君の出勤時間には国東で見る初めての七色の虹が東北の空一杯に
孫娘親子を歓迎するかのようでありました。
そして5時になると東の空に真ん丸い月が輝き始めていたのです。
忘れるところでした。空港から我が家への唯一の国道、213号線には
パソコンデスクからの報告 一枚写真を追加
その1618 12/25 am3.30
夕方5時になると防災無線から♪夕焼け小焼け♪が流れてくる。
よい子もからすと一緒に帰りましょうと・・・
何気なく聴く音楽であるが懐かしく聞こえるのである。
そして5時半には我が家の夕食が始まる。
サブ君はAさんのお宅の2時半からの勤務を終えて夕食を頂いている頃である。
6時、お向かいの利生禅寺の暮れ六つがなる頃、
Aさんの奥様に連れられて帰ってくるのである。
我が家では布団がしかれ就寝となるのである。
「テレビは見ないのか」って、テレビなどには比べ物にならない自然の音と
満天の星空があり、時々布団の中から見る流れ星は又格別の美しさであります。
今は作られた偶像よりも自然を思い切り楽しんでいると言う事になるのかも知れません。
情報源はインターネットと新聞の地方紙と防災無線からの情報で十分なのです。
やっと何事もなく一日の生活パターンをご紹介できました。
あぁそうそう。今日は孫娘親子が大阪から来ることになっている。少しだけ生活パターンが
変わりそうである。
その1617 12/24 am4.00
月、水、金曜日には8時になるとKFさんの病院から車で迎えに来る。
交通事情の悪いこの集落では通院したくても行けない患者さんに病院が
送迎車を運行しているのである。
当然の事、帰りもKFさんは病院の送迎車で帰ってくる。
そんな日の昼食は『サブ君と半分ずつ食べて』と準備して出かけていく。
おやつもサブ君と半分ずつである。
幸いなことにビールとコーヒーだけは私だけである。
いえ、別に差別している訳ではない。ビールもコーヒーも持って行くのだが
口に会わないらしく飲まないのである。
そんな訳でおやつは半分より少しだけサブ君の方が多い。(^○^)
『ビールの相手ぐらいはしろよ、散歩も付き合っているのに。そうすりゃもっとビールが旨いのに・・』
その1616 12/23 am4.00
そして水曜日だけであるが8時になると町の福祉バスが町から上がってくる。
その12分後、数人のお年寄りの乗客を乗せて下ってくる。
利生禅寺の前のバス停からも二人ほど乗って下っていく光景を見るのである。
お年寄りの通院や買い物に利用されている。 私の集落を通る唯一の公共交通機関である。
「国東のバリアフリー事情」を書いた翌年(平成15年4月)からこのバスが走るようになった。
国東町役場近くの終点に着く頃は満員になるという。
その時間に合わせるように近くのお店も開け始めるようになったのだそうだ。
病院や開業医もそのバスに合わせて優先して診察や診療をして
12時前に上るバスに間に合わせてくれていると言う。
ちょうど12時、利生禅寺のバス停に上りのバスが来るのである。
そんなのどかな風景をこのパソコンデスクから眺めているのである。
町村合併でこのバスの廃止が検討されない事を望んで止まない。
『パソコンデスクからの報告』を再編集して写真を追加しました。
その1615 12/22 am6.00
こちらへ来て変わったこと朝編は4時30分サブ君を放して星空を眺める事でありました。
その続編、昼編を翌日予定していたのだがねずみ取りの珍事件発生で今日になってしまった。
前置きが長くなりましたが・・・
6時になると利生禅寺の明け六つの鐘が鳴り防災無線からは「6時だよ、起きなさいよ〜」と
野中のバ〜ラ〜♪の音楽が流れる。KFさんの目覚まし時計の代わりにもなる。
6時半朝食、その頃にはサブ君の朝の勤務を終えて朝食をご馳走になり帰ってくる。
利生禅寺は真向かいと言うこともあって良く響き聞こえる。
そろそろ明け六つがなり始めるだろう。
この続きは明日書く予定??
その1614 12/21 am5.00
初めて集落の酒宴に参加した。
氏神様のお祭りでありました。 その神社は子供の頃廻り舞台があり、
お祭りにはお神楽が夜通し回れ賑やかでありました。
平素は静かな境内でしたが近所の友達と廻り舞台の下の砂地に
蟻地獄がありその中に小さな草の先を突っ込んで悪戯したものです。
かくれんぼや鬼ごっこ等など50年以上前の風景が浮かんできました。
今は廻り舞台もなく床下へ入ることも出来ません。
勿論、お神楽もありません。
神主さんのお払いと『ナオライ』と言う酒宴だけが残っているのです。
それでも地域の繋がりを硬くする役目は果たしているようです。
一月にはお寺で同じような行事があるそうです。
その1613 12/20 am5.00
霧雨の降る国東半島に水仙の花を探して車を走らせた。
本当の目的は以前から撮影したいが場所がわからなかった田んぼの中の
石仏を探そうと計画したのでありました。
20年以上前、この石仏を撮影した時にその周辺は濃緑に覆われており
たしか水仙ではなかったかと思ったのです。
しかし、その石仏は発見できなかったのです。
そして道に迷って行き着いた所が偶然にも日本三大文殊の一つとされる
文殊仙寺だったのです。 雨に濡れた参道の石段は仁王の迎えを受けて
気の引き締まる思いでありました。
そして帰路、水仙の群生した場所があったのです。
霧雨の降る山村の静かなたたずまいの中でありました。
その1612 12/19 am5.00
今年の異常気象に植物も人間も戸惑っているのか異変が国東半島でも
起こっている。 スーパーの駐車場では駐車スペースラインを無視した異常人間、
50キロ制限の追い越し禁止の道路を60キロで走っていても追い越していく気違い、
一旦停止の標識のある交差点をスピードを落とすこともなく走り去るシルバーマーク付きの
軽トラック。この異常気象は人間が作り出したものである。
そしてその人間が異常人間になって逝く。いや行く。
のどかな山村から少し町に出ればこんな現象が見られるのである。
何時になったらこの異常な現象は良くなるのでしょうね。
そして極めつけはこちら???
その1611 12/18 am4.30
k−planの娘へ 嬉しい便りをありがとう。
ADSLは快適だろうね。 すっかりとのんびりしたISDNに慣れたよ。
こちらの生活パターンにはISDNの方が合うのかも知れないよ。
正月に会えるのが楽しみだね。新鮮な魚と澄み切った空気と満天の星空だけは
思う存分に味わえるように準備しているよ。
それに利生禅寺の除夜の鐘も突けそうだよ。
KFさんの畑も耕作面積が30平方メートルを超えてえんどう豆、大根
そして隣のSちゃんにたまねぎの苗を貰って植えたよ。
今日は北江の法事、明日はkissデジタル君と初デートだよ。
月曜日は村祭りだよ。そんな訳で玄関の庇は一向に工事が進まないが
何とか帰るまでには完成すると思うよ。 元気で逢える日を楽しみにしているよ。
その1610 12/17 am4.00
昨日、我が家に又お仲間が増えました。
名前はEOS kissくん、以前からいたkissさんは
アナログでしたが今回のkiss君はデジタルである。
真っ黒のボディーにアナログ時代(EOS3)の真っ黒な20〜35mmの目を
つけてやるとなかなかの男前のスタイルとなった。
これから時々はホームページの写真撮影にお供をしてくれることになる。
今までのIXY君が引退したわけではないが老体に鞭打つ私には
少しだけ楽をさせてやりたいと思う気持ちがあるからである。
IXY君の撮影した画像は軽く1万枚を越えている。
そしてホームページにUPされた写真の98パーセント以上が
IXY君の撮影であります。これからのIXY君の活躍の場は
工事現場や私の行く全ての場所に私の右ポケットの中でお供をしてくれる事になる。
これからのIXY君やkiss君の活躍を見守ってください。
その1609 12/16 am4.30
以前から人と人の繋がりがあった故郷であるが今もその繋がりは
顕在しているのであります。
狭い田畑しかない集落ではこの繋がりがなかったら生活できなかった
50年以上も前(私の知る限り)から今も続いている。
野菜や魚やお米まで食べてと持ってきてくれる。
有難い事である。 私たちも何か出来ることを探して少しでもお力に
なりたいと思うのだがそれが見つからない。
何か出来ることはないだろうか?
以前こんな話を聞いたことがある。
貧しい山村の貧しい暮らしを抜け出すには勉強をして少しでもよい会社へ
就職して親たちやご近所に少しは楽な生活をしようと夢中で勉強したのだと言う。
都会の様に何でもある生活をしているとそれが当たり前と思うようになり
勉強もしなくなると言うのだ。 学力低下が新聞に報じられている。
戦争でも始まってどん底の生活にならないと人と人との繋がりの大切さも
解らないのでしょうかね〜
その1608 12/15 am4.30
『猫もおだてりゃ木に登る???う〜ん?』
『当たり前で猫が木に登れなくてどうする!!!』
『最近の都会の猫は木に登るかい?』 『そう言えば木に登った猫を見かけないね』
などと感心したり(@_@;)『犬もおだてりゃ木に登る』と言うがサブ君は到底おだてても
木には登れそうにない。つめを研いでいるのを見たことも無いし研がずともつめの先は
研げそうもないつめである。ところがである。朝顔が木に登っているのである。
それも木製の電柱にである。そんな事は当たり前とお思いでしょうが
その朝顔が満開なのであります。この異常気象に朝顔も可笑しくなったらしい。
そして私のか弱い脳細胞も狂い始めているのかも知れない。
その1607 12/14 am5.00
どうやらねずみ君も退散してくれた様だ毎夜の運動会も最近は行われなくなった。
そしてサブ君も鼻の頭をかじられる事もなく安眠できよう。
ところでサブ君もすっかり大阪なまりの国東犬になった様だ。
大阪名物「お好み焼き」を美味しそうに食べている。
大阪風(我が家直伝の)ダンゴ汁もうどんもどうやらサブ君の
口に会うらしい。 時にはめざしや食パンもある。私にはないのに(T_T)
KFさんのサブ君への愛情はどうやら本気らしい。
サブ君が人間であれば私はとっくに追い出されているに違いない。
散歩も私と行くよりKFさんと行く方が良いらしい。
これって私の焼きもちなんでしょうかね〜
その1606 12/13 am6.00
私の住む集落は『赤松』言う。
その集落の中ほどで「中分」と言う所である。
その又中ほどに中分の氏神様を祭る神社があり、その例祭が今月20日に行われる。
その為に昨日は境内の清掃作業が「中分」の人たちの手で行われた。
私も帰省して始めての共同作業に参加した。
各家庭から一人づつ参加で14人ほどでの作業でありましたが1時間足らずで
すっかりと綺麗になりました。私は皆さんが刈り取った草やかき集めた落ち葉を
運んで燃やす担当に自然になりました。
何をしなさいとは誰も指示する訳でもないのだがそれぞれが足りないところを
手伝っている。 何も言わないが自然と作業する集落の気持ちの繋がりは
到底、大阪では不可能なことでありました。
その1605 12/12 am5.30
「ちょつと来て〜」とKFさんが呼ぶ。
何時もの呼ぶ声とは違うのである何事かと行って見ると洗濯機の周囲の床が濡れている。
どうやら何処か水漏れらしい。そこで洗濯機をのけてみた。床の濡れた上にねずみの糞が
転がっているではないか。 どうやらこの近くにねずみ君の出入り口があるらしい。
そしてついにその出入り口を発見したのである。
今回はどうやら私の持論の玄関からの侵入ではなかった様だ。
幸いなことに水漏れもねずみ君の出入り口も発見できてバンザイであります。
次はどんな珍事件が起こるのでしょうか?
パソコンデスクからの報告の中に最近白く見える物が増えてきていた。
散歩で通るKFさんに聞いて見ると水仙だと言う。
昨日、買い物帰りに車を止めて覗いてみた。
利生禅寺の境内にも様々な花や木があり秋と冬と春の気配に
シャツターを切ったのでありました。 利生禅寺界隈の秋?只今編集中!!
その1604 12/11 am4.30
昨日のねずみの話だが大阪にいる時も天井裏はねずみ君たちの運動場であったが
どうする事も出来ずにいらいらしていたKFさんは国東に来ても天井裏を
ねずみ君たちに占領されることは耐えがたかった様である。
「何とかして」と言われても「ねずみの住めない家など人間が住めるはずがない」が
私の持論であり当然、簡単には入れない様に隙間は塞ぐのだが玄関などを
開けて人が出入りすればその隙にでもねずみは侵入するのである。
それを何とかしろと言うのであるからその策としては食べ物を置かない事しかない。
それでは私も死んでしまう。 もう一つの策はねずみを駆除することである。
そんな訳でホームセンターでネズミ捕り器を買い早速台所の流し台の上に
仕掛けたのである。 それもサブ君の大好きなサツマイモを餌にである。
そして、初日、まんまとそれにねずみ君が犠牲になったと言う事である。
それでも今天井裏ではねずみ君の運動会は終わらない。
国東便り 『パソコンデスクからの報告』
その1603 12/10 am4.30
やっぱりである。
1時半に完全に目が覚めるともう布団へ入っても眠れるはずもなく
たまにはこんな事も良かろうと再びパソコンのスイッチを入れた。
今日、打ち合わせのある図面のチェツクと不足していた図面が一枚仕上がった。
うしろのベットの上のKFさんのいびきをBGM代わりにである。
もうすぐサブ君の「ワン」も聞くことになりそうである。
そうそう、昨日、パソコンの前の窓にブラインドを取り付けた。
これで徹夜の仕事も外から明かりは見えることはない。
そろそろブラインドを開けないと川向うのお向かいのおばあちゃんが心配するだろう。
「ワン」ちょうど4時半になった。サブ君のご出勤である。
その1602 12/10 am1.30
「やった!やった!」KFさんの声に私は起されたのである。
「今、何時だい?」「夜中!」けたたましい声である。
「どうしたんだい?」「やった!やった!」「だからなんだい?」
「取れた!取れた! 大きなねずみが取れたの」
あまりに悪戯の過ぎるねずみ君に手を焼いているKFさんから
「台所にねずみが来ないようにして」と言われ、どの部屋へもねずみの通れる
隙間はない様にチェツクしたのだが、毎晩、台所の大根や洗面台の石鹸が齧られる。
「何処から入ってくるの!」「何処から入ってくるのだろうね?」
人が出入り出来る入口があれば必ずねずみやゴキブリは家の中に入ってくるのは
当たり前なのであるがそんな言い訳は到底通じないのである。
あ〜眠い。この続きは明朝にします。お休みなさ〜い
その1601 12/9 am5.00
国東に来てまもなくひと月になろうとしている。
日常の生活で変わった事といえば毎朝4時半にサブ君の出勤を見送り
星空を眺めることだ。
大阪の生活では外へ出ても建物や汚れた空気で空も見えなかったが
国東では星明りでも外を歩けるほどの輝きである。
満天の星空は寒さを忘れさせるほどに素晴らしい。
そして、毎朝一杯のコーヒーを自分で入れて飲むことも始まった。
台所も整理されて何時でもコーヒーが飲める段取りがされているからである。
北に開けた窓越しに星空を見ながら熱いコーヒーを飲み
今、キーボードを叩いている。早起きのお宅では台所の明かりが点きはじめている。
少しだけ窓を開けると川のせせらぎだけが聞こえてくる。
いや、時折にうしろで寝ているKFさんのいびきも聞こえる(^^♪♪
まもなく昨日の夕刊と今日の朝刊がミニバイクで配達される。
その1600 12/8 am5.00
掲示板と私のひとりごとだけは何とか更新書き込みが出来るが他の
ページの更新は私の編集ソフトがXPに対応しなくなり出来ないでいる。
何とかしなくてはと思いながらもそこまで手が回らないのが実情である。
正月休みでも何とかしようと思っている。
ところでサブ君は寒いのが得意だと思っていたが今朝は4時30分の出勤時間に
なっても「ワン」がない。寝床を覗きに行くとまだお休み中であった。
「Aさんの家に行く時間だよ」と起してやり
しぶしぶと出勤していく後姿を見送ったのでありました。
眠いのか?寒いのか?それとも年か?解らないが私がサブ君のモーニングコールを
する事に成ろうとは想像もしていなかった事である。
その1599 12/7 am5.00
何処で間違えたのかお風呂の壁タイルが60cm貼る予定が50cm分の
材料しかなかった。
その事はKFさんには言わずに綺麗になったよと言うと『随分綺麗になったネ』・・・
弘法も筆の誤りと言う事がある。 その上サンプルで持ち帰っていたタイル数枚を
柄に散らして貼り付けた。お金に成らない仕事を楽しみながらデザインを少しだけ
勉強出来た事で私は満足している。
台所もちょつとだけタイルを貼ってみた。これもKFさんは満足のようだ。
引越し荷物の中にまだサンプルで持ち帰ったタイルがあるはずであるが・・・
昨日からはお風呂の洗い場の床のタイル貼りに挑戦中である。
パソコンの上では一本の線であるがそう簡単にはいかない。
職人の技術を見ている私だが見るほど簡単ではない事を身にしみている。
その1598 12/6 am4.30
一昨日深夜の風雨で我が家のもみじの葉はすっかり散ってしまった。
西風の吹く寒い一日を浴室で過ごした。
一日中風呂に入ったのか?って、いえいえ浴室のタイル張りに挑戦したのです。
今まではモルタル鏝押さえ仕上げという仕上げでしたが下から60cmほど
タイルを張って雰囲気を変え様という事になり初めて挑戦したのであります。
現在では一枚一枚セメントをタイルの裏に乗せて張る工法(ダンゴ貼り)をできる職人さんが
少なくなり、接着剤で貼る工法(圧着貼り)を多くがしている。
その材料を建材屋さんから仕入れて挑戦したのである。
何時もは目地の通りが悪い等と言っていた自分が自分で貼ってみると難しいものだ。
職人さんなら半日もあれば貼る面積を一日がかりでやっと貼ることができた。
今日もまた浴室の床(洗い場)に挑戦してみようと思っている。
KFさん『何時からお風呂には入れるの?』『来週からは入れると思うよ・・・』
さてさてどうなります事やら(@_@;)
その1597 12/5 am4.30
サブ君の彼女の飼い主探しは妹に電話する事から始まった。
妹によるとGさんの家の犬ではないか?と言う事であった。
早速Gさんへ電話するが家の犬はいるよの返事であった。
Gさんの話では少し上流のNさんの犬ではないかと言う事でありました。
そしてNさんへ電話をしたがNさんの犬もいると言う。
そしてNさんの話では山の向うのTさんの家の犬ではないかと言う事でありました。
Tさんに電話番号を調べて電話するが同じく間違いと言う事になったのである。
ここで繋がりが切れてしまったのでありました。
kFさんは病院へ行く時間となって「後は頼むね」と出かけて行ったのである。
『いい年をして彼女なんぞ連れてくるなょサブ。俺が彼女を作ってみろKFさんから
この家を追い出されるんだぞ』効き目のないひとりごとでありました。
その後、妹から電話があり南の山を越えた集落の犬ではないかとなった。
電話作戦を切り替えて私が車で直接伺う事になったのであるが3軒共家の犬はいるとの返事であった。
警察へ免許証の住所変更に行く事になっていたので最後の手段として相談してみたのである。
『24時間待ってみなさい、きっと自分の家へ帰って行きますよ。
危害を与えるようでしたら電話を下さい』とのそっけない事でありました。
そしてお昼前帰ってみるとサブ君の彼女の姿は無かったのである。
「う〜ん」悲しそうに私に寄り添うサブ君の失恋物語でありました。
昨日は雨のせいか失恋の痛手を癒す為か午後2時30分、何時ものようにお隣のAさんの
番犬もお休みしてすっかり寝込んでしまったようである。
午後5時、Aさん宅で夕食を頂く時間にKFさんが食事を持って行くときっちり食べたと言う。
どうやら失恋の痛手は癒えた様である。おわり
いえいえ「私のひとりごと」はこれからも続きますよ。
その1596 12/4 am4.00
『おいおいちょっと早く早く』 『そんなに何をあわてているの?』
『大変だよ、早く早く』 『何がそんなに大変なのよ』
『大変なこっちゃ!サブ君が彼女を連れてきているんだ』 『何、冗談を言っているのよ』
『冗談じゃないよ早く早く』 『・・・?』
大事件である。私たちと同じ年頃のサブ君が彼女を連れてきていたからである。
KFさんと二人で見に行くと彼女を紹介するかのように連れて出てきた。
少したれ目で大きな耳は垂れ下がり足は短く胴長であった。
ビーグル犬と言われる種類らしい。
『サブ君どうしたの?どこの娘子』首輪のついた飼い犬らしいがどこ犬かは
サブ君に聞いても答えてくれるはずもなく私たちは大慌てで飼い主探しに
大忙しとなるのでありました。 話が長くなりますのでこの続きは明日にでも
お話しましょう。
その1595 12/3 am5.00
真っ赤に色づいたもみじの葉がちらちらと散る風情を我が家の庭で観賞している。
あまりにも手入れの行き届いていないもみじも季節が来れば紅葉し落葉する。
来年はもう少し綺麗な紅葉を見たいと少しばかり手入れをして見た。
まったく剪定などしたことが無い私の剪定だが少しは見やすくなった様だ。
そして写真に収めた。
私もKFさんも食欲の秋である。 改修工事の廃材や引越し荷物の入っていた
ダンボール箱などを少しづつ裏の畑で燃やしているのだが
KFさんの発案で焼き芋をする事になった。
お姉さんに貰ったサツマイモを灰の中に入れて焚き火をすると一時間も
かからずに焼き芋が出来上がる。 サブ君も焼き芋に目がないようだ。
サツマイモはオナラの元とも言われるがサブ君もオナラをするのだろうか?(@_@;)
その1595 12/2 am4.00
寒くなるとビールよりも酒のほうが良いと一昨日買って来た。
タイミングよくKFさんの義兄さんがさしみを持ってきてくれた。
『国東情話』を聞きながらの酒は何時もより多くに喉を通る。
最近の肉体労働の後のアルコールは回りが速い。
昨夜の酒のあては刺身をとった後のアラでありましたがそれが又格別の味
新鮮さがこの味の元であろう。
昨日は幼なじみで同級生の隣のSちゃんから大根、白菜、ニンジンを頂いた。
柔らかいニンジンや大根の葉は調理して食べられると言う。
早速今夜の食卓にのぼるだろう。
田舎じらしを始めて半月、何とか馴染めて行けそうである。
その1594 12/1 am5.00
今日から師走、師も走るほどに忙しい月だそうだ。
私も師の端くれであったがそれほどに忙しくはなかった。
ところが今年は様子が違う。
新しいお得意先や下請け業者さんが増えたことに加えて
未だに片付かない引越し荷物の整理にである。
「狭い国東 そんなに急いで何処行く」と言うことで
忙しさをほったらかしでのんびり構えている。
てな訳で新曲紹介です。 ♪『国東情話』♪
一、今朝も明け六つ聞きながら 幸せを踏みしめて
今日もお前と歩く道 ここが二人の故郷よ
二、利生禅寺の暮れ六つは この世の幸せを
祈る思いの響きあり 今日も静かに日が暮れる