その1559 9/30 am5.30

今年は何と台風の当たり年なんだろう。

子供の頃は台風銀座と呼ばれた国東半島は毎年のように

10個以上の台風が農作物を荒していたが最近では台風も少なくなっていた。

それもほとんどが10月だったように記憶している。

10月の始に稲刈りをして稲刈りが終わると楽しい運動会があった。

私の小学校では田植えや稲刈りなどの農繁期には学校が稲刈り休みや

田植え休みという休みがあり猫の手も借りたい農家の手伝いが出来た。

今で言う体験学習であったようだ。今の様に農機具のない時代、

全てが手作業でありましたが「こびり」と言うおやつの時間は家族揃って

あぜ道で食べるのどかな風景がありました。50年も前のお話です。

10月のカレンダー       http://k-plan.web.infoseek.co.jp/2004-10.htm

二人暮しの小さな家 第5回 http://k-plan.web.infoseek.co.jp/k-plan-tei5.htm

 

その1558 9/29 am6.00

何時か書いたと思うが大阪市の東隣に東大阪市がある。

スレート葺き平屋の長屋の町工場が所狭しと建ち並んでいた。

その町工場には熟練された職人達が安い賃金で大手メーカーの

精密部品の製造に油まみれになりながら酷使されていた光景が30年ほど前にあった。

何時の日にか我々の優れた技術が世界の日の目を見ることを願っていたに違いない。

その町工場の中から素晴らしい計画が持ち上がっている。

名も知れず黙々と作り続けてきた精密部品を組み合わせることで人工衛星を

打ち上げようと言うのだ。 夢物語ではない。

今、その本体が打ち上げに耐えられるかの実験段階に来ている。

今回、その実験に成功すれば、来年には町工場の親父達の人工衛星

「まいど1号」が広い空へ向かって打ち上げられると言う。

成功して職人達の技術力の高さを世界に知らしめて欲しいものである。

 

その1557 9/28 am5.00

毎朝、この場所に座る。

パソコンの画面とデジタルの小さな置時計だけが目に入る。

その周辺は薄暗い。その薄暗い中に雑多に積み上げられた書類や

カタログが山となっている。 何時も片付けるのだがすぐに元に戻る。

あまりにも狭いスペースにどうする事もできないでいる。

いや、そう言う言い訳をしている。

国東の「二人暮しの小さな家」はこのスペースを拡大して

緑豊かな風景を眺めながらパソコンのキーボードが叩けるように

計画しているのだが外の景色を眺めるだけで仕事が進まないのではと

今から心配している。 人間とは随分と勝手なものだ(T_T)

 

その1556 9/27 am5.30

故郷の国東では昨日も雨だったと言う。

例年であれば秋の長雨と言う季節が10月にあると言う。

その時期を見越して米作りをしていると言うが今年はその長雨が

早く訪れたのだとお百姓さんから聞いた。

台風も10月になると国東半島には多く上陸して米作りを悩ませていたのだが

品種改良によって早場米を作り工夫していると言うのに・・・

大阪では一昨日、昨日と30度近い猛暑であった。

異常気象というだけでは済まされぬ状況になったようである。

 

その1555 9/26 am6.20

久しぶりに花博公園の花達に逢いに行って来た。

今年も風車の丘はコスモスの季節を迎えている。

しかし、年々花の育ちが悪く素晴らしいコスモス満開とは到底いえない。

気候、土壌、農薬、肥料、それとも育てる人、どれが欠けても

綺麗な花が咲かないようだ。

私も故郷ではコスモスや色々な花を育ててみようと思っている。

一年後のコスモスは故郷、国東から私の育てた花をお届けしたい。

 

その1554 9/25 am6.00

3週間あまり大阪を離れていた間に新しい仕事が入ってきた。

不思議なものですね。大阪を離れようとすれば大阪で仕事が増える。

今日から本格始動でその仕事を終わらせて10月5日からの

私の住む「二人暮しの小さな家」の改修工事に再び帰省する事になる。

国東半島でも帰省中に仕事をいただいた。

私の住む家は工期ものんびりとして、あってないようなもの

田舎暮らし第一号のお客様の仕事が優先する事になる。

新しいお客様として長いお付き合いが始まろうとしている。

ありがたい事だ。嬉しいことだ。

 

その1553 9/24 am5.30

皆様、おなつかしゅうございます。

3週間ぶりにこちらへ生還することが出来ました。

話せば長い事ですのでページを改めてご報告させていただきます。

 

その1552 8/31 am6.00

今日で8月も終わる。 台風16号の通過で少しは涼しくなるだろう。

今夕には大阪南港から別府へ向けて出航する関西汽船の船客となる。

瀬戸内海の夜景を楽しみながらの12時間あまりの船旅は楽しみの一つである。

瀬戸内海の大橋の夜景や遠くに見える島々の夜景は久しぶりである。

涼しい風に吹かれながら星空を眺めビールの味も楽しめそうだ。 写真も撮りたい。

随分忙しい船旅になるかも知れない。寝る暇もないかも知れないが

明朝、9時には増築工事の現場へ着く。

明日のひとりごとはお休みになります。

上手く回線がつながれば9月2日早朝にお会いできそうです。

もし、このページに UP出来ていないようでしたら「新・バリアフリーの広場」

覗いてみてください。

 

その1551 8/30 am6.30

今年も夏休み子供電話相談がNHKラジオで放送されている。

長寿番組のひとつと言っていいだろう。 随分昔の話だが

その回答者の一人に無着成恭(むちゃくせいきょう)先生と言う人がいた。

素晴らしく、わかりやすい回答を楽しみにしたしていた一人である。

無着成恭(ペンネーム なだいなだ)氏が国東半島の泉福寺と言う寺の

住職として居られると言う話を私よりひとつ年上の利生寺の住職から聞かされて

転居して落ち着いたら一度会ってみたいと思っている。

横道にそれたが電話相談に質問の電話をする子供達の純粋さは

今も昔も変わっていないのに・・・・

『花博公園の今日 8/29』

 

その1550 8/29 am6.00

大阪での現場の仕事は昨日のチェツクで無事完了した。

半月逢えない花たちに逢いに花博公園をゆっくりと散歩してこよう。

 

その1549 8/28 am5.30

8月9日公開した詩『偲び歌』が著作権フリー「音楽の部屋」

カラオケボックスに採用された。 これで私の作詞の歌は8曲となった。

その詩は次のとおりです。

望郷 二人酒』 『望郷 人生散歩道』 『国東半島』 『花博慕情

夫婦坂』 『国東旅情』 『望郷 二人旅』 『偲び歌

忘年会などで歌える歌をと作詞し始めたのだがなかなか難しい。

大阪を離れることが大きく影響しているのだろう。

故郷や思い出の地を偲んで作られた詩がほとんどになってしまった。

ボリュームを各自調整して歌ってみてください。

 

その1548 8/27 am5.30

以前にも書いたと思うが私の故郷では町村合併の計画が進んでいる。

国見町、姫島村、国東町、武蔵町及び安岐町の4町1村の合併である。

その合併によって新しい市が誕生しようとしているのである。

新しい市にふさわしい市の名称を募集している。

応募資格に地域の指定はないので誰でも応募できる。

皆さんも応募してみませんか? 

これから私の住む新しい市の名称募集に(^^♪ 私も応募しました。

詳しいことはこちらでご覧下さい。 東国東地域町村合併協議会

 

その1547 8/26 am4.30

大阪で最後の現場も天候に恵まれて順調に進み予備日の今日を迎えた。

雨や何かのアクシデントに備えて1週間に1日の予備日を設けて工程表を作る。

以前であれば土、日が予備日としていたのだが最近では住宅地の中での

土、日の工事は騒音等の関係からほとんど出来ない。

最近では降雨時や高温時や低温時のコンクリートの打設が施工基準を

満たす為に避けることになり、その対策の乏しい中小工務店では工程の

大きな障害になっている。 中には無視して工事を進める業者も目にするが・・・

定められた基準は最低限の基準であり、それだけは守り通してきた。

それがクレームのない工事の実績として信用という金には変えられない物となって

残っていくことになる。 

ささやかではあるがその信用だけは何時までも失いたくない。

 

その1546 8/25 am4.30

大阪の商習慣の5,10日に当たる今日はひと月の内で

一番、車の混雑する一日となる。

良いのか悪いのか解らないがこの習慣だけはどうする事も出来ずに

私もそうしてきた。請求書の締め切りが20日、25日、30日のうちどれか。

集金日が5日、10日、15日、20日、25日、30日のいずれかである。

締め切り20日、支払日翌月10日の私の決済日に向けて今、

20日〆の請求書が届いている。 私も僅かな金額の請求書を

作らねばならないのだかついつい来月で良いじゃないかとなってしまう。

郵便、ファックス、電子メールの時代でも請求書だけは持参して

お得意様と対話をする習慣は未だに私の習慣として残っている。

 

その1545 8/24 am6.00

昨日は時々雨の天候に振り回されて少々バテ気味

それでも今朝も4時には目が覚めてすっきりしている。

最近では仕事も趣味となって時間の経つのが早い。

自分で言うのも可笑しいが私はどうやら仕事が趣味であったようだ。

利益も顧みずに仕事をして来たようだ。

仕事が嫌になったこともない。 ただただお客様の満足した顔を

見るのが楽しくて仕事をしてきたように思える。

当然の事で信用と僅かな知識以外は何も残っていない。

勿論、借金もなければ貯金もない。 こんな人生で良かったのかなー

 

その1544 8/23 am4.45

9月1日より故郷、国東で工事が始まる。

何時も散歩にお供してくれるデジカメと車の中で活躍し私の頭脳となっている

ノートパソコンがこの工事にお供をする事になっている。

一日、二日はネットも我慢できようが二週間となると到底我慢できそうにない。

そこで2年前までページ編集から送受信まで全てを取り仕切っていた

ノートパソコンに再びお手伝いしてもらおうと昨日各種の設定をしてみた。

写真の取り込み、ページの編集までは何とか設定に成功しているのだが

ADSLもISDNも通さずに一般の電話回線から送受信する方法は

いまだ理解していない。 電話線が通っていればネットがつながると

言うのだがその実態は全く未知の世界なのである。

さてさて、どうなりますことやら(@_@;)  未だにパソコン初心者である。

 

その1543 8/22 am5.00

コスモス、鶏頭、鮭に秋刀魚ここまでは理解できるのだが

ムクゲ、芙蓉、朝顔、西瓜に糸瓜に玉蜀黍までがそうであると言われても

理解しがたい。 何のことかおわかりでしょうか?

角川書店編『俳句歳時記』による秋の季語である。

後者は夏の季語だとばかり思い込んでしまっていたのである。

よく考えてみると今年の8月7日は立秋で旧暦では秋ということになり当然と言えば

当然の話なのである。  そんなことを思いながら昨日は花博公園早朝散歩で

秋の気配を感じ取ろうと出かけたのだが・・・・

花博公園の今日8/21

 

その1542  8/21 am5.30

日本の武道は礼に始まり礼に終わるという。

オリンピックでは数々の名勝負に一喜一憂している毎日であるが

日本の国技である柔道では本当に強い外国の選手でも礼に始まり礼に終わるマナーも

心得ているようだ。早々と敗退していく選手の礼は只、形ばかりの感があり

心・技・体を持ち揃えていない様である。

日本の選手団長を務めた彼の試合場への登場からお座なりの礼としか

見えなかったのは私だけであろうか? 私には彼の負けがその時予感した。

私の近所にも柔道を習っている子供がいるが挨拶のひとつもできないでいる。

今回メダルを取った柔道の選手達は本当に素晴らしい選手であろう。

そんな選手に日本の国技柔道の心・技・体を子供の時から教えてもらいたいと思うのである。

新・大阪百景 最終回 『夕陽丘』

 

その1541  8/20 am5.00

台風接近と雨の情報に心配していたがアスファルトに数えるほどの雨跡を

残しただけで風だけが台風の余波を思わせるだけでありました。

現場の向いの公園の栗の実が大きく実りざわざわと風に揺れていました。

秋はすぐそこまで来ているようです。

 

その1540  8/19 am6.00

人間は人のために働き、人のために涙し、人のために苦しみ、

人のために笑い、人のために喜び、人のために戦うのだと言う。

そうすれば必ず自分のためのなるのだと言う。

私には難しいことは解らないが私から見ると

人間は自分のために働き、自分のために涙し、自分のために苦しみ

自分のために笑い、自分のために喜び、自分のために戦っているように思えてならない。

こんな自分勝手な考えから政治腐敗や少年犯罪やはては戦争にまで発展するのだと言う。

私にはあまりにも難しい世界である。

 

その1539  8/18 am6.00

昨夜の雷雨で今朝は少しだけ涼しく感じる。

昨日から大阪で最後の仕事になるであろう工事が始まった。

工期は2週間、ぎりぎりの工期である。

9月1日より故郷、国東で妹の家の増築工事が予定されており遅らせれば

私たちの転居にも影響があり、工期の変更は出来そうにない。

昼間は現場、夜はパソコンで図面とにらめっこの毎日が続くことになる。

図面の不備があれば当然の事、工期は遅れる。

今のところ不備はないのだが・・・・

後はお天気の良い事を願うのみである。

 

その1538  8/17 am5.30

朝から可笑しくなったなんて思わないで下さいね。

今、私の住んでいるところから今度住む国東の家までどれくらいの距離が

あるのだろうなどと考え始めて眠れなくなった。そこで何とか調べる方法はないものか?

道路地図の距離を書き出して足していけばよかろうがそれも大変である。

そこで奥の手、こんな時に便利なサイトはないものかと探してみた。

出発地点 大阪市○○区○丁目○ー○○

到着地点 大分県東国東郡国東町大字○○番地

これだけ入力すると

2点間の直線距離 377.651km  2点間の移動距離 (約528712m)

徒歩での移動時間 (約6344分)  車での移動時間 時速40kmで計算(約793分)

と計算される暇なお方?いやいや暇な計算ソフトがフリーソフトであった。

素晴らしい!!大拍手 友達に教えても良いということなのでご紹介します。

その名は距離計算サイト 一度お暇な時にお試し下さい。

 

その1537  8/16 am5.00

お盆の行事その2

今日、午後はお盆を住家で過ごしたご先祖の霊をお墓へ戻すのである。

昔は奉公人もこの日だけは勤め先から放免されて、親元に帰った。

そんな古い時代の風習は各地に残っている。

しょうろう流しや送り火と言われる行事であろう。

京都では今夜五山の送り火が行われて長い夏に別れを告げる行事として

今も残る観光行事となっている。

京都新聞などのネットサイトでも今夜8時ごろよりライブ中継がされるようである。

 

その1536  8/15 am5.30

我が家でも故郷の風習に習ってお盆の行事をする。

例年であれば13日の午前中にお墓へ行き綺麗に掃除をして

お花や供え物をして先祖との対話をし、霊を自宅へ連れて来る。

今年は少し早いが10日にその事を行った。

故郷の実家ではお墓で線香を点けその線香で道案内をして

私宅の仏壇まで連れて帰ると言うことになる。

今年は私の息子の霊は10日に、故郷のご先祖さまは13日に

私が道案内で墓から連れ帰った。 仏壇にはお盆特有の飾り付けがされ

家族揃って先祖の話をする慣わしである。

懐かしむ話やご先祖様の悪口までがその場の雰囲気で話される

13日の夜には今年なくなった霊に贈る盆踊りが模様される。

少し大きい写真の貼れる『画像掲示板』新設

KFさんと私の小さな家 第4回

 

その1535  8/14 am6.00

故郷の国東は天国でありました。

「今年は暑いねー元気だったかい」国東で逢う人逢う人に声を掛けられる。

「国東は天国ですよ。大阪はもっともっと暑く大変ですよ」と返事をする私でありました。

当然の事にクーラーなどは全く要らない別天地でありました。

網戸を閉めてサッシを全開すれば夜などは一晩で風邪を引いてしまうほどの

涼しさは大阪で生活する私たちには想像も出来ないほどの気候でありました。

日中外を歩いても汗は流れるほどに出るのだがその汗も

心地よく感じられるのでありました。

到底、私のつたない文章からは想像していただけないでしょうが・・・

『国東発@k−plan 2004夏』  am11.00公開しました。

 

その1534  8/11 am5.30

私の夏休みは今日から始まる。

そして16日からは大阪で最後の仕事になるであろう工事の打ち合わせが

現地で行われる。 短い夏休みも前半分は故郷で孫娘とふたりで楽しむことになる。

測量や役所の打ち合わせを早く終えて海に山に川に存分に遊ぶぞ(^^♪

まるで子供みたいだとKFさんは苦笑する。

今回の帰省は孫娘と二人だけの帰省である。

そんな訳で12日と13日の朝のひとりごとはお休みです。

メールのお返事も14日以降となります。ご了承下さい。

二人暮しの小さな家「kFさんと私の小さな家」第三回

 

その1533  8/10 am7.30

人間にはそれぞれにストレスかあると言う。

最近では人間以外の動物にもストレスがあると言う。

人間のストレスは仕事に熱中することや規則正しい食事や睡眠をとる事で

自然と解消されたいたのだが最近ではそうではないらしい。

どうやら仕事に熱中できないでいる人間も増えてきていると言うのだ。

最近のように分業化が進んでくると自分のする仕事に満足できなくなると言う。

「自分がやらねば誰がやる」から「自分がやらねば誰かがやる」と言う考えの

蔓延かららしい。 それを少しでも亡くそうと色々な取り組みがされている。

流れ作業から一人でひとつのものを組み立てると言うシステムを取り入れて

改善しようとしている企業も現れているそうだ。

貴方のストレス度は? 一度チェツクしてみては?無料だよ(^^♪

 

その1532  8/9 am5.30

♪今宵 一人で飲む酒は

  息子とふたりで飲む酒と

今日まで楽しみしてたのに

  あまりに早くに先を逝く

   お前の分まで飲んでやろ♪

♪今宵一人で歌う歌

  息子とふたりで歌う歌

涙隠して歌うのに

  想い出多い歌ばかり

   寂しく歌う偲び歌♪

平成8年(1996)10月26日 親父より先に逝った

酒好き、歌好きの息子を偲んで詩を付けてみた。

カラオケ「偲び歌」

 

その1531  8/8 am6.00

花博公園へ行くと蝉時雨である。

短い命を精一杯に生きようとする蝉達の叫びであろう。

立秋を過ぎるとその声も心なしか少なくなったような気がする。

短い間に出会いがあり、そして子孫を残して逝く

短ければ短いほどにその営みは波乱に富んでいるように思える。

地中で4年から5年、地上へ出て一週間の命だと言う。

私には到底知りえないセミ達の一生があるのだろう。

 

その1530  8/7 am5.00

「散歩に行く」「うん、行く」それで決まりだ。 散歩と言えば花博公園しかない。 

立秋を迎えて何か秋の気配が花博公園には無いだろうか?

冬の時期は昼休みに行くのだが今は暑くて早朝になる。

曇り空に元気に出かけたのだがそよとも風が無い。

おまけに百日紅の林のある場所は風が通りにくい場所とあって

汗が滝のように流れる。 早々に風車の丘へ上がった。

小高い丘とあって少し風がある。 朝が早いので風車は回っていない。

これまでご紹介していなかったが風車の丘の風車は電動式であり

自然の風で回っているのではない。 

8時半ごろになるとスイッチを入れて回りだすのである。

まもなく終わろうとしているサルビアに変わってコスモスがつぼみを

付け始めていた。 花博公園の今日 8/6  百日紅と芙蓉

今回のスライドショーは「Kの写真館」を使用して作成しています。

 

その1529  8/6 am5.00

♪国東(くにさき)旅情♪

一、 六郷満山(ろくごうまんざん) 両子寺(ふたごうじ)祈りの寺に日が昇る 

   岩戸寺(いわとうじ) 真木大堂(まきおおどう) 川中不動

   旅情をつなぐ道々に

   山に響くは鐘の音 陸の孤島旅を往く

 

二、 青葉 紅葉の無明橋 長崎鼻に椿堂

   真玉温泉 いで湯の里に 赤い夕陽が落ちていく

   文殊仙寺の鐘の音 

   仏の里を今日も往く

関連ページや写真にリンクを付けてみました。 写真は全てk−plan撮影です。   

両子寺(ふたごうじ)  岩戸寺(いわとうじ)  川中不動

真玉海岸の落日  文殊仙寺

 

その1528  8/5 am5.00

私なんぞは10万円宝くじでも当たろうものなら一生涯忘れる事はないだろうに

一億円もらった人が覚えていないと言う。

又、参院選で大勝利と言う党首は自慢げに電車で移動したと国営放送で

画像が流れていたが堂々とシルバーシートに座っていた。

言い訳は言わなかったが後ろに目は無いと言うでしょうね。

こんな方々が政治家なんだから日本もおしまいでしょうね。

その国営放送もなんだか怪しくなってきた。

民間放送のやらせや、誇大表現に飽き飽きして国営放送一本になりつつあった

私ゃどうすれゃいいんだー〜 誰か100億ほどくれないかねー 

k−plan放送局でも開局したいんだがねー 

♪夫婦坂♪ 画像を入替えました。

 

その1527  8/4 am5.30

夏は花火で涼をとる。昨夜も淀川水系の下流で花火大会が行われた。

あいにく時々小雨の空模様のようであったが行われたと言う。

この時期になると水都祭の花火を思い出す。

水都祭 HANABI大会 平成13年8月5日撮影 その後この花火大会は

天神祭り奉納花火に吸収されてこの場所では行われなくなった。

古都・奈良散歩 平成13年8月一足遅い夏休み

夏の思い出 奈良 平成14年、ライトアップされた薬師寺の光景は生涯忘れられない

風景となるだろう。

 

その1526  8/3 am6.00

望郷 二人旅

二、 高くそびえる天守閣  見渡す広き大阪平野

   中を流れる淀川を 眺めて語る

   静流 さざなみ 時の波 新たな門出の二人旅

来阪当初、歩いて淀川に数分の所、公害の街と言われた西淀川の

淀川川岸から大阪城の天守閣を眺めていた。 

「一度あの天守閣へ登ってみようか」そんな話はすぐにまとまり

翌日には天守閣から大阪平野を眺めたのである。

今のように高層ビルもなくきらきらと光る淀川は一望に見渡せたのです。

その後、現在の所に移転しても車で5分も走れば淀川に着く。

淀川は今頃になると川風に吹かれる老若男女の姿があり、

水都祭花火大会が開かれ夏の夜の思い出を沢山作ってくれた。

その淀川の流れは昨夜も変わらなかった。 新大阪百景「豊里大橋」

 

その1525  8/2 am6.00

望郷 二人旅

一、 ふたり訪ねた法善寺  願いをかけた水掛不動

   赤いネオンの通天閣を 見上げるふたりに

   吹く風 降る星 流れ星  遠い昔の想い出よ

初めてKFさんと法善寺へ行ったときには藤島桓夫の「月の法善寺横丁」

歌がヒットしており見たいと言うことで出かけたのだがあまりに小さくがっかりした

想い出がある。 40年前の大阪は天王寺公園から通天閣を見上げると

天気の良い日は赤いネオンと共に星空が見ることが出来た。

大阪へ来て始めての二人の夏の想い出は今も残る光景である。

 

その1524  8/1 am6.00

台風接近の風に誘われて昨日も花博公園の早朝散歩。

家を出たとたんに小雨が振り出した。ところどころに青空が見えると言うのに・・

それでも大池に着く頃は雨もあがり少しだけ強い風が心地よい。

今、花博公園ではムクゲと芙蓉の花が見頃を迎えている。

花は一日で落ちてしまう短命であるが次々に咲く花たちを見ると私も元気が出てくる。

芙蓉の花には朝、白く咲き夕方になるとピンク色に変わる花があると言う。

全く酒飲みがちびりちびりと一日中酒を飲むとこの様になると言うことから

酔芙蓉といわれているそうだ。 色白がピンクに染まる(@_@;)

こんな花に一日中、付き合ってみたい気もするのだが到底体力が違い

お付き合いできそうにない(^^♪ 残念なことである。

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