その1523  7/31am6.30

天気は西から変わる。 それが常識でありました。

「おーい、大分は雨が降ってるぞ、明日は大阪も雨が降るぞ」等と

故郷の天気が24時間後の大阪の天気であったのだが・・・

台風10号の動きは西から東へと進んでいる。

こんな事は今までになかった事に思われる。

人も変われば気象現象までも変わるのでしょうかねー

 

その1522  7/30am8.00

どうやら私も人並みの人間であったようである。 

今朝は3時間おくれの7時起床となりました。

『まさか昭和52年初頭に完成したこの家に棲むようになろうとは

想像もしていなかったのだが今回、帰省して棲むことになった。

これから私たちが少しでも田舎暮らしに必要な最小限度の改修して

余生を送る事になるこの建物を公開し、何かのお役に立てればと

思っている。 この建物所在地は都市計画区域外にある。

そんな訳で建築確認は必要ない。 

ただし工事届けは昭和51年10月6日に提出し受理された建物である。』

二人暮しの小さな家 k−plan邸  KFさんと私の小さな家  第1回より

 

その1521  7/29am6.00

奈良 西ノ京の薬師寺は青々と伸びたたんぽの中にある。

一時間ほどの打ち合わせを終えてその周辺を歩いてみた。

大阪に来てから一番先に訪れた寺である。

斑鳩の里 法隆寺とこの薬師寺は数え切れないほど何度も訪れている。

当時の薬師寺は金堂も西塔もなく広々とした風景の中に東の塔だけが

そびえたっておりました。 その頃知った写真家 入江泰吉氏の写真集「古都巡礼」で

ますます薬師寺が好きになったのでありました。

その後、薬師寺管長 高田後胤氏や大工棟梁 西岡常吉氏らによって金堂の再建や

西塔の再建によって今の姿になったのである。 入江泰吉氏には遠く及ばないが

現代の薬師寺の風景に挑戦したのでありました。 奈良 薬師寺八景

 

その1520  7/28am6.00

昨朝、7時20分家を出て花博公園へ向かった。 9日ぶりの事である。

一日おきに散歩しているKFさんに様子は聞いているのだが・・・

それにしても朝から熱い。暑いを通り越している。それでも何時ものコースを歩く。

風車の丘はすっかりとサルビアの2度目の満開が過ぎたところでありました。

前回、やっと芽が出たばかりだったコスモスは10cmほどに伸びていた。

棚田の稲も随分大きくなった。 あまりの暑さに手に持ったペットボトルは

すぐに空になった。 天気予報によると今日の気温は37度、明日は38度に

なると言う。そしてやっと暑さの峠を越えるのだという。

カラオケ第7作 望郷 二人旅   花博公園の今日7/27 花博の夏

 

その1519  7/27am5.00

珍しいこともあるものだ。

少しだけ仕事に追われているとは言え写真を撮りに行く元気がない。

「あんた最近写真を撮らないね。何処か体でも悪いんじゃない」とKFさんに

言われるほどである。 仕事以外、他に楽しみを持たない私には写真を取れば

只のむさくるしい爺でしかないのである。

今朝は花博公園へ早朝散歩へ行くKFさんのお供をして写真でも撮って来る事にしよう。

KFさんも膝や指の故障で4月以来ほとんどと言うほど写真を撮っていない。

常設展示場の写真も随分古くなっていると言うのに・・・

 

その1518  7/26am6.00

故郷、国東半島では高校野球で暑くなっていたようだ。

地元国東高校が地区予選で決勝戦に駒を進めたからである。

惜しくも昨日の試合に敗れ国東高校の球児たちの暑い夏は終わった。

地元ではその模様は生中継されていただろうが私はその結果はネットによって

昨日のうちに見ることが出来た。

球児たちの汗と涙の結晶は社会に出ても思い出してくれるだろう。

大阪では試合の時間帯に雷雨となっていた。

今朝は少しだけ過ごしやすい。 私の暑い夏はまだ終わりそうにない。

八月のカレンダー ご自由に印刷してお使い下さい

 

その1517  7/25am5.00

新聞によると2007年までに全ての高校生が大学に行ける様になるそうな。

大学で何を学ぶのでしょうね? いかにしたら金持ちの相方を探せるか?

何をすれば楽して金儲けが出来るか? どうしたら税金や年金の掛け金を納めずに済むか?

金儲けを隠れ蓑に若者達を誘う経営者の魂胆を知ってか知らずかあぶく銭で

役にもたたぬ暇つぶしを学ぶ学生がますます増えそうである。

ご父兄の方々大変ですね。 しかしあなた方もそうしてきたのですから自業自得てしょうがね。

学のない爺のひとりごとです。 どうやら暑さで脳みそも腐り始めたようだ。

 

その1516  7/24am5.00

気象庁が発表している全国の気象のデーターによると昨日の日本での

最高気温は37.2度(14.00)で大阪府下の観測地点9ヵ所の内の一つであったそうな。

その観測地点に近い場所で一日中気持ち良い汗を流していたのは私でありました。

大阪府下には気象台一ヶ所、アメダス八ヶ所の観測地点がある。

ちなみに大阪市内の観測地点の昨日の最高気温は35.3度(15.00)であったそうである。

札幌31.3度(14.00)東京33.3度(13.00)京都35.3度(14.00)大分33.7度(13.00)

那覇31.5度(14.00)主な観測地点の最高気温とその時刻である。

朝夕にパソコンのキーボードを叩く時ぐらいはパンツ一丁でいたいですよね?青鬼さん(@_@;)

 

その1515  7/23am6.00

暑さと写真を撮りに行けない事でストレスが溜まり始めている。

そして今日は真夏というのに床暖房を取り付けるリフォーム工事がある。

急に決まったわけではない。昨年の9月頃からの計画が今日となった。

「今年の冬は十分に間に合うね」とお客様と私で苦笑している。

そんな折、何を思ったか不思議な出会いから作詞活動を始めてしまった。

作詞というほどのものではないが今回6作目を発表することにした。

取り上げていただけるかどうかは作曲家次第である。

今回の詩は国東旅情である。 他の5作は「所長室」からどうぞ

これこそ今から練習すれば忘年会に間に合いますよ(^^♪

ホクトさんのリクエストにお答えして「望郷二人旅」も作詞したい(^^♪

 

その1514  7/22am6.00

夏咲く花は何故か涼しげに咲く。

ひまわりも朝顔もハスの花も太陽に向かってもっと暑さが欲しいと言いたげに咲く。

最近ではひまわりが太陽の方を向いて咲かなくなった。

子供の頃のひまわりは朝は東に向かって、日が昇るにつれて花が

太陽を追いかけるように咲いていたように思っていたのだが・・・

バイオの技術によってこうなったのか、気候の変化でこうなったのか

花もこの地球上の試練に耐えているように見えてくる。

 

その1513  7/21am5.30

しかし今年は暑すぎはしないかねー 暑いのが当たり前、明日が大暑だからねー

毎朝、毎晩天気予報を見ていると大阪の暑さは何故か鹿児島や沖縄より暑い。

そして、札幌の最高気温はは大阪の最低気温よりも低い。

日本列島の長さに感心しつつも大阪の蒸し暑さは格別である。

7月5日朝、国東半島の朝は網戸を閉め、ガラス戸を30cm開けて寝ていたのだが

寒さで目が覚めてしまうほどの気温であった。

大阪が蒸し暑いというと「京都はもっと蒸し暑い、その上、冬は底冷えがする」と言われる。

この暑さ、寒さがあるからこそ、その土地ごとに独自の祭りなどの行事が生まれたと

学者先生は言うのだが・・・・  うなぎでも食って体力をつけるか?

「あんた、パンツひとつで家の中をうろうろするのやめられない!!」(@_@;)

 

その1512  7/20am5.00

私が建築士の免許を取得してから37年になろうとしている。

運転免許より先に取得した建築士の免許である。国土交通省の統計によると

当時(1967年)一級建築士が30655名、2級建築士が129142名であったそうであるが

現在では一級建築士は約30万名、2級建築士が約65万名に達しているという。

又、昭和59年から新しい資格として発足した木造建築士も約1万5000人に達しようとしている。

ちなみに建築士とは建築士法第2条 によって定められている。

一級建築士:建設大臣の免許を受け、設計、工事監理等の業務を行う者

二級建築士:都道府県知事の免許を受け、設計、工事監理等の業務を行う者

木造建築士:都道府県知事の免許を受け、木造の建築物に関し設計、工事監理等の業務を行う者

となっている。 建築士法 全文はこちらでご覧下さい。

 

その1511  7/19am6.00

この暑さで頭が可笑しくなったのではない。

昨日は孫娘をつれて花博公園の小川で水遊びを楽しんでみた。

花博公園へ何時もはジョギングシューズ出てかけるのだが昨日は最初から

水に入る事を目的にゴムぞうりを履いて出かけてのである。

花博公園では一番長い水系、京の滝からキャンプ場までの緑のせせらぎと

言う、小川を上流からちゃぷちゃぷと水の中を歩いて下ったのである。

自然の川であれば魚もいるであろうがその姿は見ることはなかった。

勿論おたまじゃくしも蛙もいない。 数匹のアメンボだけがすいすいと我が物顔に

泳いでいた。 ただ、せみ時雨が流れの音を掻き消すほどでありました。

花博公園の今日 7/18 暑中見舞い第二弾

カラオケ 夫婦坂  作詞 k−plan  作曲 homonさん(音楽の部屋

 

その1510  7/18am6.30

そんな中でも図面上ではKFさんの要望や私の意見を取りまとめている。

実家は建築当時から改修工事が何度か地元業者の手によって行われている。

その工事の図面や写真は皆無であり、今回の改修計画に少なからず支障をきたしている。

これも国東流工事のやり方と思わねばなるまい。

実家も妹の仕事場も図面と現況のすり合わせをする事が必要となってきている。

その為に一度、帰省することになりそうである。

 

暑中のお見舞いを沢山いただきありがとうございます。

私の暑中のお見舞いです。

 

その1509  7/17am6.30

私の人生三分の二は大阪暮らしである。 

そんな私が田舎暮らしが出来るのだろうか?

そんな心配を知ってか知らずか様々な計画が私の横をすり抜けて進んでいるようだ。

元気なうちに故郷のお役に少しだけでもたちたいと思いながらUターン計画の

住まいの部分の計画が頭の中を駆け巡っている。

実家は上水道も都市ガスもない。 当然に下水道もない。

そんな中で快適に過ごす住環境を私なりに考えている。

仕事として考えているのだが想像も付かない事まで出て来ている。

実家を設計した昭和51年の段階では農作業の効率を考えた設計であったのだが

今回、その建物を大阪暮らしになれたKFさんにも快適に過ごすための

改修工事をしなければならない。 問題山積の改修計画に私の頭はパニクッテいる。

 

その1508  7/16am5.00

実家に帰ると60を過ぎた私は若者になるそうだ。

妹の言うには少子化で子供もいなくなって若者も町や都会に行ってしまい

村の仕事も年寄りだけでこなしていると言う。

そんな中、私が帰れば若者のUターンと言うことになり「青年団」や「消防団」の

誘いが舞い込んでくるぞ等と脅されているのか冗談で言っているのか

解らないことを言っている。 まもなく老齢年金生活をしようというのに・・・

どんなお誘いが来るか今から楽しみにしている。「老人会」からのお誘いより良かろう。

 

その1507  7/15am5.30

妹の仕事場の家の増築が完成し実家から妹の引越しがされる。

その後、私達の住む実家の改修がされ私達が実家へ引っ越すということになる。

実家は国道213号線から上流へ直線距離で4キロメートル、NTT回線での距離は

10キロメートルとなるという。そんな訳でこのページもADSLからISDNの回線へ

変わる事になる。 リンクしていただいているくにさきの隠居国東半島かぜ発信

発信地のほぼ中央に位置するのどかな山村から時間の止まったのんびりとした風景を

気長にのんびりと発信することになりそうである。

 

その1506  7/14am7.30

現在、この建物の住居部分の増築の計画図が出来て妹と打ち合わせの最中である。

平成4年新築されたこの建物には教室と多目的室、台所、便所と和室7.5帖があるが浴室がない。

そこで浴室と教材の収蔵する納戸を増築する事にした。

地元小学校から徒歩15分、町役場から徒歩5分の立地の374.3平方メートルの

敷地に現在は建築面積100.19平方メートル、床面積98.54平方メートルの

建物が建っている。 増築部分の床面積は13.65平方メートルで

増築後の床面積が112.19平方メートルになる。

平面計画が承認されれば「私の移住計画」として公開を予定している。

 

その1505  7/13am5.30

そんな訳で妹の仕事場の増築計画から始まる事になる。

この建物はk−planの娘の作品第一号である。 勤めていた設計事務所を辞めた

娘に気分転換に国東へ行って仕事をしてみないか? 仮設計の出来ていたこの計画を

娘に全てを任せる事にしたのでした。 建築当時は下の写真のように周囲には

田んぼが広がり、敷地の中に水路が通る敷地条件を有効に活用する計画が

見事に成功した作品となったのでした。

大分 国東半島の家は住宅の考え方が多く含まれる。
障害者と健常者が助け合いながら独自のカリキュラムに
よって算数の勉強をする。隣の神社の木の葉、前庭の
石ころ、裏の畑の農作物、田んぼの稲の切り株すべてが
教材として使われる。だから塀もフエンスもない。
敷地内の水路に入ることもできる。教室(住宅の居間)
には黒板と本箱以外は何もない。
学校からの帰りにちょっと寄り道して勉強して帰って
行く、子供たちの、のびのびとした姿を連想した

 

その1504  7/12am5.30

田舎暮らしの計画は突然に始まったわけではない。

平成8年10月、一人息子を亡くしてから家族揃って実家に戻り私の母と

一緒に生活をしてはどうかと話があったのだが私もKFさんも考える余裕がなかったのである。

そして数年後、 私の妹と暮らしていた母でありましたがその母もこの世を去った。

それからは私の実家と妹の仕事場の家と二軒の家の管理が妹の手に移されたのでした。

帰省するたびに実家だけでも管理の手伝いをして欲しいと妹から言われていたのでありました。

KFさんの通院する病院も帰省するたびに探しておりましたが昨年8月、その病院が

近くに出来てその障害もなくなり本格的に田舎暮らしの計画が進み始まったのである。

 

花博公園の今日 7/11 二週間ぶりの花博散歩です。BGMは「花博慕情」です。

花博記念公園鶴見緑地マップ

 

その1504  7/11am5.30

「朝顔につるべとられて もらい水」と言う句がある。

作者は加賀の千代女であるが毎日の炊事洗濯に欠かせなかった

井戸水をくむつるべを朝顔にとられたと言う。なんとも風情がある。

この時期、朝顔の成長の早さやお隣の井戸に水をもらいに行く女性の

心優しい心境は現代の女性には解るまい。

ところで我が家も毎年朝顔を植えて少しでも影を作ろうとしていたが

朝顔に物干し竿を取られるKFさんはなんと例年のように上に伸びない朝顔を植えていた。

いくら伸びても30cmほどしか伸びない朝顔を植えていたのである。

物干し竿を取られるのが嫌なのか、それともご近所迷惑も顧みず脚立を持ち出して

写真を撮る私に協力してくれたのか???・・・

なんとも風情のない事か(@_@;) それでも10輪ほど毎朝花を開く

 

その1503  7/10am5.00

曽我さん、再会おめでとう。

もう。決して離れ離れにはならないでしょう。 感動の涙を久しぶりに流した。

早い再会に外野席の評論家?と呼ばれる者どもは選挙目当てだとほざく

遅ければ遅いで政府は何をしていると・・・

それはこの感動までも金儲けの手段に使う者どものやることだ。

夫婦、親子の再会を私は素直に喜びたい。

 

その1502  7/9am5.30

人間は大きな声で笑い、ほんのちょつとだけ涙を流すとストレスが解消されると言う。

以前は若者が交通事故にあって亡くなったと報道されれば若いのに可哀想と涙を流した。

今はどうだろう「どうせスピードを出しすぎの無謀運転でもやったのだろう、ざまー見ろ」と

思う自分がいる。 幼子が亡くなったと聞けばこれからの楽しみを失った親御さんの心境に

涙が出てきたのだが「どうせ車の中に置き去りにして夫婦でパチンコでもしてたのだろう」とか

「食事も与えずに自分達だけで美味いものを食ってたのではないか」などと可笑しな想像が

頭をよぎる。 これほどまでに嬉し涙も悲しい涙も流す事がなくなった世の中は

これからどうなるのかねー。 ドラマを見ていても涙がでるほどの感動されるものもない。

まもなく始まるここ高校球児の熱戦にも感動の涙を流していたが最近の球児の

行動を見るとその感動も沸いてこない。 それはグランドの中だけのお芝居に過ぎないからだ。

勝つ為の練習に明け暮れて校外での礼儀も作法も石ころ以下の行動でしかないからだ。

「おじいちゃん、長生きしてお仕事に頑張ってください」と数年前孫娘からもらった手紙が

最後の涙であった。    国東半島 歌詞の里を訪ねて

 

その1501  7/8am4.30

そよかぜに今朝も拭かれた。いや吹かれた。いやいや噴かれた。う〜ん

下戸を自称する青鬼さんが悪酔いをしたのか、美酒に心地よいのか

それとも七夕のラブロマンスに酔ったのかちょつぴり苦く、ちょっぴり嬉しく

ちょっぴりくすっとさせられ私の目覚めを爽快にしてくれた。

国東半島かぜ発信に心地よい風が吹いている。

私もあんなひとりごとを書ける日が来るのだろうか?

私もあんなさわやかな風を吹かせて見たいものである。

 

その1500  7/7am5.00

国東半島   作曲 著作権ふりー「音楽の部屋」のhomanさん

         作詞  k−plan

一、豊後水道 荒波 光る海  今日も日の出の沖に 島影ひとつ

    あれが姫島 宝の島よ       思いめぐらす 国東半島

 

二、黒津海岸 白砂 青い松  今日も夕陽の沖に 船影ひとつ

    あれが徳山 悲恋の航路      思いめぐらす  国東半島

 

この詩にでてくる姫島や黒津海岸や「望郷・人生散歩道」

出て来る「弥生の村」の風景を撮影するのも今回の旅のひとつであったのですが

生憎の天候に思うようには撮影できませんでしたがUPしてみました。

国東半島 7/4〜5

 

その1499  7/6am6.00

7月4日 どんよりと雲のたちこめた大分空港に降り立った。

台風接近に気流の乱れを心配していたが全くゆれもなく快適な空の旅でありました。

早々に仕事をすませ「国東半島」に歌った黒津海岸へ出かけてみた。

黒津崎海岸の名所「オットセイ岩」に打ち寄せる波はしぶきを上げ誰一人いない浜辺に

轟々と音を響かせていたのであのでありました。

それでも私達は風に向かってカメラのシャツターを切っていたのでありました。

初めてKFさんと二人で歩いた道に出来た弥生の村も風の中にありました。

7月5日 朝5時、西空に月が東の空にこうこうと輝く明けの明星が最高の目覚めを

提供してくれました。 昨日、休みであった地元下請け業者にあいさつ回りをし、

町役場やNTTなどの下調べなどを済ませて再び黒津海岸へ・・

後藤三郎の哲学碑に写った海も空も昨日の後もなく静かな豊後水道に

向かって建っていたのでありました。 遠くにかすんで見える姫島の島影を見ながら

国東半島のさわやかな風を楽しんだのでありました。 「国東半島」只今編集中です。

 

その1498  7/4am5.00

皆さんおはようございます。 今日は一時間早くひとりごとを書いています。

何時もですと6時まではパソコンの前に座っているのですが今日は

8時20分発の飛行機で国東半島へ里帰りするからなんです。

ところが台風7号のコースへ向かって飛ぶと言うことで少しだけ心配しています。

お天気が良ければ沢山のお土産(写真)を持ち帰れるのですが

今回は無理でしょう。 そんな訳で5日のひとりごとはお休みになります。

6日には故郷のお土産話が出来ることを楽しみに行ってきます。

 

その1497  7/3am5.00

最近、少年の凶悪な犯罪が増えている。 その中には小学生の犯罪のある。

ある所ではこう書いていた。「少年と言えども罪の重さは同じ、死刑とは言わないまでも

無期懲役ぐらいはかせるべきでは・・・二、三年で更正できるはずはない」うんうんと読みながら

考えさせられる。 親たちは子供のした事として片付けられているようだ。

子供は自由に育てるのが一番などと大人の都合で放任され、何か起これば

学校教育の不備、遊具の不備、設備の不備だけが報じられている。

親の責任は何処にもない。 そこで考えたのだが未成年者は親も同罪と言うことにすれば

少しは少年犯罪は減るのではなどと考えるのだが・・・

「子供を育てるのは親の責任」をもっと明確にすべきではなかろうか?

 

その1496  7/2am5.00

参議院選挙が始まったがさっぱり盛り上がりがない。

「小さいことからコツコツと」と出馬して今回引退した西川きよし氏の票の行方はと

話題になっているのだかねー

タレント議員と言われタレントに何が出来るとさげすまされていたのだが

その実績は一人の議員のできる沢山の改革を成し遂げている。

あまりにも小さいことであり、一般には縁遠くなじみがないだろうが

私は一人の議員としての実績としては十分な実績を残したと評価したい。

その西川きよし氏の100万票を奪い合うのだと新聞は書きたてている。

しかしそれだけの値打ちのある立候補者がいるのかねー

まあ一節歌って見ましょうよ 「花博慕情」

「望郷二人酒」が著作権ふりーの「音楽の部屋」のカラオケBOXへUPされました。

 

その1495  7/1am6.00

やっぱりこの世は狂っている。

ノルマを達成する為に書類の偽造をする警察官。

明らかに欠陥とわかっていながらそれを認めようとしないメーカー

連日のように新聞広告を入れて売らんかなとたくらむメーカー

新聞広告などそれほどまでにしなくても良いものは売れると言う自信もないようだ。

意地悪爺の私にするとこれほどに宣伝しなくては売れないほど

販売価格が高く、品質も悪いのではないかとさえ疑いたくなる。

世界で一、二を争うほどのメーカーであるからなおさらに私には納得がいかない。

これほどに腐れきった大人達はどんな教育をすればよいのだろうか?

60年ほど前の時代のように戦争でもおっぱじめねばならないのではなかろうかと

さえ思う今日この頃である。 

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